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【Feel in Argentina Vol.4/若きコーチ、世界を歩く】プーマス選手の帰還。デュエンデスRCにあふれる情熱と帰属意識
人懐っこい雰囲気を持つチョコバレスは子どもから大人まで大人気。(筆者撮影、以下同)

【Feel in Argentina Vol.4/若きコーチ、世界を歩く】プーマス選手の帰還。デュエンデスRCにあふれる情熱と帰属意識

中矢健太

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 ブエノスアイレスから北に約300キロ、アルゼンチン第3の人口を誇る都市、サンタフェ州ロサリオ。アルゼンチンの国民的英雄、リオネル・メッシの故郷だ。メッシの生家や幼少期にプレーしたクラブなど、ロサリオにはゆかりのある場所がたくさんある。

 一方で、近年は麻薬組織による抗争という深刻な問題を抱えている街でもある。日本の外務省は昨年、アルゼンチンで唯一、この地域の危険レベルを引き上げ、渡航注意を呼びかけている。

 そんなロサリオにあるデュエンデス・ラグビー・クラブは、多くのアルゼンチン代表選手を輩出してきた。直近、2023年のワールドカップではFBフアン・イモフ、WTBエミリアーノ・ボッフェリ、そしてCTBサンティアゴ・チョコバレスの3人がデュエンデス出身だ。

 2つの疑問があった。アルゼンチンラグビーの中心は、首都であるブエノスアイレスに偏る。なぜ、このロサリオから国を代表する優れた選手が生まれるのか。

 そして、アルゼンチンのローカルクラブの絆は家族のように固い。1か月かけてさまざまな関係者に話を聞いてきたが、答えは揃って「情熱だよ」。その情熱の背景には、一体なにがあるのだろうか。

 現地の行政や警察は、今年になって殺人率が下がったことを広く報じているが、実際に私が訪れる2週間前には銃乱射事件が起きるなど、決して治安が良いと言える地域ではない。だが、『Feel in Argentina #3』で紹介した現地のノンフィクションライター、セバスティアンさんからの紹介を受けて、デュエンデスにレフェリー兼マネージャーとして所属するディエゴ・ユリタさんに案内していただけることになった。彼と合流するために、ブエノスアイレスから約5時間、長距離バスで向かった。

写真の2列目右が今回ご案内いただいたディエゴさん。チョコバレスが持っているのはアルゼンチンの国民的飲み物の「マテ茶」。みんなで回し飲みする。


 バスがロサリオの入り口に差し掛かると、すぐに見えるのがプルマン・シティセンターという高級ホテル付きの巨大カジノ。周囲は丁寧に手入れされた芝生と鉄柵で囲われている。一見リゾート地のような雰囲気が漂うが、100メートルも進まないうちに散乱したゴミや落書きが目に入る。街に張られた無数の電線はどこかたるんでいて、不穏な空気を助長させる。とはいえ、中心部まで行けばスターバックスやマクドナルドなどの有名チェーン店があり、怪しい雰囲気はすっかり払拭される。

 ディエゴさんの19歳の息子、マテオも2歳からここでラグビーをしているという。日が暮れたころ、彼の車に同乗させてもらい、グラウンドへと向かった。

 デュエンデスはロサリオの南部に位置しており、地域スポーツクラブとしての役割を果たしている。男子はラグビー、女子はホッケークラブに所属する。グラウンドは丁寧に手入れされた天然芝で、夜間でも練習できるように立派な照明設備もあった。

 グラウンドに入ると、10歳前後の少年たちがトレーニングをしている最中だった。

『¡Bueno! ¡Bueno!』(いいね!いいね!)

 50代、60代くらいのコーチたちの熱がこもった声が響く。その隣にいるコーチは、もう少し若いようだ。よく見ると、なんとサンティアゴ・チョコバレスだった。ザ・ラグビー・チャンピオンシップの前のわずかな休暇を使って、古巣に戻ってきていた。
 その隣のグループでは、ファン・イモフが指導をしている真っ最中だった。トップチームの練習が始まる頃には、エミリアーノ・ボッフェリが到着。自身もすべてのトレーニングに参加しながら、仲間たちへの指導にもあたっていた。世界的に知られるスター選手たちの姿に、子どもから大人まで、誰もが目を輝かせていた。

写真中央はボッフェリ。写真右奥でラシン92のウェアを着ているのはイモフ。彼も同様にトップチームの練習に参加。


 ディエゴさんに、あらためて聞いてみた。
 なぜ、ローカルクラブの繋がりは家族のように強いのですか?

『Passion』

 やはり即答。では、もう少し踏み込んで。なぜ、これほどまでに情熱を持つことができるのですか?

 すると、うーんと少し考え「英訳がわからない」と前置きした上で、あるスペイン語を口にした。

『Pertenencia』

 日本語に直訳すると、「所属」。つまり、帰属意識だ。

 アルゼンチンのラグビーは、学校の部活動のような形ではなく、地域クラブに所属することが一般的だ。クラブには幼稚園、小学生の年齢から大学生や社会人のトップチームなど、カテゴリーごとにチームがある。

 つまり、日本のように【小→中→高→大】と異なるチームでプレーすることは一般的ではない。ましてや、関西で育った日本の高校生が上京してプレーするような、大都市を跨ぐ移動はもっと見られないという。多くのプレーヤーが一つのチームで育ち、実力が認められれば海外チームとの契約に至る。国内のクラブは、Super Rugby Americanaに参戦している3チームを除いて、すべてアマチュア。年間を通して毎日トレーニングができるチームは存在しない。

トップチームの練習に参加していたボッフェリ。身体のキレや動かし方は、明らかに周囲とは違うレベルだった。


 練習後にチョコバレスが語ってくれたのは、このクラブの特別性だった。

「アルゼンチンは今でも、裕福な上流階層がラグビーをしているような風潮があるかもしれない。でも、ここはそんなの関係ない。このクラブにはいろんな社会階層の人が集まっているし、それをクラブも歓迎している。そういった意味で、ここはすごくオープンで、地元の人からも好かれているクラブだと思う。だから僕にとっては特別で、いまでもこうして帰ってきているんだ」

 当初は、同じくサンタフェ州にある別のクラブでラグビーを始めたチョコバレス。デュエンデスでは約3年プレーしたあと、U20やジャガーズでの活躍を経てトゥールーズとの契約に至り、フランスへ飛び立った。たった3年だが、それだけチームを愛せるのは、クラブの中に大きな帰属意識が共有されているからだ。
 クラブのカルチャーを守り、共にプレーする仲間を大切にする。その情熱に一度触れれば、すぐにその輪の中に入ってしまう。自然と、クラブが好きになる。

 そして、私がアルゼンチンを離れた数日後、イモフとボッフェリはデュエンデスでの復帰を果たした。イモフは現在、ラシン92のスタッフとしてパリに拠点を置く。ボッフェリはスコットランドのエディンバラに所属。両者の再集結は、熱烈に歓迎された。

 相手は、同じロサリオを拠点とするGER(Club Gimnasia y Esgrima de Rosario)。デュエンデスは38-29と勝利した。

「スティーヴン・スピルバーグでも、これ以上うまく脚本を書くことはできなかっただろう。ボールは空高く舞い上がり、エミリアーノ・ボッフェッリが跳び上がってボールを再び捕球、フアン・イモフへとアシストした。イモフはインゴールまで加速し、ダイビングでトライを決めた。ロス・プーマス(アルゼンチン代表)で何度も見てきた2つの光景が、今回は彼らが最も愛するジャージ、デュエンデスのジャージを着て、一つの忘れられないプレーとして重なり合った」(LA NACION)

 彼らは今までのオフ期間も、度々デュエンデスに帰っていた。そうして指導してきた、いわば「後輩」たちとプレーできたことは、言葉に表すことができないくらいに感慨深かったという。

 37歳、プロ選手としてすでに引退しているイモフは、この試合をもって完全に引退。一方、ボッフェリはデュエンデスでのコンディション調整に入るという。慢性的な背中の怪我を抱えており、2023年のワールドカップ後には手術に踏み切った。その後、所属先のエディンバラで再負傷したことで、休養に入っていた。

 ボッフェリは、今回のザ・チャンピオンシップメンバーからは外れているものの、プーマスには帯同している。現地メディアによると、彼は2027年のワールドカップ出場を熱望しており、そこに照準を合わせているという。

プーマス元主将、アグスティン・クレービーも、自身が育ったクラブ・サン・ルイスで引退試合を迎えた。同クラブの公式Instagramより


 このように、地元クラブに帰ってキャリアを締めくくる選手は少なくない。
 デュエンデス以外では、ニコラス・サンチェスが日本のサンゴリアスを退団後、トゥクマンのクラブでスパイクを脱いだ。直近では8月16日、2015年のワールドカップでキャプテンを務めたアグスティン・クレービーが、自身が育ったクラブ・サン・ルイスで引退試合を迎えた。プーマスの顔とも言える闘将。フランス、イングランド、イタリアのクラブを渡り歩き、故郷に帰ってきた。40歳でキャリアに終止符を打った。

 アルゼンチンという国は独立以来、債務不履行を8回。極端なインフレ率で長年にわたって経済問題を抱えてきた。その中でラグビーが生き残り続けたのは、こういったクラブの存在なくして語ることはできないだろう。
 ラグビーへの情熱、クラブを愛する心と帰属意識。世界に出た選手たちの遺伝子は、これからも受け継がれていく。

◆プロフィール
中矢 健太/なかや・けんた
1997年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。ラグビーは8歳からはじめた。ポジションはSO・CTB。在阪テレビ局での勤務と上智大学ラグビー部コーチを経て、現在はスポーツライター、コーチとして活動。世界中のラグビークラブを回りながら、ライティング・コーチングの知見を広げている。

子どもたちのトレーニングを見る合間に撮ってもらった一枚。自分が練習する前に、コーチングを引き受けていた。



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