logo
【楕円球大言葉】安心の響き、バンジー。
サクラフィフティーンのアシスタントコーチを2022年から務める。(撮影/松本かおり)

【楕円球大言葉】安心の響き、バンジー。

藤島大

 選手の口から自分ではなくコーチの名、それも愛称がよく飛び出すようになったら、監督はしめたものだ。

 2019年と23年の男子ワールドカップのジャパンがそうだった。
「ブラウニー」
 なんど響きを耳にしただろう。理詰めで速度に満ちたアタックを創造、浸透させたコーチ、トニー・ブラウンである。
 ジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)は、この時点でなかば勝利していた。だから日本大会の準々決勝進出はかなった。

 強い集団が、ただ強いのでなく、長く強くあるためには。
 ひとつの正解は「監督、コーチ、すべてのスタッフが自分より優れた人間を選手の幸福のためにへっちゃらで連れてくること」である。あいつが加われば選手は自分よりもあっちを向く、わたしの立場が弱くなる、なんて、嫉妬する者がいたら、いまは勝っても、ほどなく力はそがれる。

 ジョセフとブラウンは役が異なる。実は優劣などない。でも赤と白の勇者は、ブラウニーこそを信奉した。それでよいのだ。

 2025年のサクラフィフティーンのひとりひとりは、よく「バンジー」と言う。そのたびに「いいぞ」と思う。

1986年5月28日生まれ、39歳。オーストラリア・ブリスベン出身。現役時代のポジションはおもにSO。オーストラリア代表キャップ51。RWC2007、2011に出場。【主なコーチング経歴】 帝京大学スポットコーチ(2020年-)、 2023年オーストラリア代表キッキングコンサルタント、2023年ニューキャッスルナイツコーチングコンサルタント、 2024-2025シーズン/九州電力キューデンヴォルテクス コーチングコンサルタント。2025-26シーズンから埼玉パナソニックワイルドナイツのBKコーチを務める。(撮影/松本かおり)


 バンジーことベリック・スティーブンス・バーンズ。開幕直前のワールドカップに臨む女子代表のおもにバックス担当のアシスタント・コーチである。

 たとえばスタンドオフの山本実は、先にJust RUGBYの【女子日本代表RWC2025へ】に語っている。

「バンジーからは、試合中のパフォーマンスだけでなく、試合メンバー発表から試合までの準備段階でリーダーシップを発揮してくれてありがとう、と言ってもらえました」

 鋭い観察のもたらすコーチの言葉、素直に感応する10番のハートの交錯がなんとも心地よい。

 リーグワン覇者、東芝ブレイブルーパス東京のあのたくましい連中も、よくコメントで「ジョシュ」とコーチの名を挙げた。FWをよくまとめたジョシュ・シムズその人の指導力がおのずと浮かぶ。トッド・ブラックアダーHCは適材を招き、存分に力を発揮させた。

 さてバンジー。あらためて元オーストラリア代表ワラビーズのおもにスタンドオフを担い、キャップ51を獲得した。テストマッチのデビューは21歳で迎えた2007年ワールドカップの対ジャパンであった。 開始3分、初めてのボールタッチでトライラインを越えた。

 ブリスベン生まれの現在39歳。公立校で13人制のラグビー・リーグに親しみ、奨学金を得て伝統校のイプスウィッチ・グラマーへ進んで、こんどは15人制で大いに活躍する。
 クリケットも上手で、12年前に本人に確認したら「競泳バタフライで12歳以下の州のチャンピオンになった」とも明かした。
 
 学窓を出るや、15人制のレッズ、13人制のブロンコス、クリケットのブルズの3競技よりスカウトの手は伸びた。プロ競技者のキャリアをブロンコスで始めて、2005年、18歳にしてさっそく公式戦出場を遂げた。
 
 06年にスーパーラグビーのレッズへ。07年シーズンは、いま男子のジャパンを率いるエディ・ジョーンズHCのもとでプレーした。2勝11敗の最下位。
 昨年、南アフリカのメディアにバーンズはそのころを語っている。

試合中も選手のもとに水を持って走り、言葉をかける。(撮影/松本かおり)


「楽しかったとは言えないけれど、20歳そこそこの若者には勉強になった。(ワラビーズの期間コーチとして2023年に)一緒に働いて、なぜ彼が一流とされるのかはわかった。まったく手抜きをしないんだ」(SPORTSBOOM)

 いま思い出した。エディ・ジョーンズの最初のジャパンHC就任後のインタビューで「レッズでの失敗」について質問すると、率直に述べた。

「若手に厳しくし過ぎた」。たぶんバンジーも対象だった。

 2013年、30歳でパナソニック・ワイルドナイツへ。
「4度のヘビーな脳震盪もあり現役引退の岐路に立たされていた」(RUGBY COM.AU)
 日本では重圧を解かれた。
 当時、負傷を抱える海外の一流にとっては、トップリーグへの移籍は再起のチャンスであった。ちゃんとハードに練習するのに公式戦の数が少ないからだ。総じて展開志向なので衝突のダメージも軽減された。

 来日の年の12月14日。対サントリーサンゴリアス。もっぱらバーンズの攻守のみを見つめた。防御の読みは憎いほどだった。なにより印象に残るのは、意に添わぬ判定で自チームの反則とされても、直後、まったく表情を変えず、次に備えて動く態度であった。

 アタックでは両手につかんだボールを円を描くみたいにくるくる回し、ふいに急所をえぐるパスを繰り出す。のちに対戦相手の何人かは当該スキルを解説してくれた。
「いつ投げるかさとらせない」

 そこで本人に聞いてみた。次の手を防御に読ませませんね? 

「僕も若いころは簡単にキックをしてしまうような選手だった。このままではまずいと気づいて、パスとランも同時に準備するようにした」 

ワイルドナイツでの現役時代。(撮影/松本かおり)


 ノーサンプトン(8月24日、アイルランド戦)で、エクセター(同31日、ニュージーランド戦)で、ヨーク(9月7日、スペイン戦)で、胸に桜の山本実が、大塚朱紗が、腰のあたりで楕円球を小刻みに動かしてディフェンスの視線を引き寄せ、突然、投げたり蹴ったり駆け出せば、背後にはバンジーの永遠の青年のごとき笑顔がある。

 ベリック・バーンズの30歳の発言。

「22歳かそこらで、すべてをわかった気になる。あのころに戻るのが可能なら、なにを考えてるんだ、と自分を引っぱたきたいよ」(RUGBY COM.AU)

 こういうことを素直に話すコーチは、サクラの32人、その一生の大舞台できっと頼りになる。





ALL ARTICLES
記事一覧はこちら