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【引退表明会見】くじけそうになっても、まっすぐ生きた。中村亮土[東京サントリーサンゴリアス]
1991年6月3日生まれ、34歳。181センチ、92キロ。鹿児島実→帝京大。日本代表キャップ39。ポジションはCTB。(撮影/松本かおり)
2026.01.10
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【引退表明会見】くじけそうになっても、まっすぐ生きた。中村亮土[東京サントリーサンゴリアス]

田村一博

 今季限りでの引退を発表した東京サントリーサンゴリアスの流大(33歳)、中村亮土(34歳)が、1月8日、その決断の理由や歩んできた道について話した。

 府中のクラブハウスで、流→中村の順で会見に臨んだ。
 1歳下の流は、中村と引退の時期が重なったことは「偶然」とし、「感慨深いですね」と続けた。
「帝京の時から(共にプレーし)、サントリーに入っても一緒でした。日本代表でもずっと同じ部屋で、いろんなことをやってきた。お世話になってきました」
 揃っての引退表明については、「何かの縁ですかね」と言った。

 流の会見が終わり、部屋に入ってきた2人は揃って写真撮影に応じ、その後、中村が話し始めた。
 プレー同様、まっすぐ。真摯な言葉が並んだ。

流大(左)とは1歳違い。同じタイミングでの引き際に「光栄です」。(撮影/松本かおり)


 日本代表キャップ39を持つミッドフィルダーは、まず報道陣に語りかけた。
「ここにいる皆さんには、僕が高校でラグビーを始めて約20年、たくさん記事にしてもらったり、いろんなことを報道してもらいました。そのお陰で、ラグビーの世界で、中村亮土というものを築けたと思っています。感謝申し上げます。ありがとうございました」

「新しい挑戦」
 今シーズン限りでの引退の理由は怪我などのコンディション不良や体力的限界ではなく、次へ向かうためだ。
 プレシーズンが終わって今季開幕を迎えた頃に引退を決断した。「ファンの皆さんや応援してくださっている方にはやく伝えたいな、と思い、このタイミングでの発表になりました」。

 昨年12月、田中澄憲GMに思いを伝えた。感謝の言葉を受け、今季を全力で走り切る新たなエナジーを得た。
「シーズンは続くので、これまで通り、チームに貢献したい。仲間たちと楽しいシーズンにしたいと思います」

 新しく踏み出す道については、「コーチではない」とした。
「人生で成し遂げたい目標があります。そこに向けて学びも含め、人間としても、もっともっと成長できるようにしたい。僕の中では決まっているのですが、シーズン後、あらためてお伝えします」

 日本ラグビーの価値を上げる意識は持ち続けて生きていく。
 中学時代までサッカー少年だった。鹿児島実業入学後、ボールの形は楕円球に変わった。「ラグビーにたくさんのことを教えてもらい、人として成長させてもらいました」。

 いろんな人たちと出会うこともできた。「ラグビーのお陰でこうなれたと思っています。この素晴らしいスポーツ、ラグビーの文化をもっともっと日本の中で根付かせていくような活動をしたいと思っています。より多くの人に知ってもらい、身近なものにできるように、ゆくゆくやっていきたいですね」

 ラグビーは人間性を高めてくれるスポーツと思っている。
「苦しい時にどういう姿であるべきか。どういう声掛けをすべきか。自己犠牲の精神。仲間を思う。誰かに手を差し伸べてあげる。そういうものを僕も受けたし、(周囲にそう)してあげたいなという思いが生まれたのも、ラグビーに触れたおかげ。成長させてもらいました」

 最初からスター選手だったわけではない。コツコツと積み重ねてトップ選手になった。「貪欲に向上心を持ち続けたというか、成長したいという気持ちが常にありました」。
「近くにいる仲間やスタッフに恵まれ、その人たちのサポートによって成長させてもらったと思います。いろんな方が成長のきっかけを作ってくれた。目に見えないサポートもありました」

「負けた試合の方が覚えているものです」。サンゴリアスでは、トップリーグ2021とリーグワン2022の2シーズン、サンゴリアスのキャプテンを務めた。(撮影/松本かおり)


 初キャップは帝京大3年時、2013年5月のUAE戦。2キャップ目は、その1年後で、その年にさらに2キャップを加えるも、その後、代表活動から2年離れる。
 その間に2015年のワールドカップがおこなわれた。

 決して平坦ではなかった若い頃を思い出して言う。
「本当に不貞腐れそうになったことが何回もあった。ただ、その時に、ここで終わりたくないな、と自分自身に問いかけし続けた。それによって踏ん張りがきいたと思います」

 主将も務め、連覇を重ねた帝京大時代は注目された。
「天狗だったというか、そういう状態だったと自分で理解し、リセットできた。それで、もう一回自分にフォーカスし、矢印を向けて、どういう選手になりたいか、どういうプレーをしたいかと考えました」
「人の評価を気にせず、一途にやりました。その結果を、あとあと評価してもらったと思っています」

 這い上がる過程の自分に「誇りはあります」。
「もし代表になれずに早い段階で引退していたとしても後悔することなく終われるようなラグビーをした自負があります」

 2015年ワールドカップに出られなかったことが、のちの自分を作った。
「あの時こそ、フォーカスが違うところに向いていた。評価を変えようとしていたり、(他の)人にベクトルが向いていた。それに気づけたから成長できたと思います」

 そうやってたどり着いた2019年、日本開催のワールドカップはチームが史上初めて8強に入る大会となった。
 高校2年時、同大会の開催が決まってから目標となったビッグイベントに参加できた。曲がりくねった道を歩んだ末に届いたから心底嬉しかった。

「当時は本当に夢の中というか、自分たちがその時の主人公と思っていなかったというか、人ごとのように感じていました。でも、いろんなメディアを通して、すごく(多くの人たちに)見てもらい、日本代表のジャージーが価値のあるものになっていました」

「自分勝手ばかりで、妻に感謝です。子どもたちも、いつも応援してくれた」。ただ、チャレンジは続く。「一緒にわくわくできる人生にしていきたいですね」。(撮影/松本かおり)


 日本代表から求められる選手になれた理由を、「武器を身につけたから」と言う。
「ディフェンス。タックル。フィジカルで戦える選手になった。そして、チームの戦術を理解してコミュニケーションを取れる選手になれたからこそ、選ばれたと思います」
 そしてマインド。
「強い選手やチーム。そんな相手に臨むことにワクワクします。高揚感がある。日本は強豪国と比べたら下に見られる。そこから突き上げる試合をするモチベーションが自分の中にあるんです」

 高校、大学、そしてサンゴリアスと、それぞれの時期に出会った指導者たちに、「いろんな刺激を受けたから成長できた」と感謝する。
 最近は幼少期からラグビーをプレーする選手が増えたが、自身のように高校からプレーを始めた選手たちにエールを送る。

「田舎の、どこの馬の骨かわからないような奴が(ワールドカップ出場など)自分に高い壁を設定して挑戦し続けると、何かいいものが得られると思います。(ラグビーを)遅く始めようが早かろうが関係ないと思う。いろんなことに挑戦してほしいと思います」

「エディーさん(ジョーンズ日本代表ヘッドコーチ)はオジさん(ベテラン)には興味がないでしょう」と笑い、最近は、「正直、日本代表は目指していなかった」という。
 しかし、2027年のワールドカップへ向けて「もっと(日本代表を)価値のあるものにしていって」と願う。

 2019年大会で見た満員のスタジアムは自身のラグビー人生のハイライトで、「日本代表ジャージーの背中に、ずっしりとくるようなものを感じながら試合をしていました。それを感じられる喜びもあった。そんな状況がジャージーの価値を上げていったと思います。これからもそういう景色を見られるようになってほしいですね」

 サンゴリアスについては、「いい選手、いい人間がいる。特に心配していません」とした。「後輩たちが、頑張ろうと言ってくれるのがすごく嬉しい」と相好を崩す。
「引退だし、最後、勝って終わりましょうよと言ってくれる。いい後輩を持ったな、と思います」




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