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【引退表明会見】本気ならやれた、やれる。流大[東京サントリーサンゴリアス]
ながれ・ゆたか。1992年9月4日生まれの33歳。165センチ、77キロ。りんどうヤングラガーズ→荒尾→帝京大。日本代表キャップ36。ポジションはSH。(撮影/松本かおり)
2026.01.09
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【引退表明会見】本気ならやれた、やれる。流大[東京サントリーサンゴリアス]

田村一博

 1月5日、今季限りでの引退を揃って発表した東京サントリーサンゴリアスの流大と中村亮土が1月8日、府中のクラブハウスで記者会見を開いた。
 現役を退く決断の理由や歩んできたラグビー人生について、それぞれの胸の内を言葉にした。

 トレーニングを終えた後、先に会見場に姿を現したのは流だった。33歳のスクラムハーフは、引退表明がシーズン途中になった理由を「ファンの方に(今季の残り試合で自分のプレーを)少しでも多く見てもらいたいな、という気持ちからです」とした。

「2023年のワールドカップが終わってから、ぼんやりと2シーズンぐらいで現役を終えようかなと思いました」
 2024-25シーズンを最後にしようと思っていた。しかし田中澄憲GMに意思を伝えると「いまが一番いいプレーができているからもう1シーズンやってくれ、と言っていただきました」。
 それを受けて、「もう1シーズンだけ覚悟を持ってやり切ります」となったようだ。

自分がそうだったように、「子どもたちが憧れ、その舞台に立ちたいと思える存在になる」ことが自分の使命と思ってきた。(撮影/松本かおり)


 引退は、「自分のキャリアを次のステップに進めるため」だ。
 また、チームの未来についても考えた。「サンゴリアスに長くいて、いい意味でも悪い意味でも、自分の影響力は分かっています」と言った。
 自身が発言すると、「周りがそれを正解にしてしまうような空気感が何シーズンか続いている」と感じてきた。結果、「自分からリーダーを外してくださいと話したこともあります」。自分が退くことによって、本気でチームを引っ張っていく選手が出てきてほしい。

「サンゴリアスはこれからも強くあり続けないといけない。本気でこのチームを強くしたい、引っ張っていきたいという思いがある選手はいると思います。その選手たちが実際にリーダーシップを執る機会を作っていきたいと思ったのも(引退の)理由のひとつです」

 体力的にはまだまだいける。「やろうと思ったらまだまだできます。身体の状態も、プレシーズンのフィットネステストも過去一番のスコアでした。自分のプレーにも手応えを感じていますし、まだまだ成長できている実感もある」と本人も感じている。

 新しく踏み出す道については、シーズン終了後に報告できるように調整していくという。
「やりたいことは決まっているので、楽しみにしておいてください。皆さんが想像していることです」
 ラグビーと共に歩き続けることに変わりはなさそうだ。

 まだまだ動けるなら引退はもったいないと思う人は多いだろう。しかし、「自分の人生は、自分の決断で、自分で前に進めていきたい。なので、このタイミングで自分のキャリアを次に進めます」。
「いまが僕の中でベストなタイミングと思っています。新しい夢に向かってスタートするには、この時期がいい」

 11シーズン、サンゴリアス一筋を貫いた理由を問われるとチーム愛を話した。
「ラグビーを始めた時(小2・りんどうヤングラガーズ)から好きなチームがサントリーでした。両親に初めて買ってもらったジャージーもサンゴリアスのものでした(白基調で、少しエンジが入ったデザイン)」
 それを着て自主練習をしていた。「昔から憧れのチームでした」。

2019年の日本でのワールドカップ開催が決まった後、その舞台に立つために「毎日毎日頑張って大学生活を送り、サントリーに入ってもそこだけをターゲットにしていました」。(撮影/松本かおり)


 もうひとつ理由がある。移籍や海外に行くオプションもあった中で、やり残したことがあった。
「2回は優勝させてもらいましたが(2016-17シーズンから2季連続)、そのあと優勝から遠ざかって、最後、もう一回必ず優勝し、あの喜びを味わいたい思いがずっとありました」
 ラストシーズン、その願いを叶えたい。

 歩んできた道の中で、サンゴリアスの記憶で強く残っているのは悔しさの方が強烈だ。
「優勝した試合も印象に残っていますが、個人的には神戸に大敗した決勝です(2018-19シーズン/5-55)。キャプテン3年目でした。あのシーズンは、初めて日本代表とサントリー、サンウルブズを1シーズンでプレーしました。自分のパフォーマンスもなかなか上がらず、その中でキャプテンをする難しさをすごく感じた。パフォーマンスでチームを引っ張れず悔いが残った。決勝でも僕自身のパフォーマンスが良くなかった。いまでも覚えています」

 代表の試合は、「2019年大会の開幕のロシア戦。ずっと夢だった舞台に立った瞬間はいまでも忘れられません」。
 そして2023年大会(フランス)の最終戦、アルゼンチン戦のこともよく覚えている。
「(自分は)出られませんでしたが、(齋藤)直人があれだけのプレーをしてくれたのは、すごく印象に残っています。自分が出られず、日本代表が勝てなかった悔しさもあった。日本代表も(自分のキャリアの中で)終えると決めていたので、ひとつの区切りというか、終わったな、という瞬間があった」

 高校時代に本気で日本代表を目指すと決めた。2019年に日本でワールドカップが開催されると決まって、気持ちが燃え上がった。
「高校時代の恩師が必ず(日本代表になることが)できると言ってくれました。そこから、自分は必ずこれを達成すると決めて物事を進めてきました。うまくいくことばかりではありませんでしたが、自分が思い描いたラグビー人生を送れたかなと思います」

引退表明も、「やることは変わらない。1試合、1試合、チームのために全力でプレーすることと、自分のパフォーマンスでチームを勝たせるところを見に来てほしい」。(撮影/松本かおり)


 高校3年間を過ごしたのは熊本県北部の荒尾市。そこから世界を目指し、夢を実現した。
「田舎の町、小さい町からでも、頑張れば、大きな舞台でプレーできる。自分の努力次第でどこまでもいけるということは伝えられたと思う」と自分の歩いた道を思い出す。
「僕がプレーしている理由の一つは、子どもたちに憧れられる存在になるということがあります。日本代表やサンゴリアスでプレーしてほしいという思いを持ってプレーしているので、最後のシーズンも(自分のプレーを見て)、一人でもそういう子どもが増えてくれたら嬉しいですね」

 卓越したリーダーシップは、「数多くの指導者に出会ったから」と言う。
「高校時代の先生(徳井清明監督)から小さなことを大事にすることが一番重要と教えていただき、帝京大では岩出先生(岩出雅之監督/当時)には、大きな組織の中でどうやってチームを強くするかを学びました。沢木さん(敬介/サンゴリアスで優勝した当時の監督)からはパフォーマンスがいちばんのキャプテンシーと教わりました。ジェイミー(・ジョセフ日本代表ヘッドコーチ)からはチームビルディングの大切さや、オフ・ザ・フィールドでの過ごし方の大切さを教わった。多くの指導者やコーチがいて、僕のリーダーシップができたと思います」

 はやいだけ、うまいだけのスクラムハーフではなかった。相手に嫌がられるゲームメイクは、味方を何度も勝利に導いた。その能力は、どうやって身につけたのか。

「ひとつはラグビーをいっぱい見ることです。いまは見るツールもたくさんあるので、子どもなら、お父さん、お母さんにお願いしたり、自分のお小遣いを使ってでも、ラグビーを見る環境を整えるのは大事。いまでも僕は、週に自分たちの試合以外にも7、8試合は見ています。引き出しを多く持つことが大事です」

 チームメートとの関係性も重要とした。
「コミュニケーションを取る。自分がどういうプレーをしたいのか、チームメートはどういうプレーが強みなのか、どうすれば彼らが生きるのかを常に考えることで、視野の広いプレーができるようになる」

 日常が重要だ。試合までの準備期間にも触れた。
「その映像を見てただ自分の中で消化するだけでなく、グラウンドで(他の選手たちと)話す。あるいは、家で映像を見ていて気づいたことがあれば、その場で(チームメートに)電話したり、LINEで、このシーンではこうしてほしいというコミュニケーションを取る。それが僕の試合へ向けての過ごし方です。練習を頑張るのはもちろんなのですが、練習以外の取り組みも、パフォーマンスを上げる上で大事」

自分のあとに引退会見に臨んだ中村亮土(左/同選手の記事は後日掲載します)。(撮影/松本かおり)


 サンゴリアス、日本代表を愛しているから、最後に言った。
「嫌われることも必要というか、(チームの中で嫌われることを)恐れない選手が出てこないとダメだと思います。それは、チームにとって必要なこと。言いにくいことも言わないといけない」
 その結果、「孤独になるかもしれないが、そうしないとチームは強くならないと思います」。

 特に9番はそうでなければいけないと思っている。日本代表で先輩の田中史朗を例に出し、「フミさんは、いい意味で、結構嫌われていました。だから僕は尊敬しています」。
 流本人も、「日本代表でもサントリーでも、勝つために必要なことは、周りがどう思おうが言う。そういう存在になると決めていました」。

「いまの日本代表のことは分からないし、SHの人たちはやっているかもしれませんが、チームが強くなるためならエディーさん(ジョーンズ ヘッドコーチ)との喧嘩も恐れないような、そんな選手が出てきてもいいと思います」

 将来は指導者の道に進んでほしい。
 その場にいる人たちに、そう思わせる時間だった。




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