試合前、バックスタンドに陣取った両校の部員たちが、仲間を元気づける歌をうたっていた。
12月27日に開幕した全国高校ラグビー大会『花園』の決勝、桐蔭学園×京都成章が1月7日におこなわれた。
京都成章が笑うなら初優勝、桐蔭学園が勝てば3連覇という顔合わせ。前者は準決勝の東福岡戦で今大会でのベストパフォーマンスを披露してファイナリストとなり(38-19)、後者は大阪桐蔭にラストプレーで逆転勝利する内容だった(24-21)。
激戦が期待される一戦は好天の中、14時にキックオフとなった。
開始から14分、先制点を挙げたのは京都成章。敵陣22メートルライン付近の左ラインアウトから攻めた。
ショートサイドから切れ込んだWTB吉永一航がゲインラインを越え、前に出たあとの右への展開。BKフロントスリーでの仕掛けは見事で、ボールを手にアウトサイドに走ったSO岡元聡志は、相手ディフェンスに再接近したタイミングでラストパスを放る。
WTB篠颯太郎がインゴール右隅に飛び込んだ。


しかし桐蔭学園は、試合巧者ぶりをすぐに出す。先に点を取られてから4分後には追いついた。
FB曽我大和のキックカウンターで敵陣深くに入ったのをきっかけに、それぞれのボールキャリアーが前に出る。体の使い方がうまく、それぞれが接点で押し込むシーンの連続だった。9フェーズ目、CTB坪井悠が相手に体をぶつけながらFB曽我にパス。5-5と追いついた。
そのままのスコアで迎えた後半、桐蔭学園は序盤にギアを上げて勝負を決めにいった。後半4分の勝ち越しトライから14分までの間に3トライを重ね、スコアは5-26。その集中力は素晴らしかった。
60分を通し、落ち着いてゲームをコントロールしたSO竹山史人が、この時間帯は、本来のファンタジスタぶりを発揮した。
後半4分にNO8足立佳樹が挙げたトライは、自陣10メートルライン付近の左ラインアウトから始まった攻撃の結果だった。右へ攻めた後、ラックの後方にいたSO竹山は左に走り込んで攻め、チームを前に出した。
そこから右へ、一発のタテ攻撃を打ち込んだあとだった。パスを受けた背番号10はディフェンダー間に走り込み、2人のタックルを受けながらオフロードパス。足立を突破させて敵陣深く入り込んだ。
チームは結局14フェーズを重ねてトライラインを越える。ゴールも決まり、12-5とした。
直後のリスタートのキックオフボ―ルを受けた桐蔭学園はロングキックを蹴り返してチェイス。相手が蹴ったところをチャージし、地面に跳ねたボールをつないで左中間にトライを決めた(Gも決まり19-5)。
さらに後半14分には、竹山がトライスコアラーとなる。敵陣中盤でのマイボールラインアウトをカットされてボールを失うも、相手がタッチに蹴り出そうとしたキックをチャージ。171センチの司令塔は、インゴールに転がるボールを自ら押さえた(Gも決まり26-10)。

残る16分間に桐蔭学園は2トライ、10点を許すも、自分たちも、FB曽我のドロップゴールとモールでのトライを加えて3連覇を達成。
試合を振り返れば、紺色ジャージーの後半序盤の攻勢が、勝負の天秤を大きく傾かせた。
今年のチームは、自信のあるフィットネス面を強みに、「相手が疲れたところで流れを自分たちに持ってくる」スタイルを貫いて頂点に立った。
決勝は、その方針が如実に結果に結びつく試合展開だった。
「前半、フォワードは狭いところで頑張り、きつかっただろうし、バックスも思うように前に出られなかったでしょうが、我慢し続けて体を当て続けたら外側が空いてくると想定してプレーしていました」
竹山は、頭の中に「相手の足が止まり始めてから自分たちが走ろう」のイメージを持って動いていた。
準決勝の死闘、大阪桐蔭戦を、「フォワードがボロボロになりながらやってくれた」と表現する。ゲームコントロールに関して、「自分の不甲斐なさを感じました」。
その反省から、決勝進出決定後は「チームを勝たせることだけを考えました」。
今大会、自分で走るチャンスはなかなか訪れなかった。初戦の常翔学園戦時、福本剛コーチに言われた「走りたいなら待ち続けろ。そしたら空くから」の言葉を胸に、チャンスを待ち続けた。

後半最初の足立のトライは、竹山の動きがトリガーとなった。
「自分らしさを出すというより、桐蔭学園のゲームメーカー、スタンドオフとしての役目を果たそうと思っていました」とする一方で、「自分らしさは自分の前が空いたら出す。その時に走ればいい」と考えていたからチャンスを見逃さなかった。
「普段の練習から自分の強みとしてやっているプレーです。周囲に(自分が)仕掛けたら走り込んできてほしいと言っていました。新チームが始まってからやり続けてきました。意思疎通、阿吽の呼吸があった。足立の姿は見えていました。自分が抜けたら走り込んでくれると思ったので、体を(半分前に)出した瞬間に探し(パスを出したら)、スパッと入りました」
自らのキックチャージ→トライについては、「狙っていたというより、できることは最後までやろうと思っていた結果です。たまたま自分にボールが当たった」と話す。
「(その追加点で)結果的に、相手に流れを与えなかった。こだわってよかったです」
この日を迎えるまでには、いろんな困難があった。9月に膝の内側靱帯を損傷。仲間を信じ、この大会まで、リハビリとコンディション調整に徹してきた。
もともとSH。1学年上に怪我人が出た際、藤原秀之監督からSOに指名されたが、自分たちの代になって9番に戻る。
しかし、県新人大会の決勝で引き分け(東海大相模と14-14)となった結果を受け、自ら「1年間スタンドオフをやらせてください」と直訴。その決断が実った。
世田谷ラグビースクール、ワセダクラブを経て桐蔭学園に入った。父・将史さんは関東学院大時代にチームが大学日本一となるのに貢献した人。セブンズの王様、ワイサレ・セレヴィと出身地の奄美大島を由来に『奄美のセレヴィ』と呼ばれた。
竹山は、自分の動きを「父から受け継いだものがある」と感じているようだ。
「以前は父の映像を見たことがなかったのですが、高校に入ってから見てみると、スタイルが似ていると思いました」
神奈川タマリバクラブでプレーを続けている父について、「まだ父の方がうまいと思いますが、僕の方がまだまだ長くプレーできるので必ず追い越します」と笑う。いつもアドバイスしてくれると話す。

2人兄弟の長男。次男・哲平さんは現在中学3年生で世田谷ラグビースクールのSOとしてプレーし、太陽生命カップ2025(全国中学生大会)で優勝している。年末の全国ジュニアにも東京都スクール代表として出場し優秀選手に。春からの高校生活は、桐蔭学園で過ごす予定だ。
ラグビーファミリーの中で独特の感覚が養われた。子ども時代から父のクラブチームの練習についていき、タッチフットなどに興じた。國學院栃木のCTB福田恒秀道、池田健心は、当時から同じように育ち、ワセダクラブでもともに楕円球を追った仲間たちでもある。
父・将史さんは、竹山がまだ幼い頃に家族で奄美大島に帰省した際、地元のラグビー少年たちと砂浜でタグラグビーをしたり、大島高校(将史さんの母校)に行って練習に参加したりした記憶がある。
将史さん自身、ラグビーを始めたのは「奄美大島にいる叔父(鹿児島の甲南高校で花園出場)、従兄弟がラグビーをしていたから」と話す。将史さんの弟、浩史さん(関東学院大、キヤノンでプレー。元セブンズ日本代表)も同様で、竹山は、奄美のラグビー一家の中で育まれてきた。
今回の決勝にも奄美から太鼓を持った親戚が駆けつけてくれたそうだ(実際には鳴らさなかった)。
チームは3連覇も、竹山は1年時、2年時と、先輩たちの活躍を見つめる側だった。
「決勝が終わって優勝した瞬間、2年とも涙が出ました。その涙は感動もありますが、自分が(その試合に)出ていない悔しさもありました。3年生になったら絶対に出る気持ちで、日々やっていました」
高校卒業後は早大に進学する。特別なストーリーは、まだまだ続く。