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青い爆竹。専大卒SHのルーキーイヤー。宮川博登[横河武蔵野アトラスターズ]
PROFILE◎みやかわ・ひろと。169センチ、75キロ。2002年7月22日、大分・由布市生まれの23歳。裾野RS(7歳〜)→大分RS(10歳〜)→大分東明→専修大→横河武蔵野(2025年4月〜)。1年目からチームにフィットし、将来大物になりそうなにおいをプンプンさせている。7歳からラグビーを始めた。「父が連れて行ってくれました。もともと足が速くて最初は簡単にトライを取れていたのでハマっていきました」。ポジション=SH。大分東明で主将を務めた。(撮影/山形美弥子)

青い爆竹。専大卒SHのルーキーイヤー。宮川博登[横河武蔵野アトラスターズ]

山形美弥子

 ハイテンポな球捌きで強気に仕掛ける果敢な姿は、音を立てて暴れる爆竹のようだ。

 宮川博登は、闘志をむき出しにして戦うスタイルと、重要局面での勝負強さが魅力のスクラムハーフだ。ボールを持たない時間帯も、強烈なプレッシャーを与え、相手のペースを崩す。まだまだ粗削りなところはあるものの、その一挙手一投足がチームに活力を与える。対戦者にとっては非常に厄介で、脅威となる。

 2025年4月から、横河武蔵野アトラスターズでプレーしている。1年目からチームにフィットし、トップイーストBグループ優勝に大きく貢献した。強い意志と行動力に、他の人とは違う、何か特別な片鱗を感じさせるルーキーの登場は、横河武蔵野にとって、未来を託す9番が見つかったというところか。

 今シーズンは、リーグ戦の8試合中6試合に出場した。初めて先発起用されたのは2025年11月9日、武蔵野陸上競技場でおこなわれたライオンファングス戦だった。前半30分には初トライを挙げ、チームの期待にスコアで応えた。

写真は2025年11月9日、武蔵野市陸上競技場でおこなわれたライオンファングス戦。初の先発出場試合で初トライを記録する勝負強さを見せつけ、インパクトを示した。リーグ戦序盤は後発に甘んじたが、徐々に調子を上げ、終盤には先発に定着していった。(撮影/山形美弥子)


 春のトレーニングマッチでは全体の流れに乗り切れず、必死な形相を浮かべる場面もあった。その後、右肩上がりで調子を上げ、自身のピークをうまく秋に合わせていった印象を受けた。

「チームに馴染んできたのが夏頃という感じでした。春シーズンは、なかなか自分自身の強みを出せず、チームの遂行するラグビーに上手くフィットできていませんでした。夏頃からチームメイトとプレー外でのコミュニケーションを取ることで仲が深まり、試合でのパフォーマンス向上に繋がりました。年が離れた先輩方からも可愛がってもらい、チームメイトとの居心地が良くなったことが、チームにフィットできた要因だと思います」

 トップイーストリーグBグループの横河武蔵野は、降格1年目となる2025年度のリーグ戦で1位となり、12月20日、日立Sun Nexus茨城(A5位)とのA/B入替戦に臨んだ。前半は7-10と日立がリードしたが、2点ビハインドで迎えた後半47分、青い烈風・WTB宮上廉が約30メートルを走り切る逆転トライを奪い、19-16の3点差で退けた。
 来シーズンはAグループの舞台に返り咲き、創部80周年を迎える。

 再昇格を勝ち取った黒須夏樹ヘッドコーチ(以下、HC)の、勝者の弁はこうだ。 

「今は、とにかく選手たちの1年間のハードワークが報われて良かったなという気持ちです。遠方まで足を運んでいただいたファンの皆さんとは、2週間前の優勝と今日の昇格の喜びを分かち合うことができ、大変嬉しく思います。シーズンを通して熱い声援ありがとうございました」

写真は2025年7月26日に本拠地でおこなわれたJR西日本レイラーズとのトレーニングマッチの様子。「チームに馴染んできたのは夏頃でした。チームメイトと仲が深まり、試合でのパフォーマンス向上に繋がりました」。(撮影/山形美弥子)


 試合内容について、こう振り返る。

「普段しないようなイージーミスを前半自陣内で犯し、それでも3点ビハインドでハーフタイムを迎えられたのは、春から一番強化してきたディフェンスのおかげでした。後半はスチールを連発し、ロスタイムではアタックを継続して逆転トライを奪えたので、本当に素晴らしいパフォーマンスだったと思います。しかもそのロスタイムには、交代で入った、我々が“ガッツメンバー”と呼ぶ選手たちが躍動してくれたのも、チームとして誇らしかったです」

 ハーフタイムのロッカーでは、選手たちが落ち着いて前半のレビューをおこなっていたそうだ。黒須HCからは、後半やるべきことだけを明確に伝えた。「アタックでのサポート、ディフェンスでは踏み込んでのタックルです」。

 この試合に怪我で不出場だった宮川は、試合前、出場メンバーのためにノンメンバー全員から応援メッセージを集めた。若林将哉と山田聖也は、モチベーションビデオを作った。

「それは今のアトラスターズの一体感を体現しているものでした。たとえ入替戦に負けたとしても、チーム作りのプロセスとしては大成功だったと感じました」

 そう話す黒須HCは、2025年6月にチームに合流して以来、毎回のゲームごとに、課題と成果を選手の一人ひとりにフィードバックしてきた。

「夏樹さんからは、毎回、アタックのことを高く評価していただいています。『この判断はテレパシーでも仲間と繋がっているの?』といったお褒めの言葉をいただき、モチベーションアップに繋がっています」

 ディフェンスに関しては、毎回、修正を指摘されていたらしい。

「味方を自分の指示で動かすことについてです。LINEで映像と共に細かいアドバイスをいただいており、日々練習で改善しています。徐々にアトラスターズのディフェンス・システムにフィットすることができ、フィードバックでも改善できているねといった言葉をいただいています」

2025年は、闘志をむき出しにして戦うスーパールーキー・宮川の一挙手一投足が、チームに活力を与えた1年だった。横河武蔵野としては、未来を託すSHが見つかったというところだろう。写真は2025年11月22日、秩父宮ラグビー場。(撮影/山形美弥子)


 リーグ戦では、チーム戦略を理解し、自分の強みを生かし、難なくチームにフィットしているように見えた宮川だったが、「今年はシーズンを通してパスの修正をおこなっていました」と明かした。

「ザブさん(森洋三郎BKコーチ)やSHの先輩方につきっきりで見てもらいながら、試行錯誤を重ねて、パススキルの向上に取り組んでいました。もともと高校、大学時代からハイテンポに捌くことを得意としていましたが、その癖から全てのラックから一歩持ってボールを捌いており、チームのリズムが崩れることがありました」
 
 そこを修正しようと、ラックからの球捌きを入念におこなった。
 
「シーズンでは、ボールを持ち出すところと、その場から捌くところを使い分けて、上手くできるようになりました。このスキルが良い判断へと繋がったと考えます」

 練習の積み重ねによって、キックにも自信が生まれた。

「秩父宮でも強みは出せていました。キックに関してはチームの戦略で、自分でもかなり練習して強みにもなっていたので、思い切って蹴っていました。常に同じフォームになるように意識して、練習してきました」

 残念ながら、2回目の先発出場となった11月22日の富士フイルム戦(秩父宮)で左膝の前十字靭帯を断裂した。1年目のプレーは、そこで終了。復帰は来年の夏頃になる予定だ。
 
 先のことは、あまり考えたことがないという。10年後に、自分がどうなっていたいかと尋ねると、「まだまだプレーしていたい」と切り出す。
 
 今年9月14日におこなわれた開幕戦が、横河武蔵野でのファーストキャップとなった宮川。かたや、チーム最年長のSH・那須光(35歳)は、その試合で100キャップに到達した。
 
「那須さんの100キャップの試合に1キャップとして自分が出場して、100の凄さを体感して、自分も目指したいって思いました。試合数の少ないトップイーストで、100試合の出場は簡単ではないことは分かっていますが、10年後はその数字を狙える位置にいたい、もしくは達成していたいです。あと、チームがリーグワンに上がれていたら嬉しいです」

 宮川がひたすら進み入ろうとするその世界に、地図はない。しかし懐の中に、何かとてつもなく楽しいことが始まるような、明日の期待を秘めている。

ボックスキックに自信あり。「キックに関してはチームの戦略で、自分でもかなり練習して強みにもなっていたので、思い切って蹴っていました」。(撮影/山形美弥子)


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