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フィニッシャーの名に懸けて、火の粉を散らして生きてきた。
強靭なフィジカルと鍛え上げられたスピードは、東芝ブレイブルーパス東京(以下、BL東京)時代の血と汗の結晶。切り裂くようなステップを武器に、宮上廉が成熟期を迎えている。
BL東京から横河武蔵野アトラスターズへ移籍したのは2024年8月。翌9月に、トップイーストリーグAグループ開幕戦に先発出場し、前半2分、先制トライを挙げて歓声を浴びた。さらに、同年10月には、国民スポーツ大会「SAGA2024」競技成年男子7人制で佐賀県選抜チームの主将を務め、10年ぶり2度目の優勝を果たし、チームマネジメントにおいても成功した。

軽く握った左手の拳は、宮上が爆発するサインだ。待ってましたとばかりに、左足の素早い踏み込みでタメを作り、身体を僅かに浮かせるや刺すように跳躍する。
「ステップに関しては、様々な選手を見て研究した結果、いまの動きに繋がっています。ギリギリまで相手のタックルを見て、逆をつくようにしています。極端に言うと、バックステップすることを意識しています」
弾力のある鋼鉄のような筋骨から生まれる緩急の連続は、すべてが一瞬の出来事だ。小刻みに方向を変えながら前後左右に軽々と地面を蹴り、ディフェンスの壁をすり抜ける。攻め込まれた相手は、軽く膝を曲げていまにも飛び掛かりそうな体勢を取ったまま、しょうことなしに動けなくなる。

小金井ラグビースクールでラグビーを始めた。初めての練習で、絶対に自分に向いていると感じた。それ以来、ただ純粋にラグビーが大好きで続けている。
いまでも目を閉じると浮かんでくる、忘れられない光景がある。
2007年2月25日、1万8618人の大観衆を飲み込んだ秩父宮ラグビー場。当時9歳の宮上は、目の前で繰り広げられる熱戦を一心に見つめていた。
第44回日本選手権大会決勝、東芝ブレイブルーパス×トヨタ自動車。
勝てば2年連続6度目の優勝となる東芝。5年間、監督を務めた薫田真広氏にとって、この一戦が最後の指揮となった。この年、トップリーグ3連覇を果たした東芝は、トヨタに対し、2007年1月のマイクロソフトカップ準決勝で38-33、2006年12月のトップリーグ第11節を34-18で上回っていた。
対するトヨタも、日本選手権大会準決勝において、マイクロソフトカップ準優勝のサントリーを39-17で圧倒しており、本戦での実力は互角と見られていた。
試合は、東芝12-3トヨタで前半を終え、後半12分、トヨタが1T1Gを決めると、12-10で膠着状態に突入した。勢いを増すトヨタは、複数の怪我人を生みながら死闘を展開。逆転ムードを高めていくトヨタに対し、ボールを支配するも、焦りによってパスが乱れ、一進一退を繰り返す東芝。
後半38分、トヨタ陣内10メートルラインと22メートルライン中間での東芝ボールスクラムから左へ展開するも、堅いディフェンスに阻まれ、モールを作って立て直す東芝。再度左へ大きく展開すると、パスを受けたナタニエラ・オトが、相手ディフェンスを引き寄せ、絡め取る。後方を走り込んでくるFB・立川剛士へ、倒れ込みながら巧みに繋ぐ。
加速する立川。絶妙なステップでトヨタの最後の砦を交わすと、津波のような大歓声の中を走り抜ける。勝利を確信し、右手でボールを掴み、トロフィーのように高々と掲げ、インゴールに置いた。
この劇的な一瞬が、少年の胸のど真ん中を射抜いた。
「必ず東芝の選手になる」
立川に憧れ、立川の母校・佐賀工へ進学すると、2015年には高校日本代表候補に選ばれ、一躍注目のプレーヤーに成長した。その後は関東に戻り、『深紅の王者』帝京大に入学。特に3年時の対抗戦における活躍が高く評価され、BL東京への切符を手にした。

2020年の春、13年間憧れ続けた念願のBL東京に入団した。しかし、それは宮上のラグビー歴における、もっとも輝かしく、もっとも過酷な章となる。
憧れのチームの選手になりたくてもなれない人のほうが多い。実現したとしても、スター選手として輝けるのはほんの一握り。そんな世界では、指先でちょっと動かせば変わってしまうような些事が、人の運命を分けるのかもしれない。
コロナ禍とともに始まった社会人ラグビー歴。その頃はちょうど2019年ワールドカップで活躍した外国人勢がリーグワンになだれ込んだ時期にあたり、メンバー争いは熾烈化した。さらに7人制日本代表に召集されていたことも相まって、宮上のメンバー入りは難航した。
何かしらの理由によって、チームから離れるタイミングは必ず訪れる。
セブンズ日本代表16キャップを誇るも、胸の奥深くに掻き抱いていた“赤いユニフォーム”を着ることはできなかった。BL東京の在籍期間は4年間。退団という重大な決断について聞くと、「自ら選んだ退団ではないです。東芝でプレーすること以外考えていませんでした」と打ち明ける。
「チームへ貢献できず申し訳ないと思っています。4年間という短い時間でしたが、素晴らしい同期や先輩後輩と出会え、幸せな時間を過ごすことができ、会社員として仕事をする上で、指標となる方にたくさん出会えたことは、僕にとってかけがえのない財産だと思っています」
始まりがあれば、終わりがある。終わることによって、始まるものがある。
「プロになって移籍も考えましたが、当時1歳の娘、妻と楽しく暮らすのが一番だと思い、東芝で仕事をしながらラグビーを続けられるチームを探していたところ、横河武蔵野アトラスターズに迎えていただきました」
BL東京に代わって、これから先は横河武蔵野が宮上のキャリアを支える。

自身の性格について、「とても諦めが悪い」と話す。
大学2年の夏合宿で脳震盪を起こし、医師から「もう一生ラグビーができなくなるかもしれない」と宣告された。約1年間の療養生活が続く中、その言葉の残響が胸をえぐり続けた。
しかし、「どれほど儚い希望の楼閣といえども、強い言葉と声に支えられれば砂上に建たぬものでもない」(奥泉光著『石の来歴』より)。翌2018年10月、対抗戦初戦で復帰し、4トライを挙げる活躍を見せ、全7試合に出場した。
この復活劇は、その後の宮上にとって素地となり、楼閣の支柱となっている。
宮上が試合開始前に見せる表情は印象的だ。眩しい光を覗き込むような真剣な眼差しで、一人静かに境界の内側を見据えている。様々な光景が一瞬の熱い風のように吹き抜けて過ぎる。横河グラウンドを照らす陽射しは、宮上の前途の成功をありありと映し出す。百草グラウンドで培ったマインドを、このグラウンドに轟かせ、宮上は横河武蔵野にとって欠くことのできない存在となった。
今シーズンは春季交流戦トーナメント2試合中2試合、秋季リーグ戦8試合中6試合に出場した。
横河武蔵野の今季成績は、7勝1敗で勝ち点33。12月7日の最終節で大塚刷毛製造 BRUSHESを56-33で下し、トップイーストリーグBグループを制覇した。
12月20日、会瀬スポーツ広場(茨城・日立市)でおこなわれるA/B入替戦で日立Sun Nexus茨城(A5位)と対戦する。OB会では、家族・友人を対象に「入替戦応援バスツアー」も計画中だ。勝てば、来シーズンはAグループの舞台に返り咲き、創部80周年を迎える。
仲間とともに、チームの長い歴史を振り返り、これからの未来へ向け、宮上にとって意義ある進歩を遂げるシーズンとなるよう願う。