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人と違った道を征く。
それは憧れが原動力になっていたり、ラグビーへの愛情の強さの表れ、独特な人生の描き方によることもある。
三菱重工相模原ダイナボアーズにリーグワン2025-26シーズンから加わる三宅駿の歩んできた道は、唯一無二と言っていい。
11月25日、ダイナボアーズのグラウンドにその姿があった。来月24歳。ニュージーランド、クライストチャーチで暮らし始めて8年が経ったスタンドオフが来日したのは先週のこと。
チームに合流して僅かな時間しか経っていないのに仲間との距離が近いのは、昨年も約3週間、練習生としてチームの活動に加わったことがあるからだ。
その時に同じ時間を過ごした人がいる。日本語も英語も話せるから、チームの誰とでも距離が近い。「みなさんフレンドリーなのでコミュニケーションもスムーズに取れていて、充実しています」と相好を崩す。
南アフリカ代表として42キャップを持つルカニョ・アムも加わった。新しい生活に期待がある。

チームメートたちの支えがありがたい。
「スタンドオフなので、チームのコールもすべて覚えないといけないし、それを(いろんな状況下で)パンパン(と反応良く)言わないといけない。慣れるまでサポートしてもらいながらやっていくことになると思います」と話す。
10月までNZの国内州対抗選手権(以下、NPC)のカンタベリー代表の一員としてプレーし、決勝でも途中出場。チームの優勝に貢献した。
同チームには前年も所属し、その前年、2023年シーズン途中、タズマンに怪我人のカバーとして加わった時がNPCデビューだった。
プロ選手としての階段を昇っている途中の三宅がダイナボアーズに加わり、リーグワンでプレーすると決めたのは、「ラグビー人生を考えた時、その時点でいちばん高いレベルでプレーしたいと思ったからです」と決断の理由を語る。
今季の州代表の活動が終わったのが10月下旬で、12月中旬にリーグワンが始まる。1年を通してプロとして活動をしたいと思っている三宅にとっては嬉しいカレンダー。
「スーパーラグビーでプレーするレベルには、まだいけていません。ここ(ダイナボアーズ)で経験を積むことで、また来年もNPCの契約を取ることにつながればいいなと考えました」
リーグワンという未知の世界で、さらなる成長を望んでいる。
日本のいくつかのチームの中でダイナボアーズを選んだのは、このチームが自分の人生をサポートしてくれるからだ。「ニュージーランドの永住権を取りたい。それに必要なことについて、柔軟にアジャストしてもらえるので」と感謝する。
2025年4月に永住権取得に必要な条件の1段階目をクリアした。2段階目はトラベルコンディション。2年間、毎年184日は現地で過ごすことが必要だ。
2季プレーする中で、チームはその環境を与えてくれる。

神戸出身。ラグビー好きの祖父と父の影響から、5歳の時に芦屋ラグビースクールに入った。最初は野球に加え、ふたりの兄同様サッカーもプレーしていたが、いつの間にかラグビーに熱中した。
いつもテレビ中継を見ていて、スーパーラグビーが大好きになった。それが未来につながる。中学時代に父と話し、ニュージーランドの高校へ進学しようと思い始めた。
中学2、3年時に兵庫県スクール選抜のメンバーとして全国ジュニア大会に出場、太陽生命カップ全国中学生大会(芦屋ラグビースクールで出場)でもプレーした。
海を渡ったのは中3の3学期が始まるタイミング。全国ジュニア大会が終わった直後だった(2017年2月)。「スーパーラグビー、オールブラックスを目指してみたい」と大志を抱いて南へ飛んだ。
クライストカレッジに進学。語学力も鍛え、ラグビー部での活動もうまくいった。日本ではCTBやFBだったが、1年目はチーム事情もありSHでプレー。2年時からインサイドCTBを任され、やがてファーストフィフティーン(50試合以上出場)になった。
各年代のカンタベリー州代表にも選出。高校卒業後はカンタベリー大学に進んだ。U19州代表、U20クルセイダーズ、カンタベリーのデベロップメントスコッド(州代表Bチーム)にも選出。同大学のクラブでプレーしている時にはNZU(ニュージーランド大学クラブ選抜)にも選ばれた。
強豪のマリスト・アルビオンにプレーの場を変えてからは地区のクラブチャンピオンに輝き、NPCへの階段を昇っていった。

ニュージーランドラグビー、オールブラックスのキャップを持つ選手やスーパーラグビー経験者も多いカンタベリー代表の中で揉まれ、染みついた、王国の感覚が武器になりそうだ。
本人も、「先にコールしたことをするだけでなく、目の前の状況に臨機応変に判断し、空いているスペースがあればそこを攻めるようなプレーをしたい」と言う。
「僕が正しいとかでなく、気づいたことも言い合ってポジティブにやっていきたいですね。日本人の選手から学ぶことも多いと思うし」
外国出身選手と日本選手のつなぎ役もやれる。
170センチ、86キロと小柄も、ディフェンスで体を張れる。
「(ニュージーランドで)最初からやれたわけではありません。高校1年の時、いまオールブラックスの(レスター)ファインガァアヌクが3年で、飛ばされたこともあります。でも経験を積んで、年々ばんばん行けるようになりました。いま、大きい相手も全然こわくない」と心強い。
現代ラグビーのトレンドになっているキッキングゲームにも対応できる力を持つが、チームとの連動が重要と考える。サッカーもやっていたからスキルは高い。
「スタンドオフとして、キャッチ、パス、ランでもキックでも、バラエティを持つことが大事。その中でチームのプランに対して、ベストなスタイルを出していかないといけない」
シーズンイン後を考え、「練習の中でいろんなキックを練習し、その週の(相手に合った)プランに合うようなプレーで結果を出せるようにしていきたい」とする。

周囲とのコミュニケーションを大事にするも、長く海外で暮らしてきただけに、「自分の日本語が大丈夫か、言いたいことが通じているか不安。聞くのは大丈夫ですが、たぶん喋るのは、めっちゃ下手だと思います」と笑う。
ニュージーランドでは先輩後輩の感覚はないが、大事なのは「相手をリスペクトすること」と思っている。
「ただラグビーのフィールドの中では(年齢に関係なく)自分の思うことを言うようにしています。相手の考えも聞いて、お互い学べるといいと思っています」
日本代表のスタンドオフを務める李承信とは1学年違いで、ラグビースクールでは対戦したこともあれば、たまに連絡を取り合う仲。現在、代表チームの中心選手として活躍する姿に「すごいな、と見ています」。
自分も国際舞台に立つ未来図を描くが、「リーグワンで通用するかどうかも分かりません。まず1年目、チームに貢献しながら、自分がどれくらいのレベルにいるか探りながら、活躍できるように頑張りたいですね」と気を引き締める。
幼い頃から「夢を大きく持とう」という方針の中で育てられ、オールブラックスになることを目指して楕円球を追い続けた。
その夢を捨てたわけではなく、いま、プロ選手として一歩一歩階段を昇る気持ちが強い。
リーグワンでプレーする前から代表チームのことを語るような「甘い考えはありません」。
「しっかりやって(その結果)上の段階に行けるのであれば、その時に頑張っていきたいと思います」
大学ではスポーツコーチングの学位を取得し、スポーツマネージメントが専門。その学びを生かし、出身クラブでのマネジメントスタッフとしての勤務経験もある。カンタベリー代表でのプロ選手としての生活と合わせ、ラグビーで生きる道を歩んできた。

2年後に永住権を得て、いまよりもっと自由に動けるようになったら、今年弁護士になったパートナーと「ふたりで世界をまわりたい」と夢を語る。
ニュージーランドではラグビーだけでなく、人生を愉しむ大切さも教わった。
ラグビーの国と言われるその場所で、15歳から育まれ、一つひとつ扉を開き、州代表でプレーした日本の選手はこれまでいなかった。本人も、「他の誰も経験できていないことをやってきたことを誇りに思っている」と言う。送り出してくれた家族への感謝もある。
「一生誇りに思えるようなアチーブメント(努力の末に成し遂げたこと)。最初は言葉の壁もありましたが、本当に中3(の途中)から行って良かったな、と思っています」
ダイナボアーズで、その思いをさらに強くするパフォーマンスを見せる。