
Keyword
※前編は、こちらに。
昨年(2024年)8月7日、南アフリカの喜望峰にあるディアス・ビーチでメディ・ナルジシは離岸流に飲まれ消息を絶った。メディはフランスU18代表として、U18インターナショナルシリーズに参加するため現地に滞在していた 。
この危険なビーチとされる場所でリカバリーセッションを提案したチームのS&Cコーチのロバン・ラドージュ(47歳)は過失致死の容疑で訴追され、司法管理下に置かれた。さらに、チームの責任者であるヘッドコーチのステファン・カンボス(54歳)も同様の理由で司法管理なしで訴追された。
さらに、スポーツ省が教育・スポーツ・研究総監査官を派遣し、92人を対象に聞き取り調査を実施して作成された調査報告書は、フランスラグビー協会が遠征の組織運営と悲劇発生時の対応の両方において、複数の不備があったことを指摘している。
◆がさつな準備や実状があらわに。
報告書を閲覧した「シュッド・ウエスト」紙によると、出発の数日前である7月28日に、航空券がまだ購入されていないことが判明した。当初トゥールーズから出発する予定だったフライトはパリ発に変更され、航空券は法外な費用をかけて急遽購入された。最終的に、代表チームは3便に分かれ、3日間にわたって段階的に南アフリカに到着した。現地では、協会のクレジットカードが使えず、荷物の超過料金の支払いにスタッフが自費で費用を立て替えた。書類の面でも、出張命令書、招集令状、ライセンスの有効性(13人の選手について)に関して、すべてが整っていたわけではなかった。
宿泊先も適切とは言えなかった。チームはまず、トカイの森にある宿泊施設「クリサリス・アカデミー」に滞在した。そこでの環境は質素で、部屋には暖房がなく、シャワーは屋外にあった。当時、南半球は冬だった。6泊した後、一行はケープタウン中心部のクレスタホテルに移った。また、「未成年者の集団受け入れとしての事前申告がなく、規制に準拠していない」と判断されている。さらに、選手たちに水泳能力の証明や適性テストが求められていなかったことも指摘されている。
「指導チームの準備が不十分であった」ことも指摘されている。「協会の幹部がオリンピックに動員されていたことや、予算の制約が、指導と移動や宿泊先などロジスティクスに関する決定を説明する理由にはなり得るが、それを正当化するものではない」と報告書は判断している。
「南アフリカでの合宿の組織は、未成年者の集団受け入れに関する多くの点で規制を遵守していない」と指摘し、その後に協会の危機管理を「不適切」と厳しく非難している。その理由として、「協会の財政難と、昨年10月に行われた会長選挙戦の緊迫した状況が、内部の雰囲気を混乱させていた」ことを挙げている。
協会が実施した内部調査の報告書については、「集団的な責任否定の一形態」と見ており、「遠征の組織状況や協会およびその幹部の責任については検討せず、専ら2人の国家公務員であるU18のヘッドコーチとS&Cコーチに、重く責任を負わせている」と批判している。
ヘッドコーチのカンボスとS&Cコーチのラドージュはスポーツ省から協会に派遣されている公務員である。これが責任の所在を曖昧にする一因になっている。フランスラグビー協会には、スポーツ省管轄下の「全国技術指導部」という部署があり、2人はそこに配属されている。協会の内部調査報告書では、U18のスタッフの選考も「全国技術指導部」の責任とされており、協会はそれを理由に責任の免除を主張する。グリル会長は、スポーツ省の監査官の聞き取りに対して、「協会は全国技術指導部に対して階層的な権限も機能的な権限も持っておらず、階層的な権限がなければ、責任はあり得ないし、ましてや刑事責任はあり得ない」と主張している。司法がどう判断するか注目される。

協会のシルヴァン・ドゥルー事務総長は、「レキップ」のインタビューの中で、「組織運営や事務手続きに不備があったこと、そしてコミュニケーションにおいて不手際があったことは認めます。しかし、私たちが引き継いだ協会は、財政面、組織運営、そして倫理面においても荒廃していました。私たちが着手した再建作業は非常に大規模なものです」と訴えている。
さらに、「メディ選手のご家族は、地獄のような、とてつもない悲劇の中にいます。このような状況で協会のイメージについて語るのは不適切に思えるかもしれません。2年前、この協会がどのような状況にあったか、あえて思い出させる必要はないでしょうが、2023年ワールドカップの赤字や、旧体制に関する問題などが次々と明らかになっていました。私たちは、この協会の財政、インフラ、そして国際的な地位を立て直している最中なのです。
私たちが伝えたいのは、協会には責任があり、それを引き受けますが、フロリアン・グリル会長個人に責任はないということです。会長は常に正面から向き合い、ご家族から目をそらさず、常に寄り添おうと努めてきました。組織に不備があり、その不備を認め、これからも責任を負っていきます。メディの記憶のためにも、司法が介入し、正義がもたらされるべきです」と語っている。
◆つらい時間を過ごす、家族と仲間。
しかし、1年経っても誰も責任を認めようとしない状況は、メディの遺族をさらに悲しみに追いやり、現場にいたスタッフ、協会、そして協会幹部への怒りが募るばかりだ。
姉のイネスは「時間が癒してくれると言うけれど、私にとっては逆。時間が経つほど、現実に何が起きたのかを痛感させられる」と語る。
父のジャリルは、「あの日、そばにいられなくて、ごめん。あのような人々に任せてしまったこと、ラグビーへと導いてしまったこと…」と自身を責める。トゥールーズ郊外にある、かつて自身が指導していたアマチュアクラブのチームのコーチを辞任した。
母のヴァレリーも、協会を信頼して息子を託したことを悔いている。そして、「海が息子を返してくれていたら、皆がお参りに行くことができたのに」と嘆く。
メディがいなくなってから、父は消防士の職を、母は保育園の補助員の仕事を休職している。「自分の子どもも守れなかったのに、どうして他人の世話などできるだろうか」と自分たちを責めている。
「ル・パリジャン」がインタビューのためにナルジシ家を訪れた。通されたリビングの壁には、東京のスカイツリーのてっぺんで父と息子で撮った写真が飾られている。2022年、メディが当時所属していたアジャンでU16フランスチャンピオンになったお祝いに、2人で日本を旅し、富士山に登った。しかし、いま、父はその写真を見るのが辛い。
苦しんでいるのは彼らだけではない。メディが消えていくところを見てしまったチームメイトもトラウマに苦しんでいる。
ある選手は6か月、何も話さなかった。「私たちはあらゆる手を尽くしましたが、話すなんて、とても無理なんです」と、彼の母親は悲しげに言う。
「時間が経てば、少しは心を開いてくれると思ったのですが、何も変わりません」
しかし、ある朝、突然、事件以来、一度もメディの名前を口にすることのなかった青年が、「今日はメディの誕生日だから、ご両親にメッセージを送ってあげて…」とだけ言い、再び沈黙に戻った。2025年2月13日、メディ・ナルジシが18歳になるはずだった日だ。
彼は協会からの聞き取りも拒否し、司法捜査官とも会おうとしなかった。心理士の診療を2、3度だけ受けさせることができたが、それっきりになっている。「息子は一人で戦っています」と母親は言う。
心を閉ざしたのは彼だけではなかった。悲劇の現場にいたチームメイトの中には、同様に沈黙に陥った者もいる。「防衛反応だ」と心理療法士は説明する。身体はたくましくても、心はまだ大人になりきれていない彼らにとって、この重荷はあまりにも大きすぎた。
「息子が苦しんでいるのに、どうすればいいか分からないのです」と、ある父親は途方にくれている。「昨年9月、私たちはWhatsAppで他の親たちとビデオ会議を行いました。その時、自分たちだけではないと気づいたのです。会議は全部で3回開かれましたが、多くの親が途方に暮れていました。泣き崩れる母親たちもいました」
孤立し、トラウマに囚われた子どもたち。彼らを助けることができず、また、想像を絶するであろう悲劇を生きているナルジシ家がいる中で、自分たちが助けを求めることにも罪悪感を抱く親たち。
「協会は私たちの子どもをいつ壊れてもおかしくない状態にしてしまった」と、ある父親はスポーツ省の監査官に証言した。
メディが行方不明になったその日の夜、ショックが大きすぎてほとんどの選手はフランスにいる親に連絡することさえ思いつかなかった。「私たちは新聞で事故のことを知ったのです」と、ある父親は漏らした。
「誰も私たちに知らせてくれなかった」

◆終わりの見えない不安と不信感。
昨年8月10日、パリのシャルル・ド・ゴール空港で、親たちは2つの便に分かれて到着した子どもたちを迎えた。
「子どもたちがひどく落ち込んでいるのが分かりました」と、ある父親は言う。
「私たちは何も知らされていませんでした。協会からも、U18フランス代表チームのスタッフからも、誰一人として私たちのメッセージに返事をくれず、どうすればいいのか分かりませんでした。その日も何一つ質問に答えてもらえないまま、空港をあとにしました」
その後も、彼らの疑問に対する答えはほとんど得られなかった。「協会から、ある心理士の電話番号が書かれたメールが届いただけでした」と、ある母親は憤慨している。
「その心理士に電話をかけると、彼女は驚いているようでした。息子の沈黙や私たちの状況を伝えると、彼女は手短に、当たり障りのない言葉で答えただけでした」
多くの選手たちのサポートは、協会や地域の育成機関と連携はしていたが、実際に動いたのはそれぞれの所属クラブだった。心理士の手配もしてくれた。心理士とのセッションでは、各々が異なるケースを抱えつつも、同じトラウマを負っていることが明らかになった。
「息子は誰にも話したがらず、心理士のところにも数回しか行きませんでした。心理士からは、これから何が起こるかについて聞かされました。その通りになったのです。息子はすべてを一人で抱え込み、よく眠れず、体調も戻りませんでした。高校の最終学年だったのに、学業から離れてしまい、ラグビーでも怪我をしました」とある母親は語る。
実際、スポーツ省の報告書によると、多くの選手が帰国後、心身症の症状を見せたり、クラブで怪我をしたりしている。
「悪い影響は感じていません。むしろ、ある選手は信じられないような素晴らしいシーズンを送った」と楽観的な見方を示すコーチもいれば、「明らかに調子が良くないのが見て取れた。ぼんやりと上の空になることがあり、元のレベルに戻るのに苦労した選手もいた」と慎重な姿勢を見せる指導者もいる。
一人の選手の父親が民事訴訟に参加したのを除けば、協会を相手取って訴訟を起こした家族は他にいない。調査によると、事故のあとに少しずつ得た情報に愕然とした複数の家族が、協会を提訴することを検討していたという。しかし、彼らはそれを取りやめた。
「私たちの子どもたちはラグビーのために生きていて、子どもの今後のキャリアに不利な影響を与えたくないのであまり不満を言えないのです」と、ある選手の母親はスポーツ省の調査に対し証言している。
この事故後、協会は、スポーツ省のプラットフォーム「未成年者の受け入れに関するオンライン手続き」上での未成年者集団受け入れ届出を義務化し、家族と選手向けに、遠征や宿泊、スケジュール、そしてラグビー以外の側面についても網羅した遠征ガイドブックを作成、家族が必要とするすべての情報と重要な連絡先をまとめた共有フォルダを設置した。
さらに、合宿の前には毎回、ビデオ会議で家族に遠征全体の詳細と担当スタッフを紹介し、滞在中は48時間ごとにメールを送り、現地での状況を知らせる。そして、帰国の2日前には、家族が子どもたちを迎えに行く準備ができるよう、連絡を入れることにした。
また、予算削減でカットした「団長」というポストを復活させた。
「すべて、メディに、そしてご家族に対して果たすべき責任なのです」と協会のドゥルー事務総長は述べている。しかし、それぞれの証言が食い違い、誰が真実を述べているのか、誰が本当にメディとその遺族のことを思っているのか、わからない状態だ。司法捜査は現在も続いている。
「メディのためにも、真実と正義が必要です。私たちは終身刑を言い渡されたようなものです。メディを取り戻せないのですから」と母ヴァレリーは訴え、「私は司法を信じています」と希望を託す。