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【熱血沸騰! 台灣橄欖球③】はまぐりと最強ラグビー、そして絆。
台湾大に学び、ラグビーを楽しむ宮崎雄輔。(撮影/松本かおり)
2026.01.20
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【熱血沸騰! 台灣橄欖球③】はまぐりと最強ラグビー、そして絆。

田村一博

 杜元坤氏の視線の先には、若者たちがラグビーを楽しむ姿と、ラグビーを通して仲間の輪を広げる姿が常にあった。
 昨年末(2025年末)の12月27日、28日に台湾・台北で開催された『YUAN-KUN CUP TAIPEI SEVENS 2025』(2025台北元坤盃國際大專七人制橄欖球邀請賽)には、個性的な若きラグビーマンたちが、何人もいた。

 台湾大学の背番号10は日本人だった。宮崎雄輔は同大学の大学院に学びながら、楕円球を追っている24歳。報徳学園高校時代は花園の芝の上に立ち、摂南大でもプレー。大学4年時は3試合で13番のジャージーを着た。

 台湾大学に進学したのは2024年の9月から。摂南大を同年春に卒業し、その後、旅行などでのんびり過ごす。語学テストや入試エッセイの提出、評価を経て、台湾の国立名門大学の大学院への入学が叶った。

 大学時代は法学部に在籍、卒業するも、現在は、以前から興味のあった生物科学について学び、満足いく日々を送っているという。
「新しい自分の可能性を広げたいと思い、台湾大学に来ました。勉強とラグビー、両方を楽しめて、とても充実しています」

台湾トップの国立大学、台湾大。ラグビーを好きになって社会に出ていく者が多い。写真右上は宮崎雄輔。(撮影/松本かおり)


 噛み砕いて言うと、はまぐりの(中の)微生物から抗癌治療薬を作る研究をしているそうだ。大学院を卒業した後は商社勤務を考える。
「研究している分野を世の中に広めたい」夢を、仕事を通して追いたい。

 兄の影響を受け、小1の時に東大阪のOTJラグビースクールに入った。中学からは報徳学園中で楕円球を追った。
 台湾との縁ができたのは小学校時代。姉が地元の小学校に入る際の制服採寸時、先生たちから情熱が感じられないと母が判断。知人からの勧めもあり、しっかりとした人間教育をしてくれる大阪中華学校に通う道を提案したことがきっかけだ。

「環境に育ててもらいなさい」と導いてくれた母に感謝する。
 中華民国僑務委員会の承認を受けている同校は、『日本と中華文化の架け橋として、幼稚班・小学部・中学部で「生きる力」を育みます』と掲げ、中国語、日本語、英語の三言語教育を基盤としている。また、多文化共生の精神を重んじている。

「そんな環境だったので、自分の中で台湾は第二の故郷となっていったんです」
 実際に暮らしてみた台湾には、想像していた通りもあれば、住んでみないと分からないこともあった。
「みんな時間にルーズなところがあって、地べたに座る。僕自身も、いまではそうなっています」
 愛すべき地で気のいい仲間と過ごすのは、残り数か月の予定。楽しみ尽くすつもりで、日々を過ごす。

準優勝の延世大。写真左上が金泰均主将。写真右上、円陣中央が李明根監督。(撮影/松本かおり)


 優勝した拓大に敗れて頂点には届かなかったものの、運動能力の高い選手が揃っていた韓国・延世大。キャプテンの金泰均(Kim Tae kyun)は、Netflixで人気の『最強ラグビー! 〜生きるか死ぬか〜』にも出演したそうだ。
 大学3年時、雨の日の試合でCTBとしてプレーしたシーンだった。

 2025年春に大学を卒業。今回の大会には、兵役に行く前の期間を利用して参加した。
 中2でラグビーを始めた。大学ではスポーツビジネスについて学んだ。
 前出の『最強ラグビー!』について、「韓国の人はラグビーをあまり知らないので、どういうものかを知ってもらうことはできたと思います」と話した。

 金主将は、台湾を初めて訪れた。台北に寒波が押し寄せていたとはいえ、極寒のソウルと比べたら「春のよう」と笑顔。ただ、旅の疲れもあって初日は「本領を発揮できなかった」と話した。
「試合を重ねていくうちに、いいパフォーマンスを出せるようになってきたと思います」

 セブンズ韓国代表の経験もある同主将は、大会で台湾代表と一緒になったこともあり、なんとなく台湾ラグビーのことは知っていた。
 しかし、台北に降り立って初めて分かったこともたくさんあった。
「自分たちの国から出て、大学の名を背負ってプレーできるのはとても光栄なことだし、新しい感覚もありました。こういう機会をこれからも与えてもらえるなら、後輩たちにも(参加を)続けていってほしいですね」

 監督としてチームを率いた李明根さんは、日本のワールド、クボタでプレーした人。選手たちが国際大会に参加することでラグビーだけでなく、文化的な知見も得る姿を温かく見守っていた。

ソウル大はチームの結束力と理解力の高さが武器。写真右上が車胤碩主将。(撮影/松本かおり)


 韓国の国立、トップレベルのソウル大も健闘した。
 主力選手の卒業、力のある留学生の在籍終了などもあったが、結束して戦った。一般の部(全16チームの中の下部8校参加)ながらベスト4に残るパフォーマンスを見せた。

 高校時代からプレー経験のある選手もいるが、し烈な受験を乗り越えて入学した後、ラグビーを始める選手も少なくないクラブ。強みは、理解力の高さを生かした飲み込みの良さと、団結力だという。
 車胤碩(Cha Yun sug)キャプテンも大学デビュー。運動教育を学んでいて、卒業後は教員志望。ラグビーを教えていく希望を持っている。ポジションはFL、3年生だ。

 2年続けて大会に参加した同主将は、「この大会に招いていただき、本当にいい経験ができています。一番大事なのはラグビーの試合ですが、台湾をはじめ、日本やタイのチームも参加しているから、国際交流もできて、新しい知り合い、友だちもできる。そういう機会こそ、とても貴重です」と感謝の言葉を口にする。
 チームシャツには、代々スローガンとしている『無敵』の文字があった。文武両面で高いレベルでいよう、という目標が求められているそうだ。

 一般の部で優勝したタイのチュラロンコン大学は、同国内の大学カテゴリーで最強のチーム。セブンズ大会で優勝した実績から、タイ協会の推薦を受けて今大会に出場した。
 パチャラ・ポーパタピー主将は、「少なくともこの10年で、チームとしての海外遠征は初めてでした。なので、全員がわくわくして台湾に来ました」

 大会序盤は「ディフェンスが良くなかった」と反省も、タフな戦いを続けるうちにチームは調子を上げ、攻守にスピードあるプレーを見せて勝ち上がった。
 主将はタイ代表でも活躍する存在。試合の中でも目立っていた。

一般の部優勝のチュラロンコン大。来年は上位の部!? 写真上はパチャラ・ポーパタピー主将。(撮影/松本かおり)



 ポーパタピー主将は、ラグビーマンだった父の影響を受けて9歳でラグビーを始め、13歳の時に奨学金を得てニュージーランドに渡る。ネルソンカレッジに学んだ。
 一度タイに戻った後、オークランドグラマースクールにも留学。ラグビー愛は強いが、学力でも国内トップクラスの大学で学んだ会計学を活かし、大学卒業後は起業するつもりだという。

 2025年夏には東芝ブレイブルーパス東京の豊島翔平らがバンコクを訪れ、ラグビーの普及をおこなった。その時の縁で、日本に渡り、ブレイブルーパスのトレーニングに参加する機会も得た。
 スキルレベルも高いが、経験値も豊富。ビジネスの世界に踏み出した後も、ラグビー界と縁を持ち続けてほしい存在だ。

 台北での大会で仲間を増やした者たちが社会に出て、それぞれのフィールドで、楕円球愛を広めていく。
 そんな未来が実現すれば、『YUAN-KUN CUP』の価値はもっともっと高まる。




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