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【中村知春のアニキにっき】ラグビーで腎臓が破れた話。
8月17日の受傷直後。起き上がったものの、立ち上がれず。(撮影/松本かおり)

【中村知春のアニキにっき】ラグビーで腎臓が破れた話。

中村知春

「苦髪楽爪」(くがみらくづめ)という言葉をご存知だろうか。
 苦労をしている時は髪が伸び、楽をしているときは爪が伸びるという四字熟語である。科学的根拠はなさそうだが、実家で寝転がって爪を切っている時に皮肉まじりに母親がボソッと呟くのでなんとなく頭に残っていた。

 8月の試合の怪我の影響でラグビーから離れているこの1か月と少し、あっという間に髪が伸び、その言葉をふと思い出した。
 休養中でトレーニングをしていないため「苦」ではないような気もするが、ラグビーをしないということ自体が苦なのかもしれない。

 そういえば、ラグビーを「楽苦美」と当て字で書く人もいる。苦しみも楽しみも美しいと思えるのがラグビー道なのであれば、私はまだまだ未熟だなと、伸びた髪を括り上げながらぼんやりと思う、今日この頃である。

【写真左】搬送されているとき。顔が蒼白すぎる。【写真右】腎臓のMRI画像。反対の腎臓と比べると割れているのがわかる。(筆者提供)


 それはさておき、内臓損傷の話。
 8月17日のセブンズの試合(太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2025 グランドファイナル 札幌大会)で腎臓が破れる怪我をした。ラグビーでもあまり聞いたことがない割と大きめの怪我だったし、何よりもめっちゃ痛かった。たぶん5万HANAGEくらい(※5月コラム 痛みとラグビーと鼻毛参照)。

 損傷の具合を示す度合いはグレードⅢ。腎臓自体が衝撃によって裂けているが、分断はされていない状態、らしい。摘出せずに済んだのは運が良かった。約3週間の入院を経て日常生活には復帰することができた。段階的にラグビーにも復帰できる見込みだ。

 件の場面は札幌大会での3位決定戦。終始押され気味となった試合だった。後半なんとか1トライを返し逆転の糸口を掴み、1トライ1ゴール差、残り1分未満。なんとしてもキックオフボールの再獲得を狙いに行かなくてはいけない、ハイボールを追うプレーヤーとして覚悟を決めた、そんな状況での出来事だ。
 逆転の望みをかけてキッカーが蹴り上げたボールはやや低い弾道で再獲得を狙えるナイスコースだった。少し回り込む形でタイミングを合わせ落下点へ飛びこんだ。

(あ、これイケる!)……。
 そう思った瞬間、空中で相手選手と衝突し、鈍い衝撃がピンポイントで横腹に走った。

 自身の理解度を超えた怪我をすると、水中に潜ったような数秒間の静寂が訪れる。「ドゥン」とも「ボクゥン」とも形容し難いラグビー特有の衝撃の余韻が波動のように体内をジワジワと這い、往復する感覚。しばらくして徐々に周囲の音が戻ってくると同時に、何かやばいことが身体の中で起きたことがわかった。

 2〜3分起き上がれず、担架隊が来てくれた。しばらく芝に顔を埋めた状態から動くことすらできなかった。
 しかし、すでに交代枠を使い切り、私が退場したら6対7で戦うしかない状況だったことを思い出し、アドレナリンも手伝ってまた立ち上がってしまった。痛みを超え、もはや吐き気がしたが、最後のスクラムを組んだ。隣の選手の耳元に「マジでボール要らない……」とだけ伝えたら、あとはメンバーが察してくれた。

【写真左上と中】札幌での入院中。ディアナの皆さんが面会に来て助けてくれた。【写真左下】入院6日目になるともう元気。【写真右】札幌の病院を退院する日。久しぶりの太陽に泣きそう。(筆者提供)


 残り30秒ほどを戦い抜いたが結果的には敗戦。引きずられるように退場し、そこから人生初の救急車ライドとなった。
 病院までの20〜30分は果てしなく感じたし、徐々にアドレナリンが切れ、痛みというかもはや苦しみが延々に続くように感じた。車が揺れて振動が伝わるたびに鈍い痛みの波が広がるので、私が市長になったら絶対札幌の道路整備に一番予算を使おう、という謎の使命感がよぎったことだけ覚えている。

 画像検査を終えて処置室に戻った瞬間、体に慌ただしくどんどん管がつながれていった。一つの管からコーラのような黒い液体が流れていくのが見えた。それが血尿だと理解した瞬間、「あぁ終わった」と思った。
「これでラグビーも終わりか、あっけなかったな。せめて日本一になって終わりたかったな、まだやりたいことあったのにな」と悲しくはなったが、痛みは強くなる一方で、もう体を委ねる他はなかったし、生きているだけで感謝しなければ。

 それからドクターからの状況説明。腎臓の血管が破れてそこから出血が広がっている状態だった。

「腎臓がね、割れてます。粉々だよ」

 粉々って、内臓にも使えるんだ。ボーッとする頭でそう感じながらも、自らの腎臓の未来を嘆くことしかできなかった。「まあ最悪、腎臓はね、2個あるからね。」と続ける先生。そっか、ならよかったです、とはならなかったけど、そのまま止血処置の準備に入った。
 太腿からカテーテルを入れて腎臓の血管を人為的に塞ぐことで止血をするという。結果的には、その後自然に血が止まったおかげで、腎臓は保存することができたのだった。

 そのまま札幌で1週間ほど入院。3〜4日間ほどはHCUという、病室というよりは開けたフロアのような場所にいた。カーテンがないので、ベッドのお向かいさんとは手を振りあえるような(もちろんお互いそんな元気ないが)丸見えの状態。腎臓をやられると吐き気が半端なく、昼夜痛みと吐き気との戦いで、体重はあっという間に5キロ落ちた。

 病院特有の電動昇降ベッドのボタンを操作し、ウィーンと頭をあげては吐き気に苦しみ、しばらくしてまたウィーンと頭を下げる、というのを30分に一度繰り返して1日が終わる。
 地方の駅によくある、毎正時と毎時半に人形が現れて踊る、からくり時計の定期ショーみたいなスケジュール感で、私がゆっくりと現れてはオエオエしてゆっくりと消えていく、おそらく向かいのベッドの方の視点から考えてみたら、そんな感じだったと思う。
 お向かいさんにはいちいち申し訳ない気持ちはあったが、私もそれどころではなかったためご容赦願いたい。

【写真上】日田での入院中。リハビリとして散歩の許可が出た日。たぶん「ああ人生に涙あり」を聴いている。【写真左下】太陽生命シリーズ第2戦で負傷した大橋聖香と病院で再会【写真右下】リハビリ中の様子。(筆者提供)


 吐き気地獄から抜け出た後は、徐々に回復していった。動けないし、携帯も使えない。暇を持て余した私は昭和平成の昼のメロドラマや時代劇を延々見続け、テレビカードも相当数使って、無事に退院し、現在に至る。
 まだランニングもできていないし、復帰までの本当のリハビリの苦しみは、いよいよこれからである。

 さて、冒頭の「苦髪楽爪」も「楽苦美」も語源や由来については不明らしいが、とどのつまり、楽と苦は表裏一体であるのだ、と、そういうことなのであろう。

 入院中観ていた水戸黄門の主題歌「ああ人生に涙あり」でも、人生楽ありゃ苦もあるさ、と。確かそんなことを歌っていた。イントロが特徴的なこの曲、2番の歌詞がなんともリハビリにぴったりなのだ。この秋のリハビリ中のプレイリスト入り決定である。
 トレーニング場のBGMで流して、後輩たちに怪訝な顔をされる秋となりそうだ。

 それでは聞いてください、中村知春で、「ああ腎臓にヒビ入り」。


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