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【楕円球大言葉】17人、咲いたまま散り、ここからまた咲く。
成蹊大学戦に4番、LOで出場した成城大学の石川浩大。(写真提供/成城大学ラグビー部)

【楕円球大言葉】17人、咲いたまま散り、ここからまた咲く。

藤島大

 2025年10月5日。17人の成城大学の奮闘を見て、57年前、1968年6月8日の「16人目」を思い出した。 

 ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズの南アフリカ遠征での同国代表スプリングボクス戦。ウェールズの天才スタンドオフ、バリー・ジョンは開始30分に腕を骨折した。そこでポジション万能のバックス、アイルランドのマイク・ギブソンが、代わって芝の上に登場した。

 これがラグビーのテストマッチで初めての「サブスティテュート=選手交代」である。同年の競技規則改正(国際試合で2名限り。国内試合は1975年から)までは負傷者が退いても認められなかった。

 もっと古く1952年12月7日の東京・秩父宮ラグビー場。「明治の戦艦大和撃沈」は長く語られることとなる。天下分け目の早明戦。紫紺と白のフランカー、大和貞は開始15分に足首の骨を折った。
 あらためて交代はなし。のちに明治大学付属中野高校ラグビー部を強豪へ育て導く闘志の人は「もし自分の前に早稲田の選手が走ってきたらタックルできる」と自陣ゴール前でじっと待ち構えた。というのが伝説である。

10月5日、成城大学は17人で成蹊大学に挑んだ。成城大学ラグビー部の公式Instagramより


 いかにもタックルの鬼のあの男らしい。ここが話の核心だろう。ただ現場でバックローのコンビを組んだ元日本代表の名手、土屋俊明は生前に本コラム筆者に証言している。

「もちろん本人は再度グラウンドに立つことを申し出た。しかし北島忠治監督の説得によって無念の涙のまま淀橋病院へ向かった」

 かくして翌朝の新聞の見出しは「大和撃沈」。14人の明治大学は9-16で敗れた。

 いくらか現在に近づいて、最初の戦術的サブスティテュートは1996年11月4日の国際試合とされる。イングランドのクラブ、ベドフォードのフランカー、ショーン・キャシディが来征の南アフリカA代表戦の後半11分、ジャド・マーシャルと代わった。

 当時の国際統括団体であるIRBによって、この前日に「戦術的交替」は施行された。プロ化を迎え、よりスペクタクルな攻防をうながし、さらには、そのころなくもなかった「ケガのふり」の排除の狙いも含まれていた。

 ちなみに「戦術交代No.1」は「さほど試合に影響を与えなかった」(インディペンデント紙)らしい。

成城大学×成蹊大学の日の空。ラグビーの季節になってきた。(撮影/藤島大)


 さて先の日曜、成城は対抗戦Bの本命格である成蹊大学へ挑んだ。結果は14-68。昨年度は10-80なので差を詰めたともいえるし、なにより守ればよく体を張り、攻めれば果敢なランやつなぎの感覚の鋭さでチャンスを創造してみせた。

 スコアの印象よりも熱を帯びた。ただし後半は0-35。力をふりしぼり力は尽きた。なにしろ部員が少なくリザーブは21番と22番のふたりきりなのだ(負傷者が戻っても選手総数21人)。あろうことかイエローカードまで科せられて、57年前にも機能したサブスティテュートはままならない。

 試合後、関係者が教えてくれた。

「彼らは入学後のほとんどの試合で80分出場」

 フッカーの柴田祐也主将(成城学園)は最前線でハードにぶつかり、必要なら柔らかなパスを器用にさばき、転んでは動き、もうひとつ動いて、開始と終了の笛の音のあいだを生き抜いた。
 本人に確かめるとこう返した。

「わたしも1年からの対抗戦Bの秋の公式戦は24試合中22試合をフルで出場させていただいております。そこに関しては最初からわかっているので80分間の覚悟をもって試合に臨んでいます」

成城大学の選手たち。【写真左】HO柴田祐也主将。【写真右上】SO中山義郎。【写真右下】NO8前田優悟。(写真提供/成城大学ラグビー部)


 なるほど気力は萎えない。局面では抵抗できる。点差が生じても観客が退屈しないのはそのおかげだ。ただし筋力や肺に残る力はいかにも削られた。かたや成蹊はよく鍛えられ、総じて胸板は厚く、リザーブの8席はきれいに埋まり、みな、しかるべき時間にピョンピョンと人工芝のグラウンドへ駆け出した。

 陣容の厚みは違った。同時に、なんというのか、青にも近い緑に黒のジャージィの面々が原則15人で戦い抜いて、これもまたラグビーなのだと思った。

 唐突ながら「ボム・スコッド」の響きが頭を襲った。スプリングボクスが始祖であるはずのリザーブ編成である。計8人のうち屈強にして疲労の蓄積を知らぬフォワードが6人、ときには7人。そりゃあ後半も強いや。フル出場の大学生の抵抗しつつ消耗する姿が「ボム」の効き目をくっきりと示した。

 それにしても関東大学対抗戦Bはおもしろい。優れた個性も途切れない。
 成城の8番、2年の前田優悟(桐蔭学園)の覚悟の突進。10番、中山義郎(4年/成城学園)は、攻撃の構成力と防御での獰猛が両立している。前半終盤にトライ、3番の中村然(2年/成城学園)はそのときウイングのごとく駆けた。

今季の成蹊大学主将、SO菊本有真(左)。写真は昨季入替戦時。前主将のHO金子颯馬(右)からバトンを受けた。(撮影/松本かおり)


 成蹊はアタックの球を安易に後方に下げない。前へ前へ。ひとつずつの攻守に意気や覇気が満ちる。2023年度を「A」で過ごした。歓喜の昇格、最下位、失意の降格。甘くて苦い記憶はクラブの背骨を太くした。

 新人ナンバー8の小林隼太郎(茗溪学園)のしなやかにして強気なボールキャリーに未来を感じた。4年の強靭な7番、鈴木太加良(関東学院六浦)は開始ほどなくケガで退く。ただ、わずかな数の当たりに「帝京級」のイメージは重なった。
 スタンドオフ、対抗戦屈指の長距離キッカー、菊本有真(崇徳)もとうとう最終学年、本日もまた楕円の球をうんと遠くまで飛ばす。
 そして2年の12番、3トライのハットトリック達成、坂口寛智。172㎝、85㎏のびっしり肉と骨の詰まった上体と足腰でゲインを稼いだ。母校は大阪府立布施高校。かつて花園にも登場の布施工業(現・布施工科)にあらず。それでも昔、府の大会でひょいと風を吹かせたりした。まだこんなたくましいラグビー選手が出てくるんだ。

 ここまでの今季の歩みからすると、成蹊の大勝負は11月16日、強化を進める武蔵大学との対戦、同30日の対明治学院大学だろう。しびれる激突は必至だ。あなたもどうぞ。

 成城は成蹊戦の前節、東京大学を40-36(!)で破っている。ここからの対明治学院、一橋、学習院、上智、必然的にすべては総力戦となる。「80分フル出場」がほぼ初期設定の現状は好ましくない。ここはまじめに健康の問題ともかかわってくる。ただ、キャプテンをはじめ当事者ひとりひとり、その痛いような使命感の発露は観戦に値する。




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