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老若男女多くのラグビーファンの青春の記憶を綴る場所、秩父宮ラグビー場。
皆さんの秩父宮ラグビー場での思い出は、なんだろうか?
現在開催中のワールドカップで、サクラフィフティーンが戦っている。
大会前最後の国内壮行試合は秩父宮ラグビー場でおこなわれ、女子の国内テストマッチとして史上最多動員数を更新した(5244人)。
女子日本代表にとって国内で試合ができる機会は非常に貴重だ。家族や日本のラグビーファンの方々の前で勝ち切った(スペイン相手の)テストマッチ2連勝は、桜の戦士たちが未来への女子のラグビーの扉をまた一つ開けた記念すべき日だった。
ユニフォームの桜に手を当て、君が代の最初の数音が空気を揺らし始めるあの瞬間は、最高に美しく、ゾクゾクする数秒間である。
歴代最多の観客で埋まるメインスタンドを見上げ、夏の湿度をまとう風が日の丸を揺らすあの風景は、その場に立ったモノたちの今後の人生をずっと支えてくれるような、きっと、そんな尊い景色だったはずだ。

【写真上右】リフトの準備をしてキックを待つ②、2019年ワールドシリーズのグレンデール大会。
【写真下左】2017年の香港セブンズ。リフターはライテさん。
【写真下中】ラインアウトは2人でリフトをするが、ディフェンスは1枚リフトが多い。
【写真下右】2016年リオ五輪当時のリフター相棒は桑井さんだった。(写真は筆者提供)
さて、秩父宮ラグビー場のようなフットボール専用スタジアムは、観客席との距離が非常に近い。ラグビーの華である身体がぶつかり合う重低音や時に呻き声までがスタンド上階まで聞こえる。
実は、逆も然りである。
ピッチ上の選手にも、観客の方々の会話は結構聞こえてくるのだ。もちろん、応援してくださる内容がほとんどで嬉しいが、溜め息を聞くと申し訳ない気持ちになるし、トゲのある言葉にはちょっと傷ついたりもしている。
10年ほど前、秩父宮ラグビー場でリオ五輪の出場権を決める予選がおこなわれたことがあった。まだまだ女子ラグビーを目当てに来てくださる人は少ない時代。観客席から聞こえてきた会話の中で忘れられない会話がある。
キックオフ直前、キックオフボールをキャッチする準備をしていたときのこと。
セブンズではキックオフなどの高く蹴り上げられたボールをキャッチする際、「1枚リフト」というスキルを使う。
持ち上げてもらい、より高いところでボールを取るというラグビーならではの技術である。
安定していれば、上で2〜3秒静止することができるのだが、そのためには短パンの裾を下から鷲掴みにしなければならないし、短パンの作りがゆるいとまくれ上がり、ブルマ(死語?)のようになる。
土台の選手(リフター)が短パンを掴みやすいように多少前屈みになるため、跳ぶ選手はちょうど尻を突き出すような姿勢になる。2人だけの電車ごっこの出来損ない、みたいな感じだから、確かにはたから見たら、すこし間抜けに見えなくもない。
その日は短パンの掴みどころがしっくり来ないのか、持ち上げる選手(桑井さん)が私の短パンをモゾモゾする時間がいつもより長かった。試合の入り、ファーストプレーのとてつもない緊張感、このボールを確保できなければ一気に相手に波を持っていかれてしまう恐怖、オリンピックの出場権は当時の私たちにとって念願であったし、ラグビーボールと同様、一つのミスで指の隙間からこぼれ落ちるほど儚いものだった。
自分の心臓の音が聴こえてくるような静寂の中、相手のキックを待つ。
その時だ。観客席から自分の後方に声が降ってきた。
「ねえねえ、あの人さ、なんでずっとおしり触られてるの???」
無邪気とは、邪気が無いと書く。辞書によれば、「邪(よこしま)な心がないこと」、「悪意や打算がなく、純粋で素直なことを表す言葉」である。無邪気という教科が存在し教科書があるとすれば、目次の最初に載りそうなこの一言は、私の中でMAXに膨らんだ緊張感という名の風船をたやすく、そして一撃で確実にとらえて破裂させた。
振り返って「違うの!これからリフトするからなの!お尻触ってるわけじゃないの!」と言い返したかったが、我慢した。尻を触られているわけではないし、触らせているわけでもない。もういいから黙って見ていてくれたらわかる。なぜ短パンの裾をまくり上げらているのか、が。
私にもう少し余裕があったらば、「そうそう、尻の定期点検してもらってて。」からのなんでやねん!的なノリツッコミも出来たかもわからないが、無理だった。よしもと新喜劇ネイティブで育った関西出身の選手なら果たしていけるのだろうか。
その後ちゃんとそのボールをキャッチできたかどうかは、もはや覚えていない。

もうひとつ、あれも確か、秩父宮ラグビー場だった。
ディフェンス中に、わたしに故意的なノックフォワードがあったとみなされてシンビン(一時退場)となった試合のこと。スゴスゴとサイドライン横のシンビン中の椅子に座っている時だった。
ちょうど観客席を背中に向けてセンターライン近くのシンビン席に座る。
その時、すぐうしろでまた無邪気な子どもの話す声が響く。
「ねぇねぇ、なんであの人退場になっちゃったの〜?」
そこでお母さまなのか、ラグビー有識者らしき女性が子ども用に、シンビンとは何かをかみ砕いて説明する。
母親「あのね、あの人はね、悪いことをしたから! 反省のお椅子にね、座らされてるの」
椅子に「お」をつける美化語の効果によって、座っているシンビン席のパイプ椅子の格が、上がったのか下がったのかはわからない。ただ非常に柔らかくやさしい口調だったのが、お椅子に座っている2分間、私に致死量に近い羞恥心という充分なダメージを与えたのは間違いない。
きっと私の背中には、マンガの描写のように「反省のお椅子」の6文字が矢印となってグサグサと刺さっていたことだろう。平成に一斉を風靡した反省ザルの姿が自分のうなだれる姿に重なって、より惨めな気分になった。
それから、いまでもシンビンのことを個人的に「反省のお椅子」と呼んでいるし、かつてシンビンクイーンの異名をとった私はその一件から反省のお椅子行きの頻度がだいぶ減った。その親子にはこの場をお借りして、御礼申し上げたい。
そんな大小濃淡、様々な思い出がつまった秩父宮ラグビー場の思い出と共に。
【プロフィール】
中村知春/なかむら・ちはる
1988年4月25日生まれ。162センチ、64キロ。東京フェニックス→アルカス熊谷→ナナイロプリズム福岡。法大時代まではバスケットボール選手。2025年春まで電通東日本勤務。ナナイロプリズム福岡では選手兼GMを務める。リオ五輪(2016年)出場時は主将。2024年のパリ五輪にも出場した。女子セブンズ日本代表68キャップ。女子15人制日本代表キャップ4