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◆どうした、スプリングボックス! まさかの初戦敗北。
今年のザ・ラグビーチャンピオンシップ(TRC)が始まった。
スプリングボックスはホームにオーストラリア代表ワラビーズを迎えての2連戦。そして初戦はまさかの黒星発進(22-38)となった。
確かに気の緩みはあったかもしれない。開幕戦を前に、南アフリカのメディアは直近のワラビーズとのテストシリーズにはあまり目を向けず、むしろ次戦のオールブラックス戦を大きく取り上げていた。
9月6日、スプリングボックスはオークランドの聖地イーデンパークでオールブラックスと激突する。そこはオールブラックスが31年間も無敗を誇る要塞であり、スプリングボックスがその鉄壁の記録を打ち破れるのかに注目していた。ちなみにスプリングボックスがイーデン・パークで勝利したのは1937年。実に88年ぶりの悲願を懸けた戦いになるのではあるが…。
さらに、ワラビーズ関連の記事に目を向けても、その論調はどこか余裕すら漂っていた。例えば、「この3年間でスプリングボックスはワラビーズに4連勝中。そのうち3勝は敵地での勝利だ」といった戦績や、「初戦の舞台となるエリス・パークは標高1800メートル。ビジターチームには過酷な環境で、ワラビーズも過去11試合でわずか1勝(しかも1963年)しか挙げていない」といった事実が並べられていた。決して見下しているわけではないが、その多くは“負けるはずがない”という空気を醸し出す、どこか楽観的な内容だった。

そんな感じで周囲はどこか緩やかな雰囲気が漂っていたが、その中でスプリングボックス、ラッシー・エラスムスHCは警戒を怠らなかった。「オーストラリアはブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズとの直近2試合で、チームとして確実に前進していることを示した。今回のテストシリーズでも、自信を持って臨み、これまでの成果を土台にさらに進歩しているはずだ」と、ワラビーズは、すでに低迷期を抜け出し、元来の強さが戻りつつある——エラスムスHCはそう感じていた。
初戦は前半17分までにWTBカートリー・アレンゼ、CTBアンドレ・エスターハイゼン、そしてこの日はNO8での出場となったキャプテン、FLシヤ・コリシが立て続けにトライを決め、スコアは早くも22-0と差は拡がった。この時点では、誰もが「やっぱりワラビーズは力不足か」と感じ、イタリアやジョージアとの前哨戦のように一方的な展開になるものと思った。
しかし、現実はここからワラビーズの猛攻が始まった。ワラビーズはその後、6トライを連取。逆にスプリングボックスは無得点に終わった。まるでスプリングボックスはワラビーズの練習台にされたかのような展開だった。
先月のイタリアとのテストマッチ第1戦で前半に4トライ、28点先取したため、大勝ムードに気が緩み、後半は逆にイタリアに攻め込まれた状況に似ている。どうやら今のスプリングボックスには、点差が開くと集中力を欠き、ハードワークを止めてしまう傾向があるのかもしれない。
後半は防戦一方の時間帯が続いたが、それでもボールがウィングまで回っていればチャンスになった場面は何度かあった。しかし、スプリングボックスの軽率なプレーからインターセプトされ、そのままワラビーズのトライに繋がったケースが2度もあったのだ。やっとのことで攻撃権を得て「これから攻めるぞ!」とチームの士気が高揚している時に、個々の選手のミスが相手のトライに直結する。チームが受けるこの精神的なダメージは計り知れない。
スプリングボックスの最大の武器であるスクラムも押しきれず、ラインアウトも安定しなかった。試合後、エラスムスHCは苛立ちを隠さず、「今日の我々は最悪だった」と語り、「ほとんどの局面で相手が上回っていた」と前半終盤以降の完敗を認めた。さらに「ゲームプランや選手の組み合わせに問題があった」と自らの采配にも責任を感じていた。

確かに22-0という大差をつけられながらも諦めず、ブレークダウンで世界王者を圧倒し、見事な逆転劇を演じたワラビーズは、やはり称賛に値するだろう。
そして、この敗北の代償は大きい。スプリングボックスは2023年のW杯優勝以降、守ってきたワールドラグビー・ランキング首位の座を失い、一挙に3位(※1位:ニュージーランド、2位:アイルランド)へとランクダウンとなった。
そして、チームの支柱であるFLコリシが膝の負傷で4週間の離脱を余儀なくされ、FLピーターステフ・デュトイが脳震盪、WTBアレンゼとWTBエドウィル・ファンデルメルヴァの両翼もそれぞれ膝と足首の負傷で次戦は欠場となった。
アシスタントコーチのムズワンディ・スティックは、試合後のロッカールームの雰囲気を「まるで葬式だった」と表現した。選手たちにとっても、その衝撃は相当なものだったに違いない。果たしてスプリングボックスは、この敗戦から立ち直り、次戦に向けて気持ちを切り替えることができるのだろうか。
◆雪辱を果たすも、不安は残る…。
南アフリカの熱狂的なファン、そしてメディアは、スプリングボックスが負けることに対しては厳しい態度を取る。
初戦の戦犯として槍玉に挙がったのは、この試合の司令塔で今シーズン、花園近鉄ライナーズへの移籍が決まっているSOマニー・リボックだった。特に元スプリングボックスの選手及びHCで、南アフリカではご意見番的存在の解説者、ニック・マレットは「ハーフ団が試合を組み立てることができなかった。」と直接的な表現で批判した。さらに「ボムスコッド(控え)に10番の専門職がいなかったため、調子の良くなかったリボックを80分間フルで使わざるを得なかった。」とチーム構成に対しても苦言を呈した。
SNS上でも、「本日の敗戦の責任はリボックにある」とか「(ワラビーズの10番)SOジェームズ・オコーナーとリボックの差が点数に反映した」等、誹謗中傷に近い厳しいコメントが飛び交った。確かに3年ぶりにワラビーズに復帰したオコーナーは、その老獪さと精緻なプレーで敵地のスプリングボックスのファンをも唸らせた。わずかなスペースを見つけては攻撃をしかけ、次々とトライに結びつける。百戦錬磨のベテランの真価を改めて世界中のラグビーファンにアピールした。
一方、リボックも決してすべてが悪かったわけではない。随所に光るプレーもあり、勝負どころでの存在感を示そうとした場面もあった。しかし、肝心な局面でのミスが目立ったため、対面のオコーナーが躍動する姿とどうしても比較され厳しい評価になる。結果、敗戦の戦犯という最も不名誉な烙印を押されてしまった。

そんなギスギスした雰囲気の中、第2戦のスコッド発表前から、ファンやメディアの間では、「やはり司令塔は安定感と豊富な経験を持つSOハンドレ・ポラードに任せるべきだ」という、ポラード支持の声が日増しに高まっていった。その声がエラスムスHCに届いたのかどうかは定かではないが、第2戦のフライハーフ(SO)にはポラードが任命された。
第2戦はマザーシティ、ケープタウンのDHLスタジアムに舞台を移した。試合当日は直前まで激しい雨が降り続き、芝は水を含んで重くなり、ピッチコンディションは明らかに悪かった。
試合は期待のポラードが開始早々の1分と5分に立て続けにPGを決め、出だしは上々。しかし、先にトライを奪ったのはワラビーズだった。ベテランSHニック・ホワイトがペナルティからクイックタップを選択し、スペースが空いたゴールライン左端へ絶妙のグラバーキック。そこに走り込んだのは、この試合でワラビーズ初キャップを得た7人制出身のWTBコーリー・トゥール。タイミングよくボールをキャッチし、観ていて気持ちの良いトライとなった。
実はSHホワイトは8月2日のブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ最終テストマッチをもって現役引退を表明していた。しかし、ワラビーズのSHジェイク・ゴードンの負傷離脱という想定外の事態が発生。ジョー・シュミットHCの説得を受け、ホワイトは急遽、代表復帰を決断した。
一瞬、いやな雰囲気になったものの、 “ICE MAN”という異名を持ち、常に冷静に状況を判断するSOポラードがゴール手前左中間から右に空いたスペースにキックパス。少し距離が足りず待ち構えていたWTBカナン・ムーディの3mほど左に落下したが、バウンドが変化してムーディの胸にすっぽり入り、余裕のトライとなった。今日はラグビーの神様がスプリングボックスに味方してくれる日なのかもしれない。
続いて、先発NO8としてピッチに立った“我らの”クワッガ・スミスが魅せた。連続したラック攻撃から最後はディフェンス2~3人を引きずりながらゴール中央へ力強くトライを決め、スタジアムを沸かせた。
実は試合開始1時間前までNO8は7年ぶりのスプリングボックス先発出場となるジャンリュック・デュプレアが名を連ねており、スミスはボムスコッドとしてベンチスタートの予定だった。デュプレアの欠場理由は“病気”としか発表されていない。

穿った見方をすると、エラスムスHCは試合前の大雨を見て、この最悪のコンディションの中、身体を張ったプレーができるのはスミスと判断したのではないだろうか。そんな推測を抱かせるほど、スミスは地味ではあるが、各ブレイクダウンでのボール争奪への執念は目を見張るものがあった。少し頑張り過ぎてペナルティを取られたことはあったが…。いずれにせよ、体格(194センチ、114キロ)を活かした派手なプレーを好むデュプレアではスミスのような動きはできなかっただろう。久しぶりにデュプリエの豪快な突進も観てみたかったが…。
前半は20-10とスプリングボックスが10点リードで終了。
後半最初のトライを奪ったのもワラビーズだった。47分、スクラムからボールを受けたSOオコーナーが、右奥のスペースを狙って10メートル付近から巧みにキックを放つ。これをカバーしたWTBムーディが難なくキャッチしたかに見えたが、ボールが滑り痛恨のファンブル。こぼれ球を素早く拾ったのは、20歳にしてすでに13キャップを誇るワラビーズ期待の星、WTBマックス・ジョーゲンセンだった。ジョーゲンセンはそのままインゴール右中間へと持ち込み、貴重な追加点を挙げた(20-17)。
57分に三度SOポラードがPGを決めたが、その10分後、ワラビーズFWがラインアウトモールから左中間にトライ。23-22と1点差に迫る。
73分にこのままでは終われないスプリングボックスFWが奮起し、連続ラック攻撃から最後はLOエベン・エツベスがサイドを力強く突き抜けてトライ(30-23)。鬼気迫る表情でボールを押さえ込む姿には、勝負への執念がにじみ出ていた。また後半、PRウィルコ・ローが“ボムスコッド”として登場すると、スクラムは一気に勢いを取り戻した。オールブラックス戦へつながる確かな手応えが感じられた。
結局、試合はそのままノーサイドを迎えた。勝つには勝ったが、トライ数では3-3で互角。勝敗を分けたのは、SOポラードの正確無比なキックだった。PGもコンバージョンもすべて成功し、その確実な加点がチームを救った。
昨今、スプリングボックスの高齢化を懸念する声も少なくないが、この試合からも分かるように、実際、SOポラード、FLスミス、そしてLOエツベスといったベテラン勢に大きく依存しているのが現状だ。そして、彼らは依然としてトップレベルのパフォーマンスを維持しており、個々の能力に衰えは感じられない。
なお、この試合でポラードはテストマッチ通算812得点に到達。スプリングボックスとして800点の大台を突破したのは、ポラードで2人目となる快挙だ。ちなみに歴代トップはFBパーシー・モンゴメリーの893点。ポラードは着実に、その記録に迫りつつある。
試合後、エラスムスHCは試合内容について「10点満点中6点か7点」と自己評価した。「完璧なパフォーマンスには遠かったが、今、重要なのは調子を取り戻すことだ。今回の経験から学び、今後試合がタイトになる局面でも、これまで同様に冷静に対応できるチームを作る」と語り、TRCのクライマックスともいえるイーデンパークでの決戦に向けて意欲を示した。
話をSOポラードに戻す。ポラードで勝てたので言うわけではないが、やはりスプリングボックスの司令塔には、常に冷静さを保ち、状況を的確に判断し、正確にキックを蹴り、確実にプレーを実行できるオーソドックスなタイプが適しているように思う。あくまで個人的意見であるが、奇をてらったプレーをするファンタジスタ・タイプはスプリングボックスには合わないのではないかと思う。
観ていて派手さに欠けるかもしれないが、スプリングボックスの場合、局面では例えば先述のイタリア戦でのミッドフィールド・ラインアウトのように斬新なプレーを見せている。したがって、それぞれのプレーが組み合わさる中で、最終的に試合の方向性を決めるフライハーフ(SO)には堅実な動きが求められる。実際、スプリングボックスの歴史を振り返っても、いくつかの例外はあるが、例えば、ジョエル・ストランスキー、ブッチ・ジェームス、モルネ・ステインなど、特に強かった時期のスプリングボックスには堅実なオーソドックスタイプのフライハーフが存在していた。
最後にこれも個人的な見解なのだが、今後の注目株としてSHグラント・ウィリアムスを挙げたい。今回のテストシリーズで2戦連続で先発出場を果たした数少ない選手の一人であり、それだけエラスムスHCから強い信頼を寄せられていることが分かる。
ウィリアムスは名門パール・ギムナジウムの出身。同校で1軍のポジションを掴めば、普通は州代表や高校代表に選ばれ、さらにはフランチャイズのアカデミーへと続く“エリート街道”が待っている。しかし、ウィリアムスには代表やアカデミーから声がかかることはなかった。やはり、“Bigger is always better(より大きいことが常に優れている)”という考え方が根強く残る南アフリカでは、たとえSHであっても、ウィリアムスのサイズ(174cm、80kg)はセレクターの目を惹かなかったのかもしれない。
そんなウィリアムスを不憫に思った兄がアマチュア・クラブのCollege Rovers Rugby Clubを紹介し、そこでの活躍がきっかけとなりシャークスとの契約を勝ち取った。
チャンスを掴んだシャークスではすぐに頭角を現し、カリーカップやユナイテッド・ラグビーチャンピオンシップでの活躍により、2021年に初めてスプリングボックスに呼ばれた。2022年のウェールズ戦で代表初キャップを獲得し、2023年W杯のスコッドに選出されたものの、4番目のSHというポジションだったため、試合出場の機会を求めてWTBにポジションを変更するなど挑戦を重ねた。
スプリングボックスの特にBK陣では珍しい遅咲きの苦労人といえるだろう。昨年のTRC対オールブラックス第1戦で逆転トライを決めたのも記憶に新しいが、スプリングボックスでの4年間で着実に進化しているのが分かる。SHはファフ・デクラークやジェイデン・ヘンドリクセといった強力なライバルがひしめく激戦区であるが、このペースで成長を続ければ2027年W杯で9番を背負うのはウィリアムスかもしれない。

◆混戦模様のTRC。いざNZ決戦へ。
スプリングボックスが何とかワラビーズから勝利をもぎ取った翌日、ブエノスアイレスのエスタディオ・ホセ・アマルフィタニではアルゼンチン代表ロス・プーマスとオールブラックスのテスト第2戦が行われた。そこでロス・プーマスは、ホームでついに黒衣の強豪を撃破(29-23)、歴史的な勝利を手にした
もっとも、第1戦ではロス・プーマスはオールブラックスに24-41で敗れている。つまり現時点でTRCは、4チームすべてが1勝1敗という混戦模様。ボーナスポイントや得失点差で暫定順位はオールブラックス、ワラビーズ、スプリングボックス、ロス・プーマスの順だが、現時点では順位は大きな意味を持たない。誰もが優勝を狙えるーーそんなスリリングな展開になっている。
TRCが2012年に発足してからの10年間、2015年を除けばロス・プーマスは常に最下位で、他の3チームにとってはいわば“安牌”のような存在だった。しかし、近年のロス・プーマスの成長は目を見張るものがあり、もはや南半球4強の一角を占めると言っても過言ではない。これからのTRCは、三つ巴ではなく“四つ巴”の戦いになる。観る側にとっては、より白熱した試合が増えて楽しみが広がる一方で、選手たちにとっては強度の高い戦いが続く過酷な舞台となるだろう。
テストシリーズ第2戦の勝利で、スプリングボックスはワールドラグビー・ランキングでアイルランドを抜き、3位から2位へ浮上した。次戦はオールブラックスとの大一番。世界ランキング1位奪還がかかる重要な試合だ。そして、果たしてスプリングボックスは、イーデン・パークで88年ぶりの勝利の美酒に酔うことができるのか、注目の一戦が迫っている。
Go for it! Bokke!
【プロフィール】
杉谷健一郎/すぎや・けんいちろう
1967年、大阪府生まれ。コンサルタントとして世界50か国以上でプロジェクト・マネジメントに従事する。高校より本格的にラグビーを始め、大学、社会人リーグまで続けた。オーストラリアとイングランドのクラブチームでの競技経験もあり、海外ラグビーには深い知見がある。英国インペリアルカレッジロンドン大学院経営学修士(MBA)修了。英国ロンドン大学院アジア・アフリカ研究所開発学修士課程修了。立命館大学経営学部卒。著書に「ラグビーと南アフリカ」(ベースボール・マガジン社)などがある。