
フランスXVに24-26で惜敗したイングランドが、アルゼンチン代表 “Los Pumas(プーマス)” との2連戦に向けてブエノスアイレスに到着した。7月5日、12日と対戦した後はアメリカ代表とのテストマッチのため、ワシントンD.C.に移動する。
先週水曜日にアルゼンチンへ入ったイングランドは、翌日からトレーニングを開始。メディアには冒頭の15分のみ公開された。

この日練習が行われたのは、ブエノスアイレス中心部から車で40分ほどのSan Isidro Club(サン・イシドロ・クラブ)、頭文字を取って通称SIC(シック)と呼ばれるクラブチームの施設だ。サン・イシドロはブエノスアイレス州で最も裕福な地域と言われ、それを表すかのように道路沿いには立派な一軒家が並ぶ。この地域には、もう一つClub Atlético de San Isidro (クラブ・アトレティコ・サン・イシドロ)というクラブがあり、こちらも同様にキャシ(CASI)と呼ばれる。SICは、CASIから分裂した人々によって設立されたクラブという歴史背景があり、ダービー戦はこの上なく白熱する。
UAR(アルゼンチンラグビー協会)の関係者によると、このクラブは中心部から最もアクセスしやすく、また設備が整っていることから、ザ・ラグビーチャンピオンシップなど海外チームが訪れた際は必ず受け入れ先に挙がるようだ。クラブハウスにはオールブラックスやアイルランドなど、ここを訪れた各国のジャージが飾ってあった。
見学することができたのはウォームアップのみだったが、選手たちは活気で溢れていた。ロック陣のキックオフレシーブの練習として、スティーブ・ボーズウィックHC自らがグラウンドに隣接するやぐらからボールを投げ込むシーンもあった。
イングランドは10名の未キャップ選手をこの遠征メンバーに含んでおり、このプーマスとの2連戦がデビューとなる可能性が高い。

一方、ライオンズに勝利して帰国した後、再集合したプーマスはトレーニングをすべて公開。メディアのみならず、多くの地元のファンが見学に駆けつけた。
プーマスの練習施設はCasa Pumasという、前述したSICからさらに車で20分ほど離れた地域にある。周りは樹木で囲われており、まるで秘密基地のようだ。グラウンドは丁寧に手入れされた天然芝が1面、半面が2つある。
UARは現在、この施設を所有しながら大規模なナショナルトレーニングセンターの建設プロジェクトを進行させている。来年11月に完成予定だ。施設は天然芝のラグビー場5面、人工芝1面の巨大な施設となる。オフィスやジム、食堂、医療ルーム、撮影スタジオなど全てがここに集約される。各カテゴリーの15人制代表、男女のセブンズ代表に加えて、アルゼンチンからのSRA(Super Rugby America)参加チームであるパンパス、ドゴス、タルカスも使用予定だ。国内のラグビーを一層高めるために、すべてを一元管理できる施設になる。
トレーニングは約2時間、強度の高い内容が実施された。特に全体練習の最後では、コンテポーミHCが自ら走り、チームを3グループに分けた実戦形式のセッションが繰り広げられた。また、練習のところどころにハイパントやこぼれたルーズボールへの対応を確認するドリルを組み込んでおり、イングランド対策の様子が見てとれた。
また、ライオンズ戦で10番を務めマン・オブ・ザ・マッチにも選出されたトマス・アルボルノス(Tomás Albornoz)は、チャンピオンシップに向けた休養という理由で今回のスコッドからは外れている。

実はアルゼンチン代表として初めてのテストマッチの相手はこのライオンズだった。1910年6月12日、試合は28-3でライオンズが勝利。前回は2005年、カーディフでライオンズと対戦した。フェリペ・コンテポーミHCもこの試合に出場したが、ジョニー・ウィルキンソンが87分にペナルティゴールを決めて25-25の引き分けに終わっている。歴史上初めての勝利となった。
それも相乗してか、子どもからその母親、老紳士までたくさんのファンが心底嬉しそうだったのが印象的だった。自分が所属するアマチュアクラブのジャージを着ながら、手にはプーマスのジャージを持つ子どもたち。プーマスの選手にとにかく近づこうと、グラウンドの周りを駆け回っていた。
全体練習の終了後にはグラウンドが開放され、ファンとの交流時間が設けられた。夕日が芝を照らす中で、選手たちもホッとしたような表情を浮かべており、和やかな時間が流れた。2時間にも及ぶハードトレーニングの後、最後までファンサービスに尽くす選手たち。サービスというよりも、選手たちが触れ合いたいからしている。そんな表現の方が正しいだろう。プーマスが愛される所以は、ここにあった。
◆プロフィール
中矢 健太/なかや・けんた
1997年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。ラグビーは8歳からはじめた。ポジションはSO・CTB。在阪テレビ局での勤務と上智大学ラグビー部コーチを経て、現在はスポーツライター、コーチとして活動。世界中のラグビークラブを回りながら、ライティング・コーチングの知見を広げている。