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ワールドカップ余波だけでは足りない。
リーグワンのファイナルは、2季連続で国立競技場に5万人超のファンを集めた。(撮影/松本かおり)

ワールドカップ余波だけでは足りない。

藤野隆晃

 国立競技場の記者席は、メインスタンドの最上部にある。
 リーグワン決勝のあった6月1日、スタジアムを一望できる位置から、ほぼ全て埋め尽くされた観客席を眺めていた。東芝ブレイブルーパス東京の赤とクボタスピアーズ船橋・東京ベイのオレンジが、入り交じりながらスタンドを染めているのが美しかった。

 感慨に浸りながら、思い出した試合がある。2015年11月13日のトップリーグ(当時)開幕戦、パナソニック対サントリーの一戦だ。
 大学3年生だった筆者はその日、秩父宮ラグビー場にいた。ラグビーは高校入学後に出会った。選手としては高校の3年間を過ごすだけで精いっぱいだったが、観戦は卒業後も続けていた。

 じっくりワールドカップ(W杯)を見られるのは人生で最後かもしれないと、バイト代をためて2015年のイングランド大会も見に行った。9月19日は現地にいた。ブライトンではなくロンドン郊外に。
「わざわざ負け試合を見に行かなくても」と、日本対南アフリカではなくフランス対イタリアのチケットを取っていた。今のところ人生最大の後悔だ。

トップリーグ2015-16の開幕戦。空席の目立ったスタンド。選手たちは怒り、悲しんで、日本協会は謝罪した。(撮影/松本かおり)


 その南アフリカ戦で日本が金星を挙げたことで、日本におけるラグビーへの注目度がいきなり高まった。何もしていない(なんなら勝利を想像すらしていなかった)筆者にも、友人から「おめでとう」と祝福のメッセージが届くほどだった。

 これは、ラグビーを周囲にも広めるチャンスだ。
 そう勝手に意気込み、約3か月後のトップリーグ開幕戦にラグビー初観戦の友人を連れていった。それがパナソニック対サントリーの試合だった。

 違和感を覚えたのは試合直前だった。チケット完売、といわれていたのにスタンドの両端がいつまで経っても埋まらない。試合中に発表された観客数は「1万792人」。定員の半分ほどだった。試合自体は面白かったが、空席が気になって集中しきれなかったと記憶している。現地では何が起きているのか分からなかった。

 この経緯を覚えている読者の方も多いと思うが、当時の記事をたどると——。
「一般販売は5千枚で8日に完売。残り約1万5千枚は両チームなどに割り当てたが、入場は伸び悩んだ。どの試合でも観戦できるチケットもあるため、販売数と入場者数が一致しないことがあるという」(『朝日新聞』2015年11月14日朝刊)。
 日本ラグビー協会は、見込み違いがあったとして試合後に謝罪する事態となった。

 満員のスタジアムでリーグ戦が開幕し、W杯の盛り上がりを継続させたい。そんな青写真は崩れた。
 ただのラグビーファンですら憤りを覚えたのに、選手にとってはたまったものではなかった。日本代表として南アフリカ戦の勝利に貢献し、この日はパナソニックの一員として先発したSH田中史朗は「いつもと変わらず、協会にはがっかりした」というコメントを残している。

 あれから10年。
 大学生だった筆者は記者となり、山口や和歌山、東京で地域の話題からコロナ禍といった歴史的な出来事までを追った。スポーツ部に配属され、昨秋からはラグビーを担当する幸運に恵まれた。
 その間、W杯日本大会を除いて満員のスタジアムでラグビーを観戦するタイミングはなかった。だからこそ、今季のリーグワン決勝で国立がほぼ満員で埋まっているのを目の当たりにして、「ここまで来たか」とラグビー界の10年の発展に思いをはせた。

 プロ化を宣言し、各チームでファンの獲得と定着に力を入れるようになった。決勝の舞台、会場のアナウンスがなくてもフロントローへのコールや「GO!GO!スピアーズ」のかけ声が自然発生的に湧き上がったあたりに、その成果が表れていたように思う。

好ゲームに大観衆が沸いたリーグワン2024-25のファイナル。しかし、それでも空席があった。(撮影/松本かおり)


 一方で、課題もある。1試合平均でみた観客動員は、今季は昨季よりも2割ほどの減となった。特に開幕直後、リーグとして盛り上がりの波を作れていないことに、不満を抱くクラブスタッフもいた。年末年始にホストゲームが連続し、集客に苦戦したクラブもあった。
 なにより、好ゲームが繰り広げられた決勝も、一部に空席があった。

 リーグワンの東海林一専務理事は「駒沢(陸上競技場)や瑞穂(パロマ瑞穂スタジアム)が工事中ということもあり、暫定的に使っているスタジアムの所では集客が非常に厳しかった。それにワールドカップ効果の剝落(はくらく)も若干あった」と振り返る。

 わずかながらではあるが、「ブライトンの奇跡」の前を知る身として、正直に告白すればつい評価が甘くなってしまうところがある。ただ、10年の時を経て、その時代を知らない選手やファンが増えつつある。いつまでもノスタルジーに浸るわけにはいかないし、それは今戦っている選手に失礼だろう。

 なにより自分自身、ファンから記者へと立場が変わった。教科書的な回答をすれば、個人的な感情を排して事実を追わなければ、と思う。
 選手の頑張りが外部からの影響を受けてゆらぐことほど、むなしいものはない。10年前、秩父宮の空席を見て覚えたような感情を、選手やファンが二度と経験しないように。
 ファン心が抜けきれない記者として、ピッチ内だけでなく外の話題も追い続けたい。

【プロフィール】
藤野隆晃/ふじの・たかあき
朝日新聞スポーツ部記者。1994年4月2日生まれ、埼玉県出身。中学ではサッカー部に所属し、進学した県立川越高校でラグビーを始める。ポジションはウィング。一橋大学卒業後、朝日新聞社に入社し、山口、和歌山、東京で勤務。ラグビー以外にはサッカーやパラスポーツも担当している。今も時々、タッチフットで汗を流す。


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