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東芝の2連覇で幕を閉じた今季のリーグワン、皆さんの記憶に残ったシーンは何だっただろうか?
個人的に印象的だったシーンは、決勝戦で5点差の敗戦を喫したクボタスピアーズの、ファウルア・マキシ キャプテンの試合直後のインタビューである。
クボタは6週連続試合の中で決勝を迎えたため、結果的に疲労の蓄積があったのではないか? というインタビュアーの問いに対してマキシ キャプテンはこう答えた。
「言い訳はなし。この日のためにいい準備をしてきた」
そして続けた。
「自分たちのプロセスは間違ってなかった、でも今日は自分たちの日ではなかった。」
「結果は届かなかったけど、(支えてくれた人たちへ)感謝しかない。」
敗戦後のインタビューに答えるのは難しいものだ。どうしても自分たちの力不足や応援してくださった人への申し訳ない気持ちが口から飛び出してくる。しかし、マキシ主将は違った。全力を出し切った自分たちを卑下することなく、誇りを持って『今日は自分たちの日ではなかった』と表現した。
試合終了と同時に降り始めた白雨も彼の言葉に重なって、国立競技場のピッチに存在したはずの勝者と敗者のコントラストが一気に見えなくなった。

スポーツが教えてくれる大切なことの一つに「負けを受け入れる力」があると思う。時に勝負は運の要素もあるだろう、その中でも己の力の足りなさと向き合い、負けを受け入れて勝者を讃えるということ。シンプルだが、これは大人の社会においても難しいことだ。
勝ち負けといえば、最近の運動会では順位をつけないことが増えているらしい。負けない仕組みの中で自己肯定感を高めることは大切だ。ただ、真剣に勝ち負けを競いあうことが向上心につながることもあるだろう。勝つこととは別軸の価値観(協働、楽しむ、過去の自分を超える等)が明確であれば良いが、「結果ではなく頑張ることが大事」という言葉の陰で負けや失敗の経験を奪ってはいないか、気になるところである。
本当に伝えなくてはいけないことは「勝ちがすべてではない」ということからもう一層深いところ、「負け」にも価値があるのだ、ということなのではないだろうか。
少しアスリート寄りの話にはなるが、陸上短距離のメダリスト、末續慎吾氏の著書『自由。』の一節を紹介したい。
『・・・「負け」という事実を受け止めるのに苦労する人も多く見てきた。・・・人より優れた能力や才能があるせいで、本来負けなければいけない瞬間にしっかり負けられなかったのだろうと思う。・・・ 近くにいる指導者や信頼関係のある人間が「勝つことの価値」だけでなく「負けることの価値」を教えてあげなければ、表面的な結果だけでしか物事を捉えることができないまま成長してしまうことになる。』

勝利にはわかりやすい価値がある。勝てば周囲が称賛し、評価してくれる。では「負け」は、どうだろう?
負けの価値は分かりづらい。負けと向き合い、噛み砕く覚悟がなければ、無価値も同然となってしまう。
たとえば野球。野球は超一流打者でも打率は3割、つまり7割は失敗だ。その7割に価値を見出し、分析することで、少しずつ打率を上げていく。人生もきっと同じで、勝ちよりも負けの方が多い。負けから学び、何度も打席に立つことで成長していくのだ。
英語で負け惜しみは『Sour grape』(酸っぱい葡萄)というらしい。欲しくても手に入れることができなかった葡萄を、「あの葡萄はどうせ酸っぱかった」と見下すイソップ童話中の狐の話が語源だ。
しかし、酸っぱい葡萄でも、ワインやジャムにすれば価値を生み出せる。
『負けを受け入れる力』の本質とは、『負けに価値を見出す力』なのではないだろうか。
「負けるが勝ち」ではなく、「負けるが価値」。
そんな言葉があってもいい。
【プロフィール】
中村知春/なかむら・ちはる
1988年4月25日生まれ。162センチ、64キロ。東京フェニックス→アルカス熊谷→ナナイロプリズム福岡。法大時代まではバスケットボール選手。今春まで電通東日本勤務。ナナイロプリズム福岡では選手兼GMを務める。リオ五輪(2016年)出場時は主将。2024年のパリ五輪にも出場した。女子セブンズ日本代表68キャップ。女子15人制日本代表キャップ4
