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メキシコを離れてから1か月半の間、エクアドルのキトやガラパゴス諸島、ペルー、ボリビアの各都市を回った。少しの間ラグビーから離れ、南米の大自然を満喫した。
ガラパゴスはまさに動物の楽園で、至る所にイグアナ、アシカが寝転がっていた。ナスカの地上絵やウユニ塩湖での日の出、マチュピチュ。実際に自分の目を通して見てみると、あまりに幻想的で言葉が出なかった。特にナスカやマチュピチュをはじめ、多くのインカ史跡は、文字を有していなかったことで未だ解明されていない部分が多い。「5年後、10年後と来たら新たな事実が判明しているかもしれないし、通説でさえもひっくり返っているかもしれない」という現地ガイドの言葉が印象的だった。
また、ボリビアのラパスには “Kenchan” という日本食レストランがある。ここは「なんちゃって日本食レストラン」ではなく、ホンモノだった。しばらく和食から離れていたこともあって、地球の裏側でこんなに美味しい生姜焼き定食が食べられるのか、と不覚にも泣きそうになった。
そして、ボリビアからアンデス山脈をバスで越境、チリのカラマという街にたどり着いた。そこから空路で首都サンティアゴに向かった。
なんと、サンティアゴにはラグビー専門店があった──!
スペイン語で楕円球を表す “LA OVALADA”。サンティアゴでは唯一のラグビー専門店だ。セントラルマーケットやナショナルミュージアムがある中心部から地下鉄で10分ほどのエリアに立つ商業施設の4階、角のスペースに店舗を構えていた。
チリ代表・愛称 “ロス・コンドレス” はご存知の通り、2023年ワールドカップ・フランス大会で初出場を決め、アメリカ大陸のラグビー勢力図を一気に変えた。どんなラグビーのカルチャーがあり、そしてワールドカップから2年が経ったチリはどんな状況なのか、興味があった。

迎えてくれたのは、アルバイトで勤務しているガブリエル(Gabriel Méndez)。日本から来たライターなんだと自己紹介をすると、その場でオーナーに電話をして説明してくれた。電話を終えると、1枚のポロシャツを手渡してきた。
「これ、オーナーから!」
え、オーナーとまだ会ってもいないのにいいの? 思わぬサプライズに、胸が温かくなった。
ガブリエルは、大学に通いながらここのスタッフ、そしてARUSA(La Asociación de Rugby de Santiago)というサンティエゴのラグビー協会でレフェリーもやっているのだという。翌日には南米諸国によって結成された国際リーグSRA(Super Rugby Americas)のプレーオフ準決勝が控えているといい、店での観戦イベントに招待してくれた。
また、ARUSAは国内で最も著名なアマチュアリーグでもある。サンティアゴ以外に拠点を置くチームも含めて110近くのチームが所属。ディビジョンは4部まであり、さらに35歳以上、18歳以下、16歳以下の部門が続く。日本のように大学の名称を掲げているクラブもあるが、そこの学生でなくとも所属は可能。想定していた以上にチリ国内でラグビーは機能しており、かつ浸透しつつある。
いただいたポロシャツは、 “SELKNAM(セルクナム)” というチームのもの。SRAに参戦するため、且つ国際舞台での場数を踏むためにチリで2020年に結成されたチームだ。日本のサンウルブズに近い存在だろう。前述したARUSAをはじめ多くのチームがアマチュアクラブという中で、所属選手のほとんどがプロフェッショナルとしてセルクナムとは契約しており、また同時にコンドレスにも選ばれている選手が多い。
ちなみに、チームの名称は、かつてパタゴニア地方に存在した部族の名称「セルクナム族」に由来する。セルクナム族は成人式などの儀式の際、赤白の奇抜な被り物やペイントを体に施すという変わった文化で知られ、チームのエンブレムもその被り物がモチーフとなっている。ただ一方で、ヨーロッパからの移民によって19世紀末ごろから迫害され、最終的に絶滅したという悲しい歴史も持っている。一部では、このような歴史的背景がある中で、チームの名称に使ったことに対して、マーケティングの意味合いが強すぎると疑問視する声もあるという。


翌日、セルクナムは準決勝第2試合、ウルグアイのペニャロール (Peñarol Rugby)と対戦。2020年から開始されたSRAの中で、ペニャロールは唯一のウルグアイのチームでありながら決勝進出3回、優勝2回の強豪だ。今年2月にウェールズ代表HCを退任したウォーレン・ガットランド氏は、このペニャロールのアドバイザーに就任。この日はスタンドから観戦しており、アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNによるライブ中継ではその姿がしっかり抜かれていた(ちなみに空撮カメラもあり、かなり充実した放送体制による中継だった)。
店ではオーナーのホワニ(Juan Ignacio Gálvez)が準備をしていた。ポロシャツの御礼を伝え、話を聞かせてもらった。
ホワニは16歳だった頃、地域のクラブでラグビーを始めた。もともとフッカーだったが、上手くなるために18歳でより本格的なチームへと移った。そこで出会ったコーチから、スクラムハーフへのコンバートを勧められた。パスの才能やリーダーシップを見出され、ここから一気にラグビーへのめり込んだという。
大学時代、若者の間ではクレジットカードを持つのが流行っていた。ホワニもその流れに乗っかり、カード決済を使ってイングランド・レスタータイガースのジャージをオンラインサイトで買った。5、6年ほど前の古いモデルだったが、当時チリで海外チームのウェアは流通しておらず、瞬く間に注目の的になった。
「練習に着て行くと、クラブのみんなが『そんなのどうやって手に入れたんだ!』
『俺の分も頼む』って言ってきて、これはビジネスになるかもしれない…ピンときました」
まもなく、フェイスブックで販売ページを作った。使える限度額が小さいカードだったので、中古のウェアや古着を仕入れて販売していた。
2011年ごろの話だ。
店舗を持たないままサイト運営に奔走、実販売は試合会場でポップアップを開くくらいだった。そうした活動を続けていると、国内のある大会に出店した際、協会関係者の一人が興味を持ってくれた。
2018年、マオリ・オールブラックスがチリに遠征した際に、その関係者が声をかけてくれた。完全に公式ではないが、コンドレスの「オフィシャルストアショップ」に近い形で手伝うことになった。テストマッチはサンティアゴ・カトリック大学(Pontificia Universidad Católica de Chile)のスタジアムで開催され、1万5千人の観客が集まった。売り上げは大盛況だった(なお、試合はマオリ・オールブラックスが73-0で大勝)。
翌年からチリ協会との提携を本格化、試合会場での販売やネット通販に一層力を入れていた矢先、パンデミックに巻き込まれた。ラグビーの動きどころか、社会の動きは停滞し、先が見通せない日々が続いた。
しかし、規制が緩和され始めた2021年11月、ホワニはある決断を実行に移した。実店舗を開設したのだ。前述したように、街の中心部からは少し離れるが、交通の弁もよく、各地からアクセスしやすい地域だった。
他の店が閉まっていて賃料が安かったことも、この決断を後押しした。この経営判断は功を奏し、次第に国内のみならず、アルゼンチンやオーストラリアなどから観光客が訪れ、売上は拡大。ホワニ自身もプレーヤーだったことから、スパイクやウェアが自分に合うか、試着の重要性は理解していた。その上でも、念願の実店舗だった。
今やLA OVALADAのインスタグラムは、中南米のラグビーファンを中心に1.3万人がフォローしている。ホワニは、自身が持つ独自の繋がりを活かしてセルクナムやコンドレスの選手へのインタビュー動画なども投稿。ソーシャルメディアとしても機能している。
また一方で、AXV(Andes fifteen)というラグビーウェアブランドも立ち上げており、チリやボリビアにあるクラブチームのウェア製作も手がける。さまざまな事業を進めている。

午後9時。セルクナムのキックオフに合わせて、10人ほどのラグビー好きが集まった。試合会場のウルグアイ、モンテビデオは中継で見る限り、満員だった。店がビールを、常連客の一人、アルバロが牛肉の串焼きをフライヤーで調理してくれ、みんなで舌鼓を打ちながら見守った。
前半12分、セルクナムはディフェンスラインをブレイクしたペニャロールの7番ルーカス・ビアンキ(Lucas Bianchi)に先制トライを許す。以降はハイパントを多用するも再獲得ができず、流れをつかめない。またゴール前のモールディフェンスでは相手に対応できず、ペナルティトライの上にシンビンで1人欠き、大きな痛手を追う。一方でペニャロールのディフェンスは整備されており、膝をついている選手が常に少なかった。
しかし、空中での危険なプレーによって、唯一のヨーロッパ選手であるペニャロールのポルトガル代表、フルバックのマヌエル・カルドーゾピント(Manuel Cardoso Pinto)がイエローカードの判定。続いて先制トライを挙げたビアンキにもイエローカードが出され、セルクナムは数的有利となる。しかし、ペニャロールのディフェンスラインを破れないまま、前半は12-0で終了する。
後半開始早々、セルクナムのスタンドオフ、トマス・サラ(Tomas Sálas)が2本のペナルティゴールでビハインドを縮める。ところが、その直後にペニャロールは立て続けにトライを2本取り返し、またも点差を広げた。セルクナムはフランカー、ライムンド・マルティネス(Raimundo Martínez)のインターセプトからスクラムハーフのフアン・クルス・レジェス(Juan Cruz Reyes)が取り返すも、試合を通してペニャロールの盤石なディフェンスは揺らぐことがなく、逆にセルクナムはラインブレイクされる場面が目立った。
最終スコアは34-18、セルクナムの準決勝敗退が決まった。
※試合ハイライトはSUPER RUGBY AMERICASのYOUTUBEチャンネルから視聴可能

勝利したペニャロールは決勝で、アルゼンチン・コルドバに拠点を置くドゴス(Dogos XV)とウルグアイ・モンテビデオで対戦する。
3位決定戦はなく、これからチリの選手たちはコンドレスの活動へと移行する。店は落胆したムードに包まれたが、7月4日にはコンドレスはルーマニアとのテストマッチをホームで迎える。ホワニはあらためて、コンドレスがワールドカップに初出場したときの特別な思いを語ってくれた。
「子どもの頃から聞いていた国歌がワールドカップで流れた瞬間は、言葉にできない感動がありました。こういった仕事をしていることもあって、コンドレスの選手たちが幼い頃から知っています。そんなみんながワールドカップの舞台で戦っていて、またその犠牲にしてきたものや努力を考えると、胸に込み上げるものがありました」
コンドレスのユニフォームは、その希少性から現地では売り切れが続出。当時サプライヤーだったアンブロは小売店で実販売していなかったこともあり、LA OVALADAはチリ国内で試着できる数少ない実店舗だった。体感したことのない盛況ぶりに包まれながら、ホワニは、その価値を噛み締めた。

最後に。
サッカー大国チリでラグビーに出会い、今やチリラグビーを支える一人でもあるホワニ。6月で38歳になるあなたがラグビーから学んだことはなんですか?
後日、彼がボイスメッセージで寄せてくれた回答が奥深く、美しいものだったので、ほぼ全文掲載したい。
「私にとって、ラグビーが与えてくれた最大のものは、価値観です。これは、人生の見方そのものなんです。倒れたら立ち上がる。それが人生の基本です。他にも、自信を持つこと、そして他人から信頼されること、自分の人生に対して正直でいること、誠実であること。このような価値観というのは、ラグビーに関わるすべての人の心と精神の奥深くに根付いているものだと思っています。
ぶつかり合いやパス回しをただ楽しむ、そんなスポーツではなくて、もっと深く自分に染みつくような、そんな『生き方』なんです。ラグビーがくれた最も素晴らしいものの一つです。
そして、友人のことも話さないといけません。ラグビーで出会った友人たちは、今でも私の一番親しい友人たちです。あなたが会ったマウロやディエゴ、アルバロのような友人たち(店の常連の方々)。ガブリエルは僕より若いし、一緒にプレーはしていなくても、ラグビーを通じてお互い知り合って、繋がってきたんです。だから、『友人』は、ラグビーが私に与えてくれた二つ目の宝物だと思います。
もちろん、今は『仕事として生計を立てる手段』にもなりました。それはとてもありがたいことです。それで得たこともたくさんあります。ただそれでも、ラグビーが与えてくれた最大のものは『価値観』なんです。自分の人生をどう見るかという視点、そしてラグビーを続けた過程で得た『友人』。それが、ラグビーの旅で得た最も美しいものです。
ありがとう、ケンタ。毎日こんなふうに、自分の心に向き合って、感情を言葉にする機会なんてないから、本当に感謝しています。ラグビーについて話すと、自然と心が動かされるんです。こんな機会をくれて心からありがとう」
◆プロフィール
中矢 健太/なかや・けんた
1997年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。ラグビーは8歳からはじめた。ポジションはSO・CTB。在阪テレビ局での勤務と上智大学ラグビー部コーチを経て、現在はスポーツライター、コーチとして活動。世界中のラグビークラブを回りながら、ライティング・コーチングの知見を広げている。