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【楕円球大言葉】みんなが好きでも選ばなくてよし。
東芝ブレイブルーパス東京のFL、佐々木剛。走り続ける。倒し続ける。(撮影/松本かおり)

【楕円球大言葉】みんなが好きでも選ばなくてよし。

藤島大

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 どうして。なぜ。我が意を得たり。誠に残念。国の代表のセレクションに一喜一憂するのはファンの権利だ。

 6月12日。マオリ・オールブラックスとウェールズ来日をにらんで、宮崎合宿参加の日本代表候補とスタッフが発表された。現代ラグビーの重大パートであるディフェンス担当コーチの不在は気になるところだが、ひとまずおけば、フランスのトゥールーズ所属のSH、齋藤直人と明治大学のFB、竹之下仁吾を除き、充実のリーグワンをわかせた気鋭の実力者が並んだ(負傷などで、姫野和樹、立川理道ら計13人は選考を見送られている)。

 個人的には、東芝ブレイブルーパス東京の佐々木剛、クボタスピアーズ船橋・東京ベイの末永健雄に声のかからぬ現実は、「体は大きくはないけれど存在はいつでも大きな日本列島産7番のインターナショナルのラグビーにおける居場所」という主題をまたも突きつけられた。

 先日、ラグビー愛好者から聞いた意見をいくつか挙げてみる。

「ブルーレヴズの北村瞬太郎、あんなに元気に抜きまくるのにダメなんですか?」

「ワイルドナイツの竹山晃暉、あんなにトライしてもダメなんですか? それから大西樹にいっぺん桜のジャージィを着せてあげたい」

「神戸の38歳、日和佐篤、再び!」

「目黒学院高校の怪童、17歳、ロケティ・ブルースネオル、飛び級!」

 というように代表選考はいわば公共のものなので、みんな主張を表明してよい。

 反対から考えれば、選ぶ側、この場合なら、エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)は、どこかのだれかに必ず「どうして。なぜ」と疑問を抱かれる。そのことはセレクターの職責にあらかじめ含まれる。

 でも。これは結論です。選手選考、セレクションとは、ただ監督(ヘッドコーチ)の頭と胸の中にのみ正解はある。だれを呼んでも、呼ばなくとも、勝敗とその攻防の質という決着のつくまでは、そこのみが正しいのだ。

クボタスピアーズ船橋・東京ベイのFL、末永健雄。ボールに絡み続ける職人。(撮影/松本かおり)


「この試合を見るな。次の試合を見よ」

 往時のオールブラックスHC、ジョン・ハートが、評伝『Straight from the Hart』において、そう述べている。

 目の前の「この試合」、たとえばリーグ戦や昔はよくあった選考マッチで大活躍の者が、目標とするゲーム、仮に5か月後のテストマッチ=「次の試合」において力を発揮できるかはわからない。

 対戦相手が異なるからだ。ニュージーランド国内の展開型のチームに対して効果的な働きのできるプレイヤーが、ハイパントいっぺんとうの昔のイングランドや巨漢怪力ぞろいの南アフリカとぶつかったら、どうなるのか。

 ジャパンの過去の例。極度に前へ飛び出すライン防御を採用すると、相手はキックを多用する。それを最後尾の15番がタッチの外へ確実に蹴り出しても、ラインアウトのリフティングがルールで認められていない時代、背の低い桜のジャージィは球を失い、肉弾戦に巻き込まれてしまう。

 そこで。キックの不得手な、しかし独特のステップワークを駆使できるWTBをFBで起用した。トヨタ自工(当時)の萬谷勝治。ハイパントをつかむや、タックルをひらりとかわしてランまたラン。オールブラックス・ジュニアにもイングランドにも柔軟俊敏なカウンター攻撃は通用した。ニュージーランドの新聞は変幻自在の足さばきを「ダンス」と書いた。

「萬谷を選んだら、みな文句を言ったんだ。でもキックはしないんだよ」

 当時の大西鐵之祐監督が後年、話すのを聞いた。時は進み、なお通ずる選考の心得であり思考の流れだと思う。

 余談。萬谷さんが60歳前後のころ、かつて監督や部長も務めたトヨタ自動車ラグビー部の体育館での練習に、ふらりと現れた。黙って隅で見学する。勤務帰りのトレンチコート姿だった。

「彼は何者だ」。ニュージーランドからの選手たちがすぐ口にした。現役時のサイズは168㎝、67kgの小柄な勤め人にオーラは漂った。2000年代初期の部員の明かす故人の逸話である。

コベルコ神戸スティーラーズのSH、日和佐篤。ゲームコントロールの達人。(撮影/松本かおり)


 観客と最前線の指導者の視点はなかなか重ならない。
 前者は、この瞬間の旬の顔ぶれを並べてほしい。
 後者は、標的との力関係、時間との戦いを考え抜いて「次の試合」に笑うための個性や能力をメンバー表に記す。
 
 ジャーナリストや評論家は、両者を往復しながら、どちらかといえばファンのサイドに寄りがちだ。リーグで現実に大暴れしているヒーローをそのつどたたえるのも仕事のうちなのである。
 
 背の高くないフランカーでも力があるなら選んでほしい。と、本コラムは希望する。巨人国の南アフリカですら、公称180㎝のクワッガ・スミスは欠かせぬではないか。
 だが監督(ヘッドコーチ)は仮想敵、一例でウェールズのラインアウトの構成を研究し尽くし、体格がよく、しかも勤勉な、ジャパン現有戦力の海外出身者との役の重複について熟慮を積む。そうでないとおかしい。

 サッカーの日本代表の岡田武史元監督は、ワールドカップのフランス大会(1998年)予選の途中にコーチの立場から、成績不振の前任の更迭を受けて、急遽、指揮を執り、見事に突破してみせた。
 2003年にインタビューすると、当時の代表選考について語った。

「コーチの考えは浅いんですよ。マスコミに近い。あいつはダメです。じゃあ本当に切れるか。決断しきれるか。そこからどうするか。そういう話ですよ」

 そうか。「マスコミ」どころか「コーチ」と監督もそんなに違うのか。あらためて重責を教えられたようだった。

 ラグビーのジャパンはみんなのものである。ただし、みんなが率いるわけではない。ひとりが、もちろん腹心のコーチとは話し合っても、最後はひとりが戦法やチームの陣容を決める。勝てばみんなのおかげ。ひどく負ければひとり自分のせいだ。だからセレクションに世論は無用なのである。 





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