
◆プレトリアの誇り。
プレトリアは別名、ジャカランダシティと呼ばれている。
市内には約7万本のジャカランダが植えられており、9月末から11月初旬頃まで花が満開になるため街は紫色に染まる。桜とは異なり、ジャカランダの花はおよそ1か月半にわたって咲き続けるため、この時期には世界中から多くの観光客がプレトリアを訪れる。日本にもジャカランダの木はあるが、原産国は南米だ。プレトリアの場合も1888年にブラジルから持ち込まれた2本の苗木から始まったということだ。
さてこのジャカランダシティのもう一つの誇りはボーダコム・ブルー・ブルズ(以下、ブルズ)である。ブルズはスーパーラグビーでは唯一優勝(2007、2009及び2010年、※2010年までは前身のSuper14)した南アフリカのフランチャイズ(チーム)である。

プレトリア生まれの友人が、以前こんな話をしてくれた。
「私たち、プレトリアのアフリカーナー(主にオランダ系の南アフリカ人)の祖先は、かつてイギリスの支配に抵抗し、ケープ州を離れてグレート・トレックの果てにこの地に辿り着いた。同胞の中には、イギリスへの服従を条件にケープ州に留まった者もいたが、私たちは最後までイギリスに抗い、その後に起きたボーア戦争を戦い抜いた。だからこそ、アフリカーナーの中でも(プレトリアのある)ハウテン州のアフリカーナーは『強い存在』として一目置かれている。そしてその誇りと歴史を背負っている以上、プレトリアを代表するブルズは絶対に勝たなければならない宿命を背負っている」
プレトリアの誇りであるブルズはその期待に応え、この半世紀、特にアパルトヘイトに対する制裁により国が閉ざされ、国民の注目が世界最古の国内大会カリーカップに集中した時期に、圧倒的な勝率を収めた。プレトリアの人々はブルズにプライドを持ち、ホームグランドであるロフタス・フェールスフェルト・スタジアム(ロフタス)で熱狂的な声援を送った。

やがてアパルトヘイトが終わり、スーパーラグビーの時代が幕を開けた。しかし、しばらくの間、ブルズを含む南アフリカのチームは期待されたほど勝利を積み重ねることができなかった。その背景には、アパルトヘイト時代の名残があった。ファン、各チーム、そしてスポンサーも新興のスーパーラグビーより盛り上がる伝統のカリーカップを優先したからだ。
しかし、ラグビーを『宗教』とする南アフリカ人にとってどんなコンペティションであっても負けることは『罪悪』だった。徐々にスーパーラグビーへの関心も高まり、各チームはスーパーラグビーに照準を合わせた強化を進めていく。そして前述のとおり、ブルズがついに南アフリカ勢として初めてスーパーラグビーの優勝カップを掲げるという快挙を成し遂げた。
もちろんどんなチームでも浮き沈みはある。2010年のスーパーラグビーでの3回目の優勝以降、ブルズは世代交代がうまく行かず、一時期、低迷した。最下位争いを演じ、『格下』と見なされていたチーターズやキングスにも後塵を拝することもあり、南アフリカの『最も期待できないチーム』に成り下がったシーズンもあった。
『強いブルズ』のイメージを抱き続けるファンはチームに対する気持ちは離れないものの、『弱いブルズ』は観たくないという思いからロフタスからは自然と足が遠のいていった。一時期はスーパーラグビーでクルセイダーズやワラターズなどの人気チームが来ても客足は伸びず、5万人超の収容キャパシティがあるロフタスだけに空席が目立った。
転機が訪れたのは、新型コロナ禍を経て、舞台をスーパーラグビーからヨーロッパリーグへと移したタイミングだった。そこに、トヨタヴェルブリッツを退団したばかりのジェイク・ホワイトがヘッドコーチとして就任する。
2007年W杯でスプリングボックスを2度目のワールドチャンピオンへと導いた知将が、『強いブルズ』の再建に乗り出したのだ。その手腕はすぐに結果を伴い、低迷していたチームは再び輝きを取り戻していくこととなる。

ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップ(URC)の前身であるPRO14レインボーカップでは、南アフリカリーグで優勝(※ヨーロッパリーグ優勝のベネトンとの決勝では8-35で敗戦)、以降のURCでも毎年プレーオフに進出しており、優勝にはあと一歩届かないものの、2022年と2024年には準優勝という好成績を収めている。
もちろんチームの上昇とともにロフタスにも熱狂的な応援が戻って来た。URCで常に優勝を狙える位置にいるブルズは再びプレトリアの人たちの話題の中心になっている。

◆コーネル・ヘンドリックスの早すぎる死を悼む。
さて5月17日はロフタスでURC18節、予選リーグの最終戦が行われた。
ブルズは現在、総合順位は2位(16チーム中)に位置しており、対するドラゴンズRFC(ウェールズ)は最下位だ。またブルズは前節、やはりウェールズのカーディフに45-21と快勝しており、ドラゴンズRFCはストーマーズに大敗(12-48)している。スタジアムへ向かうファンの表情も、どことなく余裕があり、勝ち負け云々ではなく、ブルズのトライラッシュを観られるという期待でビールを片手に大騒ぎをしているグループも数多く見受けられた。
試合は3日前に37歳の若さで急逝したレジェンド、コーネル・ヘンドリックスの追悼式から始まった。もともと心臓に持病を抱えていた彼の死因は、心臓麻痺と発表されている。
ヘンドリックスは2015年まではチーターズ、そして2019年から昨シーズンまではブルズでフルバック、ウィング、そしてセンターで活躍した。また、ヘンドリックスは2014年にスプリングボックスの初キャップを獲得、翌2015年まで12試合に出場した。デビュー戦となった対ウェールズ戦ではトライも記録し、WTBブライアン・ハバナとともに、スプリングボックスの両ウィングを担う存在として期待されていた。
しかし2016年、ストーマーズと契約を結び、さらには仏TOP14の強豪トゥーロンからのオファーも進んでいた矢先、深刻な心臓病が発症。主治医から現役続行は不可能と診断され、無念の引退を余儀なくされた。スプリングボックスのポジションも確保しそうな状況で、まさにこれから選手としてのピークを迎えようとしていた時期。ヘンドリックス自身の落胆は計り知れなかった。本人は深い絶望の中で部屋に閉じこもり、家族との会話すら拒んだ時期もあったという。
その後、病状が奇跡的に回復し、2019年にブルズにてプロラグビー選手としてカムバックを果たした。しかし、ブルズ入団時の記者会見では「この契約を結ぶにあたり、それに伴うリスクを十分に理解しています。私はそのリスクを受け入れます」と覚悟を語っている。復帰後はスーパーラグビー、そしてURCの舞台で通算72試合に出場。トップレベルでの活躍を続けた。

いずれにせよ昨シーズンまでロフタスを駆け回った選手である。そして、自分の名前を冠した基金を設立し、主に貧困層の子どもたちを対象に、ラグビーを通じたライフスキルの習得を支援する活動にも力を注いできた。ファンは、そうした彼の人間性にも心を打たれていた。試合前、ロフタスのスクリーンには、ヘンドリックスがその美声でリチャード・マークスの『Right Here Waiting』を歌う映像が流され、多くのファンが涙をぬぐった。
ブルズの選手たちはスタジアム入りの際、入口に設けられた水牛の像の献花台に花を手向け、彼の魂に祈りを捧げた。
彼が抱えていた無念を思うと、胸が締めつけられる。37歳…あまりにも早すぎる別れを、心から悼む。
◆勝って兜の緒を締めよ。
試合(ブルズ×ドラゴンズ)はファンが期待していたものとほぼ同じ結果になった。
得点は55-15、9トライを挙げたブルズの大勝だった。この日は若手が多く起用され、それぞれがホワイトHCの期待に応えた。

最初のトライは若手のホープCTBデビッド・クリエル(※ジェシー・クリエルとは血縁関係はない)に始まり、シャークスから移籍してきたLOコーバス・ウィーゼ、こちらも若手のWTBセバスチャン・デクラーク(※こちらもファフ・デクラークとは血縁関係はない)が続いた。
前半の最後はHOアッカー・ファンデルメルヴァがラインアウトモールから決めてFW、BKがバランスよく攻めた。なおファンデルメルヴァは前回紹介したように、スコットランド代表、そして、今回2度目のブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズに選出されたWTBドゥハン・ファンデルメルヴァのお兄さんだ。ポジションの違いが示すとおり、兄弟とはいえ、体格、外見もかなり違う。
前半は26-0で終了。ブルズのアタック練習を観ているような内容だった。

後半、ブルズの気の緩みからだろうか、最初の8分でドラゴンズが2トライを決め、26-10と迫った。
ここでホワイトHCは5人の『ボム・スコッド』を入れ替え、ブルズは再び躍動する。
後半10分、HOファンデルメルヴァの2本目のトライをきっかけに、清水建設江東ブルーシャークスで活躍した元スプリングボックスAの小兵サージャル ・ピーターセンが2連続のトライを決めた。自陣10mから合計6名がつないで、最後は三重ホンダヒートやコベルコ神戸スティーラーズでも活躍したスプリングボックスのいぶし銀、フランカーのマルセル・クッツェーもトライラインを越えた。最後はピューマズから移籍してきたFBデボン・ウィリアムスが個人技で対面を華麗に抜き去りとどめを刺した。
危なげない試合運びで9トライも観られたことでブルズファンも満足して家路についたのではないかと思う。ただし、この後、プレーオフで強豪チームとの対戦が待ち受けているブルズには少し物足りなかったかもしれない。
この日のブルズのフライハーフ(SO)はもともとSHで、SOの経験は少ないキーガン・ヨハネス。本来は元スプリングボックス、SOヨハン・グーセンが担うべきポジションだが、今シーズンは膝のケガが続き、先発では5試合しか出場できていない。
グーセンの代わりにそのヨハネス、スコットランド代表2キャップのヤコ・ファンデルヴァルト、昨シーズン、EPCRチャレンジカップ優勝のシャークスのメンバーでもあったボータ・チェンバレンの3選手が試された。
3選手はそれぞれ、今シーズン14勝4敗でURCリーグ2位という結果には貢献したが、グーセンの代わりにはなり切れなかった。ホワイトHCは代役としてFBが本職のウィリー・ルルーをSOで4試合起用しており、3人はHCから司令塔としての信頼を勝ち取ることはできなかったようだ。
この試合でもヨハネスの経験不足を補うキーパーソンはFBルルーだった。トライにつながる動きやキックはルルーが起点になっているケースが多々見受けられた。SOが穴になっているというわけではないが、ホワイトHCとしては来シーズンのハンドレ・ポラードの復帰が待ち遠しいところなのかもしれない。
またFWについては、先週のストーマーズと同様に、ブルズもドラゴンズRFCのFWをスクラムで圧倒した。ブルズは今シーズン、ほとんどの試合でスクラムは優位に立っており、ドラゴンズRFCが弱いというよりは『ブルズが強い』と思える。もっとも、スクラムで強さを見せているのはブルズだけではない。南アフリカの4チームは、今シーズンのほとんどの試合でスクラムにおいては優勢、あるいは優勢に近い展開を見せており、そのフィジカルの強さと組織力は特筆に値する。

前出の友人に「南アフリカのチームのスクラムはなぜ強いの?」と単純に聞いたことがある。ちなみにその友人は、10年以上前に現役は退いているが、ポジションはプロップだった。
彼の答えはこうだった。
「もちろん、南アフリカの選手、特にフロントローのフィジカルや体格が相手より優っていることが多いと思う。それに南アフリカではスクラムは意外と細部にこだわって指導されるし、フロントローはスクラムのコーチからは『試合に負けてもスクラムだけは負けるな』と厳しく言われている。南アフリカはスクラムにプライドを持っている」
さて、結局、URC最終節はブルズの他にも南アフリカの3チームすべてが同じくウェールズの3チームに勝利した(シャークス 12-3 スカーレッツ、ストーマーズ 34–24 カーディフ、ライオンズ 29–28 オスプレイズ)。南アフリカのラグビーファンにとっては良い週末になった。
これにより各チームの最終順位が確定し、シャークスはブルズに続いて3位、ストーマーズは5位、ライオンズは11位となった。ライオンズを除く3チームは、いずれもプレーオフ進出を果たしている。

ブルズのプレーオフ準々決勝は、エジンバラとのホームでの決戦となる(5月31日)。
今シーズンのURCでは第2節にエジンバラと戦い、ホームで22-16と辛勝している。しかし今年の4月にEPCRチャレンジカップにおいてアウェイで対戦した際は28-34と惜敗を喫している。
両チームの実力は拮抗していると見られ、白熱した一戦が期待される。先に触れたファンデルメルヴァ兄弟の直接対決は実現しないが(ブルズの兄・アッカーは16番も、エジンバラの弟・ドゥハンはメンバー外)、見どころは多い。
またシャークスおよびストーマーズもシーズン終盤にかけて調子を上げており、南アフリカの3チームはいずれも上位進出、さらには優勝の可能性を十分に秘めている。
その中でもブルズは、オールブラックスのCTBジョーディー・バレットを擁するURCレギュラーシーズン1位通過の強豪レンスター(アイルランド)に対し、13節に21-20の大逆転勝利を収めている。優勝に最も近いチームといえるだろう。
今シーズンこそ、南アフリカ勢が栄冠を手にすることを期待したい。
名残惜しいが、帰国の時を迎えた。
また、このフィジカルの強いラグビーの迫力を体感するため、そしてこのジューシーなステーキを味わうために、できるだけ早く戻ってきたい。

【プロフィール】
杉谷健一郎/すぎや・けんいちろう
1967年、大阪府生まれ。コンサルタントとして世界50か国以上でプロジェクト・マネジメントに従事する。高校より本格的にラグビーを始め、大学、社会人リーグまで続けた。オーストラリアとイングランドのクラブチームでの競技経験もあり、海外ラグビーには深い知見がある。英国インペリアルカレッジロンドン大学院経営学修士(MBA)修了。英国ロンドン大学院アジア・アフリカ研究所開発学修士課程修了