logo
【楕円球大言葉】牛丼の夜、あればこそ。
ブルーシャークスとの入替戦初戦。後半6分にWTB神座立樹がトライを挙げた。©︎JRLO

【楕円球大言葉】牛丼の夜、あればこそ。

藤島大

 かつて埼玉県狭山市上奥富51-1にある庶民のレストランのメニューを楽でないトレーニング後の貴重な栄養とさせた男たちがいた。正確には2009年の春から冬にかけての話だ。

 すき家16号狭山上奥富店。いまも同じ場所にある。そのころメインディッシュの牛丼の価格は330円のはずである。

 2025年5月24日。江東区夢の島競技場。リーグワンのディヴィジョン3で2位の狭山セコムラガッツは、同ディヴィジョン2の7位、清水建設江東ブルーシャークスとの入替戦に臨み、惜しい、15-17で星を失った。
 第2戦は同31日、海老名運動公園陸上競技場で行なわれる。

 さて「すき家」だ。セコムラガッツは、あの忘れられぬ年の2月9日午後5時、本社にチームごと呼ばれ、強化中止を告げられた。1985年創部、トップリーグ在籍もあるクラブの永遠の有志たちはもちろん気を落とし、しかし、ほどなく気をもういっぺんピキーンと張って、トップイーストでの活動をやめようとしなかった。
 
 指導スタッフや海外からのプロ組は退部。ざっと25名は去り、そのかわり引退していたOBの6人が戻ってきてくれた。実質の同好組織として、都心の営業職など、ちりぢりの勤務先から埼玉は狭山のグラウンドでの練習に集まる。なんと午後9時開始。それまでは3時半には集まれた。

【写真左】ラガッツの歴史を知る山賀敦之チーム統括兼スクラム担当コーチ。(撮影/松本かおり、以下同)
【写真右上】チームのクラブハウスには歴代のジャージーが飾られている。
【写真右下】狭山にあるホームグラウンド。現在は明るいうちから練習を始められる。



 夜11時過ぎに終わり、さて食事を。もう専門業者の用意する夕食の提供はない。唯一、灯りが見つかる。国道沿いの牛丼チェーンは砂漠の泉に等しかった。みんなでかきこんで、自宅や社員寮へ帰り、勤めによっては翌朝5時に起きてオフィスへ向かう。週末のみ関西から通う者もいた。

 いまクラブのチーム統括兼スクラム担当コーチ、敬称略で山賀敦之が話すのを聞いた。

「わたし、すき家さんの全メニューを食べました」

 あれから16年。江東ブルーシャークスへの挑戦を前に言葉を交わすと、元日本代表A、小型重機のごときプロップはこう話すのだった。

「わたし、いまでも、どうしても、すき家が好きで。感謝の気持ちといいますか」

 午後2時30分開始。ラガッツは通用した。タックル。タックル。タックル。ひとつの接点に体を張る。また張る。またまた張った。
 ブルーシャークスは、リーグ最終節の日野レッドドルフィンズ戦(21-22)でキックに傾き過ぎてリズムをつかめなかった。だからだろう果敢に球を動かす。その方針がラガッツの迷わず前へ出る防御となんというのか噛み合った。

 前半7分。ブルーシャークスの6番、東京学芸大学出身の23歳の大器、安達航洋が右タッチライン際に先制のスコアを挙げる。
 直後のリスタート。白のジャージィ、ラガッツがすぐ追いついた。天理大学からのアーリーエントリー組、11番の藤原竜之丞が渾身のチェイスで圧力をかけ、すぐ戻り、ラックの球に働きかけて、スティールをもたらし、タックルのよい12番の中洲晴陽(近畿大学)のトライは生まれた。

 この場面、ラグビーフットボールの以下の真理がよくわかった。
 前への本気=うしろへの本気。ものすごく速く、遠くまで球を追う。倒すにはいたらない。だが、そこから相手が前へ出ると、即、戻って低くからめた。思い切り壁にぶつかると反動で後方にも思い切り走れる。
 アタックもしかり。「サポートに行き切って」から「あわてて戻る」と、いきいきとプレーできる。左のWTBが右展開を助けようと向こうまで駆けて、ブレイクダウン、あわてて持ち場へ帰還、そこにパスがくると抜ける。じっと待っているより弾みがつく。

 学生時代の藤原は、ディフェンスの幅が広く、よく危機を刈り取った。そうか。ここにいたのか。本来、この位置のランナー、松田武蔵(大東文化大学)がリーグ最終節の無念の負傷で欠場、出番はめぐり、実力を発揮した。
 ラガッツの14番、神座立樹も活力に満ちていた。後半6分、スクラムの右の狭いサイドで速度を削らず球を受けてインゴールへ躍り込んだ。ここにいない人間の心を運ぶ両翼の気迫は、互いのファンが声嗄らす観客席にもまっすぐ伝わった。

青いヘッドキャップが飯田光紀主将。背番号9がSH髙島理久也。©︎JRLO


 2部下位と3部上位の激突には、予断をうれしく裏切る攻防の質があった。いい選手ならたくさんいる。

 ラガッツの7番、飯田光紀主将の人間鉄球のごときコンタクトや球の争奪は感動を呼んだ。山梨県立日川高校ー日本大学と進んだ。「実家は石和温泉駅近くの旅館日の出温泉」(山賀チーム統括)。なんとなく、うらやましい。

 清水建設江東ブルーシャークスのともに24歳の両プロップ、野村三四郎(京都産業大学)と李優河(同志社大学)のシーズンを通してのタフネスは「もっと称えられてよい功労者」と記して間違いない。
 身長181㎝の9番、金築達也(関西学院大学)は長身ハーフらしい高さのあるキックのみならず、守りの感覚に鋭く、ことに後方のカバーの横殴りのタックルは強烈だ。
 ラガッツの同ポジション、髙島理久也は余計なことをしない。緊迫の流れにあっても受け手に優しくパスを送る。タイミングは常に適正。立命館大学ラグビー部の同期のひとりは述べた。「彼を嫌いになる人間は地球上に存在しない」。いっぺんだけでも言われてみたい。

 後半39分。狭山セコムラガッツが15-10のリード。「事件」は起きるか。いや勝負、まして入替戦は甘くない。ブルーシャークスの21歳、エッセンドン・トゥイトゥポウが左隅へ同点トライ。37歳のコンラッド・バンワイクは簡単でないGを外さなかった。
 そこへいたる11フェイズの攻撃、13番、新人の藤岡竜也(近畿大学)の靴底で芝をよくとらえる複数回のステップと直進が効いていた。
 10番のクリップス ヘイデンへのレッドカードにより登場の25歳、桑田宗一郎(青山学院大学)の度胸も劇的逆転を支えた。

最後の最後に勝負が決まった入替戦初戦。フルタイム直後、両軍の選手たちが健闘をたたえあった。©︎JRLO


 次戦へ向けて、勝者のほうが学び、敗者は誇りをひとつ深めた。

 2009年のラガッツは、トップイーストを1勝10敗の12チーム中11位で終えた。いや乗り切った。いやいや乗り越えた。ちなみに首位はNTTコミュニケーションズ、3位が三菱重工相模原、8位はキヤノンであった。

 のちに強化体制は再び整えられる。「いまはアスリート食を寮でいただけるようになりました。奇跡のようです」(山賀チーム統括)。クラブが上向きであればこそ、みんなでよく泣いたシーズンの連夜の牛丼もいまさらうまいというものだ。





ALL ARTICLES
記事一覧はこちら