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◆「JIFF規定」がフランスラグビーの構造を変えた。
かつての暗黒時代を抜け出し、フランス代表「レ・ブルー」は2023年ワールドカップ(以下、W杯)の優勝候補になっていた。この劇的な変化の背景には、2010年に導入された「JIFF規定」という、フランスラグビー界の構造を変える「革命」があった。
2022年7月、フランス代表が日本遠征を行った際、当時のカリム・ゲザルFWコーチは、フランス代表の目覚ましい躍進について問われた。その答えは明確だった。「フランスでは、リーグと協会で協力して近年取り組んでいます。『JIFF規定』ができ、多くのフランス人選手がプレーするようになりました。クラブが取り組んできた結果、多くの良い選手が出てくるようになりました。クラブはいい仕事をしています。代表チームはそこから選考できるのです」 。
ゲザルコーチは、以前からクラブのトレーニングメソッドは優れていたと強調しつつも、かつてフランス人選手がクラブでプレーする機会が少なかったと指摘した 。しかし、「JIFF規定」により、クラブは試合に出るメンバーの70%をフランス人選手にすることが義務付けられ、育成機関からより多くの選手が輩出されるようになったという 。
2011年W杯ニュージーランド大会で決勝に進出し、優勝したオールブラックスをあと一歩まで追い詰めたレ・ブルーだったが、その後の道のりは険しかった 。フィリップ・サンタンドレ ヘッドコーチ(以下、HC)体制では「暗黒の時代」を経験し、2015年W杯イングランド大会ではニュージーランドに13-62と歴史的な大敗を喫し、任期を終えた 。彼の指揮下での勝率はわずか44%(20勝23敗2分) 。サンタンドレHCは当時、「トップ14のクラブで毎週プレーしているフランス人の選手がいないんだ」と嘆いていた。
続いて、22年にわたってトゥールーズを率い、4度の欧州クラブチャンピオン、10度のフランス国内優勝に導いた名将ギィ・ノヴェスも代表チームでは7勝13敗1分と振るわず、2年で解任。ノヴェスに代わってHCの座に着いたジャック・ブリュネルも、W杯前までは5勝11敗。2018年2月には、ワールドラグビーのランキングで初めて10位にまで転落した。毎試合、メディアは「希望が持てる敗戦」と評するしかない状態だった。
当時の状況について、2017年11月の「ラグビーマガジン」のインタビューで、元フランス代表キャプテンのティエリー・デュソトワールは危機感を露わにしていた。
「我々のリーグには、外国からくる選手がたくさん活躍していて、若いフランス人選手が成長できるスペースが少なくなっている」と述べ、外国人選手の重要性を認めつつも、「若いフランス人選手がプレーできる場を与えなければ、彼らが成長できない」と訴えていた 。
ゲザルFWコーチが言及した「JIFF規定」とは、フランス語の「Joueurs issus des filières de formation」の略で、「フランスの育成機関出身選手」を意味する 。トップ14の主催団体であるLNRの定義によると、以下のいずれかの基準を満たす選手がJIFFとみなされる 。
・スポーツ省によって承認されたラグビークラブ(プロクラブ)の育成機関で、承認された育成契約の枠内で、(16歳から21歳の間に)少なくとも3シーズンを過ごした選手 。
・フランス協会に登録されているアマチュアクラブで、23歳になるまでに少なくとも5シーズン(連続または非連続で)ライセンスを取得し、実際にプレーした選手 。
JIFFの定義には、選手の国籍、出生地、または祖先に関する言及は含まれていない 。そのため、フィジー代表のCTBジョシュア・トゥイソヴァ(ラシン92)や、ジョージア代表のFBダヴィト・ニニアシヴィリ(リヨン)、そしてニュージーランド生まれ、オーストラリア育ちながらフランス代表を選んだLOエマニュエル・メアフー(トゥールーズ)などもJIFFである 。

彼らのような海外の才能を、JIFFになるように10代から渡仏させ育成契約を結ぶクラブもある。そういうケースが増えないように、「育成期間にフランス協会/LNR育成委員会によって承認された教育課程(学校、大学、または職業訓練)を受講し、試験に合格、または課程を修了して、資格やディプロマを取得した選手」という教育要件も条件に加えられた。
逆に、フランス国籍を持っていてもJIFFではないケースもある。フランス代表LOチボー・フラマン(トゥールーズ)は、フランスで生まれたがベルギーで育った。フランスのプロクラブの育成機関から門戸を閉ざされ、イングランドのラフバラ大学へ進学し、そこからプレミアシップのワスプスの育成機関へ進み、プロへの道を歩み始めた。トゥールーズからスカウトされ、入団したのはすでに23歳で、JIFFの資格を取れる年齢を超えていたのだ。
◆自クラブ育成のJIFFを定期的起用クラブは優遇。
この規定は2010-2011シーズンに初めて導入された。一種の革命だった。
「当初の目的は、EU(欧州連合)の規定、特に労働者の自由な移動に関する規定を尊重しつつ、トップ14により多くのフランス人選手を擁して、フランス代表チームの選手層を厚くすることだった」と、当時、LNRの副会長で、この規定の発案者でもあるティエリー・ペレス氏は語っている。
当初はプロチーム登録選手35名のうち、少なくとも40%(14人)をJIFFにすることが義務付けられた。次いで、非JIFFはチームに16名までという規定が追加された。しかし、登録されているだけでは意味がないため、2014-2015シーズンからは、マッチシートに登録される23人のうち最低12人がJIFFでなければならないとされた。
さらに翌シーズンからは、条件を満たしたクラブはLNRから報奨金を受け取れるようになり、逆に規定数を下回った場合は、テレビ放映権料の一部が差し引かれ、不足分に応じて翌シーズンの勝ち点から6〜12点が剥奪されるという罰則が設けられた 。
現行のシーズンでは、プロチームの登録選手35名のうち、非JIFFは最大13名まで認められている。シーズンを通じて一試合平均16名のJIFFを登録しなければならない。報奨金は、シーズン中のJIFFの平均が17以上の場合に支給され、人数に応じて最低22万ユーロ(約3600万円)から、上限32万ユーロ(約5200万円)を受け取ることができる。
自クラブの育成センター出身のJIFFを定期的に起用しているクラブも優遇される。このような財政面、戦績面からのインセンティブとペナルティにより、どのクラブも規定を守ろうとするように工夫されている 。
反対意見もあった。当時トゥールーズの会長であったルネ・ブスカテル氏は、「JIFFの資格を持つ、特に優秀な選手の給与が途方もなく高騰する危険にさらされる」と警鐘を鳴らし、唯一反対票を投じたと言われている。
確かにJIFFの資格を持つ選手の給与は高騰した。しかし、後にLNRの会長となったブスカテル氏は、2022年のフランス代表がシックスネーションズで全勝優勝を果たすのを見て、「この全勝優勝は、JIFF規定を導入した私の前任者たちの功績に負うところが大きい」とその成功を称賛した。
その当時のLNR会長のピエール=イヴ・ルヴォル氏も、「JIFFは、サラリーキャップと並んで私が最も誇りに思う措置です」と語っている。彼は、JIFF規定がフランス代表の選手層を厚くし、国内リーグと代表チームの利益を守りつつ、多様性を維持する「適切な均衡点」に到達したと評価している。

JIFF規定は、元フランス代表スコット・スペディングの事例のように、時に胸の痛む結果をもたらした。南アフリカ出身のこの選手は、2008年にブリーヴに22歳で加入し、2年で育成を終えた(当時は23歳までが育成選手だった)。その後できることになるJIFF規定で定められた3年間に1年足りない。そんなことになるとは知らず、彼はフランス国籍を取得し(2014年)、フランス代表として23試合に出場、2015年のワールドカップではFBのレギュラーとしてプレーした。
トップ14の試合後、フランス代表初招集の知らせを受けた場面が、テレビで全国に放送された。感無量で目に涙を浮かべていた。代表戦で「ラ・マルセイエイズ」を歌うたびに目を真っ赤にしていた。熱い男だ。プレーでもその熱さは伝わってきた。フランスを代表することを誇りに思い、喜んでいた。
しかし2018年、JIFF規定が厳しくなり、所属していたクレルモンが彼との契約更新をしないと決定した。 当時のクレルモンのフランク・アゼマHCは、「サラリーキャップとJIFF規定との間でバランスを取る必要があった」と説明した。スペディングはフランス国内での他クラブへの移籍を模索したが、ボルドー、トゥールーズ、モンペリエ、トゥーロンなどは彼がJIFFであることを条件としたため難航し、最終的にカストルと1年契約を結ぶに留まった。
JIFFのステータスを得るため、スペディングはまずLNRに特例を求めて申し立てを行ったが却下され、フランス協会やCNOSF(フランス国家オリンピック・スポーツ委員会)にも訴えを起こした。CNOSFは2年間の「承認」を提案したが、フランス協会はこれに従わなかった。選手やファンから多くの支援を受け、署名活動も行われた。
スペディングはさらにJIFFのステータスを持たないことでフランスでの雇用機会を損なわれていると、国務院に提訴したが、最高裁判所である国務院は、JIFF規定の合法性を認めた。
国務院は、この規定が一部の外国人選手に間接的に不利になる可能性があることを認識しつつも、以下の正当かつ均衡の取れた目的を追求するものであるとした。
・フランスで育成された選手の輩出を促進する。
・ 代表チームのための人材育成を推進する。
・ フランスのラグビー界における競争のバランスを維持する。
したがって、選手の自由な移動に影響を与える可能性があるにもかかわらず、この措置は欧州法に適合すると判断した。
スペディングは欧州委員会にも訴えを持ち込んだが、その結果が出るまでの間にカストルとの契約が満了する。「ミディ・オランピック」紙によれば、スペディングに来たオファーは1つだけ。トップ14昇格の可能性があるオヨナからのオファーだった。33歳になったスペディングはキャリアを終えることを選んだ。多くの人が苦い思いをした。
◆「良識と公益の問題」。育成に関わる人々の努力が実を結ぶ。
JIFF規定による変化は数字にも表れている。「ミディ・オランピック」によると、2009-2010シーズンにはチーム登録メンバーのうち外国人選手は15.8人いたのに対し、今季の非JIFFは11.2人に減少した。さらに、試合出場登録選手では、10年前は平均13.2人だったJIFFが、現在では平均17.05人にまで増加している。これに伴い、18歳や19歳でトップ14の試合で活躍する選手も珍しくなくなった。
2023年のU20世界選手権で最優秀選手に選ばれ、ボルドーで連戦するFL/NO8マルコ・ガゾッティは語る。「僕たちの世代は、何もかもが速いペースで進んでいる。でも、それが普通になってきている。コーチたちが僕たちを早い時期から信頼してくれるようになった。JIFF規定は本当に多くのことを変えた。僕たちはその恩恵を最大限に受けている」

かつて「銀河系軍団」と呼ばれ、2013年から2015年にかけてチャンピオンズカップで3連覇し、2014年にはトップ14でも優勝したトゥーロンは、その優勝決定戦のキックオフの時点でピッチに立っていたフランス人選手はわずか3人、ベンチも5人だった。今季は24節を終えた時点で平均16.63人のJIFFがマッチシートに登録されている。
今や、トップ14のスター選手や高給取りは、かつてないほどフランス人選手が占めるようになった。これは15年前には想像もできなかったことだ。ルヴォル氏は、「私たちはトップ14で活躍し、チームをスポーツ面、文化面で豊かにしてくれる外国人選手たちを常に高く評価しています。彼らはチームにうまく溶け込み、素晴らしいパフォーマンスを見せています」と述べつつも、こう続ける。「かつてとの大きな違いは、今やフランス人選手がチームの主要な構成員となっていることです。多くのフランス人選手の開花が、JIFF制度によって加速されました」。
ルヴォル氏はまた、JIFF規定導入の背景にあったのは「良識と公益の問題」だったと強調する。「トップ14では、一部のポジションでスタメンのほとんどが外国人選手で占められ、たとえば右PRやSOといったポジションでは、フランス代表が国内リーグで定期的にプレーする選手を選出するのに非常に苦労していました。
代表チームの利益が明らかに危ぶまれていただけでなく、スポーツが進化しつつも強い伝統を保つ中で、地域の、そして国のルーツから切り離されていくような大会に対し、観客の長期的な関心が維持できるのかという問題も提起されていたのです」。
このJIFF規定の導入は、代表チームの結果にも直結している。U20フランス代表は、2018年、2019年、2023年と3大会連続で(2020、2021、2022はコロナ禍で中止)世界チャンピオンに輝いた。2024年大会は、主力3人がシニアの代表に選ばれ不在だったが準優勝を飾り、今年のU20シックスネーションズでも優勝している。
アントワンヌ・デュポン率いるシニアの代表でも、次々と若い才能が開花している。シックスネーションズで2度優勝した。2023年W杯フランス大会では準々決勝で敗退したものの、2015年の大敗とは異なり、何よりも「フランスらしさ」を取り戻した。
しかし、この成功はJIFF規定のみに起因するものではない。フランスにはもともと、豊かな競技人口と育成システムが存在していた。そこに、さらに力を入れるようになったプロ、アマチュア双方のクラブの取り組みがある。プロクラブは、地域のアマチュアクラブのコーチの指導も行い、さらに多くの質の高い選手が育成されることを期待している。
育成に関わる人々の努力が実を結び、フランスラグビー全体の選手層の深さとレベルの底上げに繋がっていることも忘れてはいけない。
【プロフィール】
福本美由紀/ふくもと・みゆき
関学大ラグビー部OBの父、実弟に慶大-神戸製鋼でPRとして活躍した正幸さん。学生時代からファッションに興味があり、働きながらフランス語を独学。リヨンに語学留学した後に、大阪のフランス総領事館、エルメスで働いた。エディー・ジョーンズ監督下ではマルク・ダルマゾ 日本代表スクラムコーチの通訳を担当。当時知り合った仏紙記者との交流や、来日したフランスチームのリエゾンを務めた際にできた縁などを通して人脈を築く。フランスリーグ各クラブについての造詣も深い。