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年齢はただの数字。
世界中の鉄人アスリートが口にするその言葉を地でいく人だ。
スポーツライターの藤島大さんがパーソナリティを務めるラグビー情報番組「藤島大の楕円球にみる夢」が、1月5日(月)、夜6時からラジオNIKKEI第1で放送される。
今回のゲストは吉野俊郎(としろう)さん。65歳の現役プレーヤーは、ワセダクラブトップラッシャーズのWTBとして、トップイーストリーグCグループを舞台に走り続けている。
今季は1勝6敗でリーグ7位だったワセダクラブ。関東社会人1部2位の習志野自衛隊PARATROOPSとの入替戦を戦うことになるも40-23と勝利し、来季もトップイーストCで戦う。
吉野さんは同年代と戦うカテゴリーではなく、高校や大学を卒業して間もない若者たちと同じフィールドに立ってプレーしている。176センチ、68キロの体形は18歳の頃から変わらない。
茨城県出身で、1960年9月5日生まれの65歳。中学では野球部に所属し、茨城県の日立第一高校でラグビーを始めた。
早大に一般入試で進学。同ラグビー部では、本城和彦、津布久誠(つぶく・まこと)と三羽ガラスと呼ばれ、大きな期待を受けた。ポジションはCTB、WTB。藤島さんもラグビー部の同期だ。
ラグビー部の同期2人がスタジオで向き合うことになった今回。しかし、当時の話には現代ラグビーにも決して古くない示唆に富んだものがあり、体形とコンディション維持の話題からは、ラグビーの枠を超えた、多くの人にとって参考となるポジティブな思考を知ることができる。
吉野さんは早大卒業後、創部からまだ歴史の浅かったサントリーに入社し、仕事とラグビーを完全に両立させる日々を過ごしながらチーム力と自身の実力を高めていった。
日本代表にも選ばれ、第1回ワールドカップに出場。キャップ7を持つ。
1995年度の全国社会人大会決勝では三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)相手に3トライを挙げてサントリーを初優勝に導く。当時35歳。藤島さんは記事に『大ベテラン』と書いた。「それが30年前です。なのに、いまもプレーしているとは」と笑う。
サントリーで監督兼選手を務めた後、1999年に大阪へ異動になったことを機に、ラグビー部を退部。関西のクラブチーム、六甲クラブで4年半ほどプレーを続け、再び東京へ異動になる。ワセダクラブでのプレーが始まった。
同クラブでは2023年12月におこなわれたJALとの試合でトライを挙げている。63歳3か月の時のことだ。試合出場は、クラブ内の競争を勝ち抜いて自らつかんだ結果だ。
ただ、この人がピッチに立つと、チーム全体が、ベテランWTBにボールを集めようとなるのだという。
ただの人情からではない。そうなると、チーム全体に動きの統一感が生まれ、流れの中で一人ひとりが判断して動きだす。早大時代の大一番、1981年の早明戦で、大西鐵之祐監督がチームに伝えた『吉野勝負』の指示を想起させる。
長く続けるトレーニングについての考え方には、多くのリスナーの参考になりそうな金言が散りばめられた。
「トレーニングと呼ぶならそうなのだろうけど、私にとっては習慣」
負荷のかけ方、バーベルを上げるときの回数設定の考え方など、教科書や指南書にはない、実体験に基づいた言葉が次々と出てくる。
多くの人たちは、歯を食いしばってこそ効果があると思いがちではないか。
吉野さんの場合、自身の体の声を聞く。「気持ちよくやれる」は、重要なキーワードのひとつだ。
ラグビーを続ける理由のひとつに、自分が愛するスポーツをプレーする人が減少している事実があった。
「そういう現状の中で、できる限りラグビーの競技人口と言われる中のプラス1でいたいんです」
趣味と特技という言葉を使っての説明からも、吉野さんのラグビー愛が伝わってきた。
「日本代表になるような人たちだと(ラグビーは)特技というところが大きく、趣味という感覚はちょっとというケースが多いはず。それだと引退という時もくるのでしょうが、私の場合は趣味なので長く続けられるんです」
鉄の意志を持っている人が鉄人になれるのではないと知ると、始まったばかりの2026年を愉しく過ごせそうな気がしてくる。
▽ラジオ番組について
ラジオNIKKEI第1で1月5日夜6時から全国へ放送。radiko(ラジコ)のサービスを利用して、PCやスマートフォンなどで全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。
放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。U-NEXTでも配信予定。1月12日の同時刻には再放送がある。