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数えきれないくらいのトライを挙げてきたけれど、グッとくるものがあった。
12月13日、リーグワン開幕。
ディビジョン2のNECグリーンロケッツ東葛×レッドハリケーンズ大阪(柏の葉公園総合競技場)で、グリーンロケッツのWTB後藤輝也がこの試合のファーストスコアラーとなった。
前半3分過ぎ、左ラインアウトから攻めたグリーンロケッツは、意図的なラックを2度作った後、ボールを右端へ。パスを受けた後藤は前進し、チーム全体を前へ押し上げた。
緑のジャージーは左へ一度攻め、再び右へ。タックルを受けたFBキーガン・ファリアが内に戻したところに走り込んだのは再び14番。後藤はインゴールにボールを置いた後、ボールを高々と掲げ、祝福に駆け寄った仲間と笑顔になった。
今季が12年目の33歳。2016年のリオ五輪ではセブンズ日本代表の一員として4位の好成績を残した好ランナーだ。
「あのトライの時、(NECがチーム名に入った)最後のシーズンの最初のトライが自分だ、という気持ちになりました」
それでガッとボールを掴んだ。周囲に気持ちが伝わった。

グリーンロケッツを保有するNECは今年(2025年)8月20日、現在のラグビー界の価値観との違いなどを理由に、チームを譲渡する意思を表明。もし話がまとまらなければ、日本一にもなったことがある緑の集団は消滅する状況にあった。
しかし、今季開幕の2日前、譲渡先がJR東日本に決まったと発表される。だから選手たちは笑顔になり、NECの名は消えるけれど、来季新しくスタートを切るチームがディビジョン1で戦えるように今季を戦おう。そんな気持ちになって、初戦のキックオフを迎えた。
譲渡の話が出て以来、何か月も重苦しい空気がチームにあったけれど、それがなくなった影響か、この日のグリーンロケッツの選手たちは序盤から結束してプレーした。
先制の場面を、「気持ちよかった。どんな状況であれ、トライを取るのは一番気持ちがいい瞬間です」と振り返った後藤は、結局3トライを挙げた。
最終的に31-14。ボーナス点込みの勝ち点5を獲得する試合でプレーヤー・オブ・ザ・マッチに選出された。
2つめのトライは前半31分。右のタッチライン際でタックルを受けながらも、抜群の身体能力、バランス感覚でラインの外に出ることなく、体を回転させてトライラインを超えた。
「(タックルされた瞬間)最初に足が出たかだけ分からなかった。そのあとは体を捻り、絞って、ボールを置きました。そこはいけていると思いました」
12-7とスコアを詰められていたから貴重な追加点だった。

3つめのトライは後半34分、相手陣深い位置でのラックから出たボールをCTB小幡将己が防御裏に転がし、それを手にした後藤が走り切った。
「こちらの攻撃に相手が守りきれなくなっていて、裏に人がいなくなることが多くなっていた。なので、呼びました。体勢的に難しいかなとも思いましたが、よく蹴ってくれた」
相手とのトライ差を3にする、ボーナス点獲得を決めた貴重なプレーは、攻撃を9フェーズ重ねた後に生まれた。
6月23日に始まった長いプレシーズンを経て、みんなで積み上げてきたものが生きた。
ベテランWTBは、「今シーズンは戦術的に複雑だった去年より、分かりやすい戦い方になっている」と話し、大きく人が入れ替わったチームには、それが合っていることを示唆した。
この日は、他チームからの移籍選手など新加入選手や若手も含め、8人のグリーンロケッツ初キャップの者がいた。
そんな背景もあり、勝利を得た後のロッカールームは「いい盛り上がりでした」。
この試合のキックオフ前、スタジアム近くのミーティングルームを新しくチームを受け入れてくれた東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)の喜㔟陽一代表取締役社長と、日本電気株式会社(NEC)の森田隆之取締役代表執行役社長兼CEOが訪ねてくれた。
2人の話からは、開幕前になんとか自分たちに話がまとまったことを伝えたいという熱意が伝わってきた。

「譲渡の話は、時間がかかるものだと思っていました。一度、譲渡に関する調整期間が延長になったという発表があったので、来年の1月、2月ぐらいまでにいろいろと決まっていくのかなと思っていました」
それが、思っていた以上のスピード感で話が進められて感激した。
「JRさんが難しいところもいろいろ承諾してくださったようですね。本当に嬉しかった。ほっとしました」
譲渡がまとまった事実。忙しい中、2人の社長がわざわざ足を運んでくれた優しさ。そういったことは、この日チームに、いい風を送り込んでくれた。
全員が感謝と、鬱屈とした日々から解放された気持ちをプレーで表した日だった。
「もちろん、いい影響があったと思います。(ベテランの)僕自身は(譲渡の話が出た後も)そこまで不安ではなかったですが、若い選手はたぶん、とても不安だったと思いますから」
後藤自身はチームの存続が叶わなかったら、ブーツを脱ぐつもりでいたという。
「このチームがなくなるなら、やめようと。移籍してまでやる気持ちはありませんでした」
譲渡が成立しても、いまの生活環境が大きく変わるようなら続けるかどうか分からなかった。「終わり時かな、と考えていました」。
しかし、JR東日本とともにグリーンロケッツが共に歩んでいくと決まり、正式な話ではないが、記者会見などから、選手たちのチームへのコミットの仕方の選択肢の多さや、現在の活動拠点の維持など、自分たちやファンのことを深く考えてくれていることが伝わってきている。
後藤の胸も熱くなる。
「この先もやっていいよ、と言われたらやりたいと思っています」
そんな気持ちになっているのは自分だけではないだろう。

相手の傾向を分析し、「あそこにチャンスあり」と分かっていたところにボールを運び、両WTBが5トライ中4トライを挙げて快勝した開幕戦(左WTB尾又寛汰も前半15分にトライ)。
ドラマや映画なら、窮地から救われたチームが結束し、一気に頂点へと駆け上がるのだろうが、グリーンロケッツはこの先、どんなパフォーマンスを見せるだろう。
2002年度、当時の東日本社会人リーグで7位と沈んだチームが、同年の日本選手権で優勝したことをオールドファンは忘れていない(ミラクル7と呼ばれた)。
将来が明るくなって、安心するような気質のチームではないのは、歴史が証明している。反骨心こそグリーンロケッツに受け継がれるDNAと証明する日々を送る。