
サクラフィフティーンがブラックファーンズに負けた夜は、エクセターの街に滞在した1週間のうちに4晩通ったパブで、だいぶビールを飲んだ。
翌日は午前中に鉄道でヨークまで移動。4両編成の車両は人と荷物でごった返し、なかなか窮屈な空間だった。
揺られること約5時間の旅は決して快適なものではなかったが、イングランド南西部のエクセター(エクセター・セント・デイビッズ)で列車に乗り、直行で8時間ちょっと乗りっぱなしでいたら、エディンバラなども越えて、終点のスコットランド、ダンディーまで行けるのは、なんだか素敵。ヨークまでの途中にも、ブリストルやバーミンガム、リーズなどの街があった。

エクセターを離れる前には知人からの誘いもあり、エクセター大学ラグビー部の練習を見学に行った。
同部には、國學院久我山高校出身の阿部太一さんが在籍している。知人と阿部さんの2人は前日の日本×ニュージーランドがおこなわれたサンディーパークで偶然出会ったそうだ。午前8時から始まる練習に向かった。
トレーニングは、いろんなスポーツができるグラウンドが15面ほどある大学の施設でおこなわれていた。
この日は50人〜60人ほどの部員の姿があった。阿部さんによると、クラブ内の連絡をやりとりする『WhatsApp』には、コーチ、スタッフ、選手を合わせて360人ほどが登録されている。トップのファーストフィフティーンを含めて9つのグレードのチームがあり、トップ選手の中には、プレミアシップのエクセター・チーフスと契約している選手もいる。
コーチ陣やスタッフにもチーフスと関連の深い人たちが多いから、レベルの高い指導を受けられる。トップ選手と触れ合う機会があるのも魅力だ。
BUCSスーパーラグビー(大学のトップチームで競い合う)を舞台に戦うトップチームが年間18試合ほどおこなうのと変わらず、各グレードのチームも同じぐらいの試合数をおこなうことができている。
昨季ルーキーイヤーを過ごした阿部さんは、上から6つめのグレードで、WTBとしてプレーした。

阿部さんが海外大学進学の道を志したのは、幼少期から海外のカルチャーに興味があり、漠然と将来は海外に暮らしたいと思ったことに原点がある。その思いは小学生の頃に休暇を利用し、母の友人が暮らすオーストラリア、シドニーの家で過ごしたことで大きくなった。
ホテルでなく家に滞在し、そこからスーパーラグビーを見に行ったことがある。そんな日常がしっくりきた。
ラグビー愛好家の母の影響を受けて、2歳過ぎから世田谷区ラグビースクールでボールと駆けた。中学、高校と、國學院久我山のラグビー部で過ごす。WTB、FBでプレーし、高校2年、3年と、花園でも仲間と戦った。
ラグビー部での活動に熱中しながらも海外大学進学の思いを持ち続け、海外ドラマの視聴や塾通いなど、いろんな形で語学力を伸ばした。
高校3年時のミニ国体終了後、スタジアムから空港に直行し、目指していた地の見学に旅立ったこともある。ラグビーも進学も、内面から湧き出る愛情こそ行動のエナジーとなる点では変わらない。
エクセター大学進学は、ラグビー部の実力と、学びたいマーケティング、マネージメントについて、両面で自分にプラスとなると判断して決めた。
2023年の3年に高校卒業後、同年9月から翌年6月までは、大学入学後を見据えて、語学スキル、アカデミックスキルの土台を厚くするファウンデーションコースに学び、2024年9月に入学。現在2年生になったところで、3年生が終了する2027年6月まで同校に学ぶ。

高校卒業後の数か月間は、ファウンデーションコースのテストをクリアするためにも、原宿のイギリス発ブランドのアパレル店でアルバイトをして、外国人のお客さんやスタッフと触れ合うことで英語に触れる機会を増やした。
やる気があれば自分を高められる方法はいくらでもあると、173センチのウインガーの生き方は教えてくれる。
大学寮での1年間の生活を経て、いまはアパートに暮らす生活が気に入っている。
エクセターは大学生とお年寄りが多い街で、勉強とラグビーにどっぷり浸かれる。自分たちのグレードは水曜日に試合がおこなわれることが多く、ホームに相手を迎えたり、バスで出かけたり。
「なので水曜の夜、エクセターの街は、大学スポーツに関わる多くの若者たちが飲み会を開いていると思います。僕も、ラグビーとそういう会でイギリス人の友だちも多くできました。ラグビーをしているからこそつながった仲間は多いです」
チームには、イングランド出身もいれば、ウェールズ出身の仲間もいて、フランス、イタリア、南アフリカからやってきた選手もいる。そんな中でラグビーと勉強に全力を注いで、将来も海外で働くつもりでいる。
阿部さんの練習中の動きを見ていて気づくのは、練習と練習の移動などメニューの切り替えの際、誰よりも先に動き、走って次のシチュエーションに対応していることだ。

その理由は、日本と英国のラグビー文化についての話の中にあった。
「プレーのレベルの高さやフィジカル面の強さを見せることが試合出場につながるのは思っていた通りなのですが、日本では、練習で声を出したり、集合がかかった時にいちばんに走る、雑用をする、などが評価されて試合で起用されることがあるじゃないですか。それ、こっちでも同じなんです。僕も日本でやっていたことを継続していたら試合に出られました」
日本の外に出て初めて分かったこともあれば、どんどん世界が広がっていく感覚が楽しい。
ちゃんと言葉を話せなくても、身振り手振りで意思を伝え合ううちに分かり合えて友だちになり、コミュニケーション能力が高まる自分がいる。
「海外でラグビーをしてみたいけど、と言っている人に、何人も会ったことがあります。大学からでも全然遅くないし、その気があって、準備すれば絶対に行けるので、どんどん海外に出て勉強でもラグビーでもする人が増えてほしいと思っています。そういうことを広める活動もしていきたいですね」
まもなく21歳になる若者は、「仲間がどんどん増えたり、ラグビーをしていたから、ということもたくさんあって、この国におけるラグビーの大きさをあらためて実感しています」とも言った。
エクセター滞在の序盤に知り合っていたら、何杯でもビールを奢っていただろうな。そして、隠れ家的なパブを教えてもらえたかもしれない。
