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【Just TALK】リーチさんが好きな冷たい水風呂、僕は30秒が限界。木戸大士郎[日本代表/東芝ブレイブルーパス東京]
マオリ・オールブラックス戦には後半20分からピッチに出た。(撮影/松本かおり)
2025.08.01
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【Just TALK】リーチさんが好きな冷たい水風呂、僕は30秒が限界。木戸大士郎[日本代表/東芝ブレイブルーパス東京]

向 風見也

 昨季、明大ラグビー部で主将を務め、現在は東芝ブレイブルーパス東京に在籍する木戸大士郎は、国内リーグワンでデビューする前に日本代表となった。

 参加した対ウェールズ代表2連戦までのキャンペーンが終わってから、都内の拠点で取材に応じた。

 大阪府出身で身長186センチ、体重103キロのフォワード第3列はまず、代表予備軍にあたるJAPAN XVへ招かれた。

 大分での活動は5月16日に始まった。まだブレイブルーパスに入ってまもなく、23歳の誕生日を迎える前のことだ。

——リストアップされた経緯を教えてください。

「まずトディ(ブレイブルーパスのトッド・ブラックアダーヘッドコーチ)に『名前が挙がっている。もし行けるならチャンスだと思う』と。それから1週間くらい何もなかったので『本当にそんなん、あるのかな』と思ったら、合宿の3日くらい前に『用意して!』と。

(JAPAN XVが)どういうカテゴリーになるかもわかっていなかったですが、呼ばれたことは嬉しかったです」

きど・たいしろう。2002年7月26日生まれ、23歳。大阪府出身。186センチ、103キロ。岬ラグビースポーツ少年団(小2/小中)→常翔学園高校→明治大学→東芝ブレイブルーパス東京(2025年〜)。(撮影/向 風見也)


——声がかかった理由を想像するとしたら。

「大学の時を、見てくれていたのかなと。やっていたことはハードワークと、身体を張ること。(合宿でも)そこを見たかったのかなと思ったので、いつも通り、走って、当たって、しんどいことをやり続けました」

——リーグワンの真っただ中。優勝を争うクラブから一旦、離れることになりました。

「複雑な気持ちでしたが、(ブレイブルーパスの主力は)メンバーが固まっていた。JAPAN XVで試合に出る機会があるなら、成長に繋がると思いました」

——現地ではニュージーランド学生代表と対戦しました(5月24日、大分スポーツ公園クラサスサッカー・ラグビー場で後半8分に出場。30-24で勝利)。

「メンバーには同い年が多く、共通の友人も何人かいて、楽しかったです。僕は高校日本代表にも選ばれていないし、U20(20歳以下日本代表の活動)もコロナ(禍)でなくて、選抜(チーム)に呼ばれたのは初めてでした」

——日本代表ではエディー・ジョーンズ ヘッドコーチ(以下、HC)が約9季ぶりに復帰して2年目を迎えていました。

「厳しいというか、細かいところに目を光らせている人。少しでも全力を出していないとバレるし、怒られます。

(自身は)スピードグリットというスプリントのメニューでフッカーの選手より遅くて、手を抜いたわけではないんですけど『バックローがフッカーより遅いとはどういうことだ』と言われたことがありました!

(1対1での面談も)何回かあって、『サイズがまだまだ小さい。体重を増やして、テストマッチ用の身体にしてほしい』とも。目標は体重105キロ、徐脂肪体重80キロです」

 ジョーンズHCは、2015年のワールドカップイングランド大会で3勝を挙げるまでの4年間もジャパンを指揮していた。

 ブレイブルーパスには当時の代表にいた先輩もおり、そのひとりであるリーチ マイケルは今回のウェールズとの2連戦で主将を務めていた。

 木戸はリーチに「この練習を乗り越えたら、どんな練習も楽(に感じる)」と励まされた。

「確かに、その通りやなと」

——6月上旬は長野・菅平高原で、代表候補合宿に挑みました。

「ハードやったっす。周りから『しんどいで』と言われていて、ほんまにしんどくて。ただ、いろんなチームの人たちとやれて新鮮でした」

赤×白のジャージーを着たい。日本ラグビーを背負って戦いたい。(撮影/松本かおり)


——具体的に何がハードでしたか。

「(指向する)ラグビーが、しんどいんです。本当に、ずっと動き続けないといけない。その当たり前のことが徹底されている。(ポジションごとの立ち位置は)整備されていますが、そのなかで走り続けないといけない」

——ひとつのプレーが終わった後にすぐに次の仕事へ移る「ゴールドエフォート」と、その逆を意味する「レッドエフォート」の回数が数値化されています。要は、それをカウントするスタッフがいるのですね。

「ほんまにすごいと思いますよ、分析の人」

——続く6月16日からの正代表による宮崎合宿へは、同22日よりJAPAN XVの扱いで追加招集されます。同28日には東京・秩父宮ラグビー場でのマオリ・オールブラックス戦へ後半20分より途中出場しました。

「マオリ・オールブラックスは小学生の時に観に行っていたようなチームです。そんな相手と試合ができたのは嬉しかったです。やれることをやるしかないと、あまり気負わずにできました」

——結果は20-53での敗戦。

「壁は高かったですね。個人で言えば、バックローとしてもっとブレイクダウンでプレッシャーをかけないといけないです。速いテンポでボールを出されちゃうと、ディフェンスもしんどいですし」

——翌29日からは、日本代表の一員としてチームへ加わりました。1勝1敗で終えたテストマッチではメンバー入りこそ果たせませんでしたが、そのための準備を経験します。

「僕は『リザーブのリザーブ』だったのであまり練習に参加できなかったですが、リーチさんが引っ張ってくれていた。いつも(自軍で)見ている光景でした。東芝の時と、言っていることはそう変わらないです。

 一貫して『自分たちにフォーカスしよう』と。(ジョーンズの目指す)『超速ラグビー』をするための(ボール保持者の)倒れ方、ラックスピードについて、何個かのキーワードを明確にして(伝えていた)。シンプルにしてくれて、わかりやすかったです。

 リーチさんは相変わらず、ハードワークとハードリカバリーをしていました。(宮崎には)水温を10度くらいに設定できるめちゃめちゃ冷たい水風呂があるんですけど、(トレーニング後は)ずっとそこに入っています。『これ、東芝にも買おうかな。2台は欲しい』って言いながら。

 僕は苦手なので30秒が限界。リーチさんはそこに何分も入っていて、僕が出たら『何してんねん』と!

 ベン・ガンターさん、下川甲嗣さんは、練習後にジャッカルなどを教えてくれました。いろんな人が関わってくれる、温かい場所でした」

日本代表候補の菅平合宿にて。大分でのJAPAN XVとしての活動など、向上心ある姿勢を示し続けたことも評価された。(撮影/松本かおり)


——7月下旬までにブレイブルーパスに戻り、炎天下でも走り込むなどタフなチーム練習に混ざっています。その傍ら、代表側から提示されるメニューも自主的に取り組んでいるのですね。今後の目標は。

「代表に選ばれるんやったら、1試合、出たいなと。リーグワンでもキャップを獲りたい。(ライバルから)いろんなことを吸収して、ハードワークし続ける。それしか自分の武器はないですし、そこがいいと思われて(ブレイブルーパスに)採ってもらえた。いいところをいっぱい伸ばして、悪いところは改善していきたいです」

 さかのぼって5月25日からのおよそ1週間は、当時コミットしていたJAPAN XVからブレイブルーパスへ帰っていた。
 6月1日、東京・国立競技場でリーグワンのプレーオフ決勝があったためだ。

 府中のクラブハウスへ顔を出すと、ニュージーランド代表56キャップを誇る不動の司令塔が大変な状況にあるとわかった。

「リッチー(・モウンガ)が手を折っていると」

 ファイナルには出られないだろうと思われたモウンガは強行出場し、好プレー連発で2連覇を成し遂げた。

 夜は患部が腫れたまま、同僚との宴会を楽しんだ。

 カラオケでは、長渕剛の『Myself』を熱唱した。

 その話題に触れた木戸は、著名人へのリスペクトを込めた「長渕」呼びで続けた。

「リッチーもそうですけど、トンガ人(もしくは同国にルーツのある選手)は、長渕、好きです。皆、僕や若い世代の日本人よりも長渕を知っています」




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