![【女子日本代表 RWC2025へ】努力と責任感に支えられた輝き。松村美咲[WTB]](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/07/KM3_7107_2.jpg)
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キックオフ時に蹴り上げるボールの軌道がとても美しい。
松村美咲はボールを蹴るのがとても好きで、うまい。
サッカーをやっていたから、だけが理由ではない。
2025年8月下旬に開幕するワールドカップに参加する女子日本代表に選ばれた20歳は、恵まれた才能を努力で伸ばす人だ。
7月19日(32-19/北九州)と26日(30-19/秩父宮)におこなわれたスペイン代表戦では、両試合にサクラフィフティーンの14番としてフル出場した。
股関節を痛め、その治療とリハビリのため、長く戦列を離れていた。実戦は2024年10月11日に南アフリカでおこなわれた、WXV(女子の国際大会)のウェールズ戦以来のことだった。
スペイン戦では得意なステップワークを披露し、何度も効果的なランでチームの勝利に貢献した。第2テストでは自らトライも挙げた。
その翌日に発表されたワールドカップメンバーに自分の名前があった。
「大会に出場し、世界を相手に勝ちたいと強く思ってきました。初めての大きな世界大会です。海外の相手にチャレンジできる機会をいただけたことが嬉しいです」と初々しかった。

この数か月、W杯出場を実現させようと手を尽くした。
復帰への道を確かにするため、スペシャリストを求めてカナダへ短期間渡る。トレーニングの方法を学び、急ピッチで調整を進めた。結果、スペイン代表戦に間に合い、2試合を経る。「プレー時間をもらい、少しずつ感覚が戻ってきました。まだまだ(上へ)いける」と頼もしい。
大会まで1か月弱。イングランドに行く途中、イタリアで同国代表とのテストマッチもある。最高の状態で大舞台に立つ。
トライを挙げた7月26日のスペイン戦は、前戦よりボールタッチが多かった。前半7分過ぎの得点チャンスには惜しくもグラウンディング寸前にボールコントロールを失うも、後半20分には松村が右サイドを走り切った。チームがいくつもフェーズを重ねたアタックを仕上げた。
1週間前の北九州での試合ではFWが5トライを挙げていたから、その試合ではBKの選手たちと「スペースにボールを運ぼう」と話して試合に臨んだ。
「ワークレートを高め、いろんなところでボールに絡もう、と。取り切れないシーンもあり、個人的には課題も出た試合でしたが、まだまだ伸ばしていけると思います」と30-19の勝利を手にした後に話した。
カウンターアタック時など、ディフェンダーとの間合いがある時の方が、自分の強みであるステップが、より効果的と分かっているし、思い切って勝負できる。だから、「もっとコミュニケーションをとって、自分に余裕がある状態でボールを手にできるようにしないと」とフィーリングを口にした。
「自分がフィニッシャーになれるようにしたい」と、求められる役割を理解してプレーする。
2005年3月6日、東京都杉並区の生まれ。半年後に父の香港駐在のため海を渡り、5歳まで現地で暮らした。
3歳から5歳まで『Hong Kong University Sandy Bay』で楕円球を追い、帰国後は杉並少年ラグビースクールに入る。小2からは浜田山小学校の浜田山ジュニアサッカークラブで円い球も蹴るようになり、そちらでは小5、小6時に関東や東京の女子トレセン選手に選出された。

【写真左下】同じく2015年の熊谷でのガールズフェスティバルでの一枚(左から3人目)。1学年上の向來桜子(左から4人目。現代表でチームメート)とも一緒にプレーした。
【写真右下】2016年の都大会での一枚(杉並少年ラグビースクール時代)
中学時代はラグビー部の活動が盛んな千歳中に進学し、世田谷区ラグビースクールにも在籍した。毎日練習できる部活で男子と共に活動する環境の中で揉まれ、関東学院六浦に進学。大学は早大スポーツ科学部に学びながら、東京山九フェニックスでプレーを続ける。
どの環境が自分をより成長させてくれるのか。その判断基準で人生を歩んできた。
本人が自分の強みと自覚するキックスキルの高さも、幼い頃にサッカーで築いた土台が生きているけれど、努力と責任感があったから伸びた。
ラグビースクールのコーチから男子の主戦キッカーだけでなく、「もうひとり蹴られる選手がいるといいな。美咲どうだ」と言われて必死に練習した。弟の壮図(現・東海大大阪仰星高校ラグビー部2年)と、暗くなるまでボールを蹴った。
中学時代にはプロキックコーチの君島良夫さんの講座に学んだ。
同コーチには、中学、高校時代と、スランプに陥った時に個人指導を仰ぎ、アドバイスをもらう。
元日本代表主将、菊谷崇さんらが指導する『Bring Up Athletic Society』にも通った。そこでサンウルブズのS&C部門を担当したこともある臼井智洋コーチと出会い、自分の体と向き合う感覚を得た。
高校時代までセブンズを主にプレーし(2022年にセブンズ代表キャップ1も獲得)、15人制も含めてSOの位置を任されることが多かったけれど、近年はWTBを任されるようになったからスピードアップのためのトレーニングにも重点的に取り組む。
高まったランニングスキルは、初キャップからの12テストマッチで8トライという結果を呼んでいる。
サクラフィフティーンでの活動中は、グラウンドでレスリー・マッケンジー ヘッドコーチやベリック・バーンズ コーチと談笑するシーンもよく見られる。通訳がその場にいない時は、指導陣の言葉を自分が仲間に伝えることもある。
それができるのも香港時代の貯金が理由でなく、「英会話スクールにも通ったし、中高と勉強もしました」と努力が裏にある。
学び続ける姿勢は尽きない。
在籍するフェニックスの練習が清水建設江東ブルーシャークスのグラウンドでおこなわれる際、同チームに所属していた元オールブラックス、SOリマ・ソポアンガから技術的なアドバイスをもらうだけでなく、トップ選手のマインドから学ぶことがあった(2024-25シーズンで退団)。

【写真右上】ベリック・バーンズ コーチと談笑する。努力も重ねて語学堪能
【写真下】オールブラックスのダミアン・マッケンジーは憧れの存在。「ボールを持った時にパス、ラン、そしてタックルと、いろんなプレーでチームに流れを持って来られるので」
誰にだってパフォーマンスが上がらない時はある、とその人は言った。そして、「常に最高の準備をすることをやめず、試合ではプレッシャーを受け入れ、それを自分の力に変えて楽しむんだ」と教えてくれた。
前回(2022年)のW杯は関東学院六浦高校3年時。チームメートとサクラフィフティーンの試合映像を見て応援。同校の1年先輩にあたる向來桜子が世界の舞台でプレーする姿に憧れた。
「自分も世界の大きい舞台で戦いたいと思いました」
その時から3年が経ち、大舞台に立つ権利を自らつかんだ胸の高鳴りを言葉にする。
「初めての大きな世界の舞台なので、しっかり楽しむことを忘れずにプレーしたいです。これまで支えてきてくださった方々に感謝し、恩返しできる場と思っています」
20歳での選出は、同学年のPR町田美陽がすでに21歳の誕生日を迎えているため最年少。「年齢に関係なく仲の良いチームになっている」と言いながらも、「プレーでエネルギーを出していきたい」と、フレッシュさ全開で憧れの大会に挑む。
アイルランド、ニュージーランド、スペインと続くプールステージを勝ち抜いて、第1のターゲットとするノックアウトステージ進出を決めたら、きっと現地記者に囲まれる。
滑らかな喜びの声が、世界に発信されるだろう。
