![【女子日本代表 RWC2025へ】完璧なパス。ベストな自分を。津久井萌[SH]](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/07/KM3_3755_2.jpg)
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25歳で日本代表キャップ41を持つ津久井萌が、7月27日に発表されたワールドカップ(以下、W杯)メンバーに選ばれた(大会は8月下旬から9月にかけてイングランドで開催)。
本人にとっては、今回が3度目の大舞台だ。
横河武蔵野アルテミ・スターズ所属のSHが初めてW杯に出たのは2017年の大会。当時は高校3年生だった。
高校2年時、2016年に16歳で日本代表デビュー(W杯アジア予選)を果たし、翌年、17歳の時にアイルランドで開催されたW杯に出場。チームは12チーム中11位に終わるも、高速のパスワークとタックル、仕掛けで世界を驚かせ、大会ベストフィフティーンのSHに選ばれた。
足かけ10年の日本代表活動。それだけのキャリアを誇りながらも、今回の選考について「(選ばれて)嬉しかったです。最後まで分からないと、ドキドキしていました」と表情を崩す。
セレクションに関しては、「過去は関係なく、現状のプレーを見て選ばれると思っています」と理解している。だから、「最後の最後まで見られている。しっかり自分のプレーを出さないと」という緊張感があった。

7月19日と26日におこなわれたスペイン代表戦では、初戦が途中出場、2戦目には先発で出場。阿部恵と2人で高め合っている。
W杯スコッドにも専門職は2人だけと信頼は厚い。日本のSHのレベルの高さを世界に発信したい。
過去に出場した2大会と比べ、準備期間が充実したことに自信を持っている。
2023年、2024年のWXV(女子国際大会)など国際試合の経験は増え、合宿の回数、期間も増えた。それは自分も含めた個々の選手のレベルアップを呼び、選手層も厚くなった。それがチームの終盤の強さを呼んでいる。
「誰が出てもレベルが変わらなくなっていると思います。また、3試合続けておこなわれる国際大会などに参加して、ワールドカップと同じような経験もできています」とサクラフィフティーンの進化を話す。
自分に求められていることを、「スクラムハーフとして、一番大きな声を出してチームを引っ張る。ベストコンディションでワールドカップへ行って、ベストパフォーマンスを出すこと」とする。
近年注力してきたことは、客観的にゲームとチームを見て、判断すること。試合中は相手とスペース、そして味方も見て動く。
練習では、気づいたことをすぐに個々に伝える。自然体で積み重ねてきた知見をチーム内でシェアするようにしている。
キックの技術も高まっている。スペインとの第2戦では持ち味のパスワークのはやさだけでなく、機を見て走った。そして、防御裏へのショートキックが再獲得につながるシーンもあった。
「蹴る直前に視界に入った選手に合わせて蹴ったり、チーム全体で取り組んでいるので自信を持って蹴ることができています」
「つる舞う」と言えば、「形の群馬県」と続けられる。上州かるたは、群馬の子どもたちが幼い頃から慣れ親しんでいるものだ。
5歳のときに高崎ラグビークラブに入った。兄・壯さんについてグラウンドに行っていたのがきっかけだ。タックルが好きで、体をぶつけることに恐怖心がないのは、「幼い頃から男の子たちと一緒にプレーしていたから」と言う。
中学時代には群馬県スクール選抜に選ばれて全国ジュニア大会へ出場した。高校は地元の東京農大二高に進学。1年時に短期でニュージーランドのオークランドへ。2年時にクライストチャーチのバーンサイド高のラグビープログラムに3か月参加した。

練習熱心なラグビーの虫。子ども時代から家族と食事するときにテレビを見るなら、NHKか自分や兄の出場した試合の映像だったそうだ。両親もラグビー愛好家。自然とルールにも詳しくなった。
ベストSHに選ばれた初めてのW杯時、特に世界から高い評価を受けたのがオーストラリア戦だった。
大柄な相手を低いタックルで倒し、瞬時に立ち上がる。自らジャッカル。すぐにボールを持って出て、タックルを受けながらも走り込んできたCTB黒木理帆にパス。そのトライは、大会ハイライトで繰り返し流された。
実は、津久井が相手のボールを奪い取った動き、タックル後に自陣側に戻らないままジャッカルするプレーはルール改正により、反則となった直後だった。
しかし決定直後の開催だったW杯では適用されないと知っていたから、瞬時に判断して働きかけた。
当時そのプレーを、「ジャッカルする直前、一度相手を離してレフリーの方を見ました。そのときオッケーというゼスチャーをしたので、そのままプレーし続けました」と答えた。
ラグビープレーヤーとしては、すでに10代の感覚ではなかった。
周囲の選手より若くして大舞台を経験し、注目もされた。
しかし初キャップから停滞することなく、右肩上がりに成長し続けられるほど人生は簡単ではない。
津久井にも悩んだ時期があった。
コロナ禍の影響で予定より1年遅れて2022年にニュージーランドで開催された前回W杯では先発出場がなかった。
その年におこなわれた10試合のテストマッチ(W杯の3試合も含む)のうち先発出場できたのは2試合だけだった。
スランプに陥っていた。
「自分の強みが何で、その前のワールドカップから何が成長できた部分か、そんなことを聞かれても何も言えませんでした」
人と比べてばかりだったかもしれない。大事なのは自分がどうなのか、どうなりたいか、なのに。
「ベクトルを自分に向けられるようになって、気づきました。いま自分に足りないのは何なのか、と。そこに目を向けました。そして(人と比べるのではなく)自分が、誰が見てもベストなパフォーマンスをすれば絶対に試合にも出られる、と考えられるようになりました」

それ以来、高みへとチャレンジする道を歩んでいる。
所属する横河武蔵野アルテミ・スターズの藤戸恭平ヘッドコーチは、パスのフォームの細部にまでアドバイスをしてくれる人だ。トップリーグ時代、NECグリーンロケッツで活躍した同じポジションの師匠からもらった言葉を毎日の個人練習で反復する。
「試合や練習中は、考えながらプレーする時間はないので、(理想を)体に染みつけ、何も考えずにベストなフォームでパスできるようになろうとしています」
求道者のようだ。完璧なパスを追い求める。スペインとの2連戦の中では、納得できる理想のパスはなかったと振り返る。
本人が納得できたパスを挙げる。ただ、それは2025年4月26日にロサンゼルスで史上初めてアメリカ代表に勝った試合にまで遡らなければならない。
「あの試合で1本だけあったんです。22メートルライン付近のエッジからフォワードへ出したパスでした。地面からの力をしっかり足に伝え、パスできた。フォワードがスペースに入り込んだところにタイミングもピッタシで、前に出られました」
「体全体を使うのだけどコンパクトな動きが理想」という。
「全然力を入れなくても、スムーズに、はやく、いいところに投げるパス」
それができれば、一瞬のチャンスを絶対に逃さない。
最高の状態でイングランドの地に立ち、各試合で持てるすべての力を出し切ることに集中する。
自分を含めて一人ひとりがそうできれば、チームとしても最高のパフォーマンスが出せるからだ。そして日本らしいラグビーの実現は、SHが生命線とも理解している。