
Keyword
日本代表が勝つと、ラグビー愛好家たちは、挨拶代わりに、その話をする。
7月5日、北九州でウェールズを倒した翌日もそうだった。同6日、鹿児島のグラウンドでも、いろんな人が話していた。
その日、鹿児島ふれあいスポーツランドには多くの人たちがいた。前日から始まった『九州アイランドセブンズ』の2日目が開かれていた。
同大会は今年で4回目。59のセブンズ日本代表キャップを持ち、現在はナナイロプリズム福岡のヘッドコーチを務める桑水流裕策(くわずる・ゆうさく)さんが発起人となって始まった。
桑水流さんが所属していたコカ・コーラレッドスパークスが2020-21シーズン(トップチャレンジリーグ)を最後に廃部。現役生活にピリオドを打ったことがきっかけとなった。

本人が当時の心境を回想する。
「セブンズのために、何かできることはないか、と考えました。オリンピック種目なのに国内大会も少ない。セブンズの面白さを多くの人に知ってほしい、と思いました」
第1回大会は、古巣レッドスパークスの活動拠点、福岡市のさわやかスポーツ広場で開催した。翌年は北九州市の本城陸上競技場に会場を移した。
故郷・鹿児島での開催としたのは2024年からだ。
そして今回から、大会名には『KUWAZURU CUP』と記されるようになった。鹿児島県ラグビー協会の渡辺丈会長の「セブンズのレジェンドが起こした大会と多くの人に知ってほしいし、その方が大会への思いが伝わる」という思いが反映された。

今回参加したのは男子9チームと女子4チーム。国民スポーツ大会(旧・国体)へ出場するための強化を続ける各県国体チームが集まっている。現在は各チームの試合数を増やすことを優先して、優勝を争う形式にはしていないが、将来的には頂点を争う形式にし、優勝カップを渡す計画もある。
現在、実行委員長を務める桑水流さんは、「今後はアジアをはじめとした海外チームの参加も募りたい」と考えている。
「セブンズの広がりとともに、鹿児島から九州の魅力を世界中に発信していけたらいいですね」と話す。
この大会を足がかりに、将来的にはセブンズの国内リーグへと発展していけたらいいとも考える。高校生以下のリーグも同時に開催し、普及を促進していくプランも頭の中にある。セブンズは、桑水流さんの可能性を広げてくれた競技。氏の愛情も深い。

この大会を訪れて感じたのは、セブンズを愛する人たちのファミリー感と、その結びつきの強さだ。
各試合でモスト・インプレッシブ・プレーヤーを選び、その選手には大会Tシャツが贈られる。そのプレゼンターを務めたのは、築城昌拓さん(男子)、山田章仁さん(女子/九州電力キューデンヴォルテクス)。ふたりとも桑水流さんと共に世界と戦った仲間だ。絆はつながったままだ。
各チームにもセブンズ仲間がたくさんいた。
熊本チームを指導しているのは、福大時代の桑水流さんを代表チームに引き上げた高井明彦さん(元セブンズ日本代表コーチ)。その時、同時にピックアップした上本茂基さんは、福岡チームの指導にあたっていた。

佐賀チームでは、リオ五輪に一緒に出場した副島亀里ララボウラティアナラが相変わらず元気に走っていた。
秋田チームではセブンズ日本代表復帰を目指す丸尾崇真がリーダーシップを発揮していた。
熊本チームには、懐かしい顔があった。徳永亮さんだ。熊本西高出身。帝京大でSOとして活躍し、リコーへ。2016年度まで同チームでプレーを続けた。この夏には40歳となるが、いまも熊本県国スポチームでプレーを続けている。
キックが得意で、以前は自分から仕掛け、走るプレーも武器としていた。しかし、現在のプレースタイルは周囲とコミュニケーションを取りながら、それぞれの長所を引き出していた。
そんなスタイルだから、周囲からの信頼も厚かった。

リコーでのトップレベルでの現役生活を終えた後、故郷の熊本に戻り、現在は熊本聾学校で働きながらプレーを続けている。
以前の熊本盲学校も含め、支援学校勤務9年目。寄宿舎指導員として、子どもたちが将来自立して社会の中で生活していける力をつけるためのサポートをしている。「子どもが好きなので」と話す表情から、充実した日々を送っていることが伝わる。
「もうすぐ40ですが、ラグビーが好きで。続けていると、いろんな人とつながったままでいられるし、つながれるのがいいですね」
桑水流さんとは同じ九州の高校出身(桑水流さんは鹿児島工出身)で、同い年。トップリーグなどで戦ったこともある。
ラグビーを続けているから、何年経っても仲間と同じ空間にいられる。それがいいんだよなぁ。