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竹内柊平がD-Rocksを退団し、海外移籍希望。今季の学びを生かし、「もっと強くなる」
宮崎工、九州共立大に原点を持つ叩き上げの27歳。183センチ、115キロ。(撮影/松本かおり)
2025.06.01
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竹内柊平がD-Rocksを退団し、海外移籍希望。今季の学びを生かし、「もっと強くなる」

田村一博

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 2024-25シーズンはレギュラーシ―ズン18戦+入替戦2戦、チームが戦った20試合のうち17試合に出場したものの、先発は5試合のみだった。
 浦安D-Rocksのプロップ、竹内柊平の名前が、6月1日に同チームが発表した追加退団選手の中にあった(他にLOローレンス・エラスマスとNO8トゥクフカ トネ)。

 エディー・ジョーンズ ヘッドコーチ率いる日本代表において、2024年シーズンにテストマッチ10戦に出たタイトヘッドプロップは通算13キャップ。九州共立大から2020-21シーズンに加入し、5シーズンを過ごしたチームを離れる(入団した時はNTTコミュニケーションズシャイニングアークス)。

 5月31日におこなわれた豊田自動織機シャトルズ愛知との入替戦(ディビジョン1/ディビジョン2)には、18番のジャージーを着て後半29分からピッチに立った。
 16節の東芝ブレイブルーパス東京戦以来、4試合ぶりの出場が決まり、試合の2日前には「めちゃくちゃ光栄です」と話した。

「このジャージーをもう一回着られる。このチームへの感謝や思いを背負って戦いたいですね。激しくプレーしますが、自分がこうしてやる、とか(気負うの)ではなく、チームから与えられた役割を全うします。それが、18番の僕に与えられた役目だと思います」

D1残留を決めて「素直に嬉しい」。5月31日のシャトルズとの入替戦がD-Rocksでの最後のプレーとなった。(撮影/松本かおり)


 自分が思い描いていたようなシーズンにできなかった理由を、「チームにアジャストできていなかった」とした。

 チームの勝利より、もっと強くなりたい、もっと目立たないといけないと、自分への意識の方が上回っていたかもしれない。
 その一方で、プレータイムは少ないままだった。
「その事実に対し、ストレスをためてしまい、マインドの部分がうまくいきませんでした」

 自分ファーストのスタンスになってしまったのは、赤白のジャージーを着て世界と戦い、まだまだ足りないと感じたことが原点にある。
 今季はたくさん試合に出て、すべての面をレベルアップさせるつもりでいた。

 しかし、自分とチームの評価にズレがあった。
「自分の中では自信があったのに、(代表から)実際チームに戻ったら、そうではなかった。その現実を受け入れるのが難しくて」と話す。
「他人と自分を比べたりもしました」

 例えば、スピアーズのオペティ・ヘルや為房慶次朗について。
「オペティは、国内でもいちばんの3番だと思っています。そんな彼と(代表では)しのぎを削り合っていたのに、自分は試合に出られていない。為房(慶次朗)も活躍している。それと比べ、ディビジョン1でも下位のチームで、自分は試合に出られていないしチームは勝てていない」
 悶々とした思いを抱えた時期があった。

 しかし、シーズン終盤から変わった。葛藤していた自分を、「そういうことじゃないよね」と思えるようになった。
「(心の)整理がつきました。チームのために動く。チームが勝つために準備をして、勝利の一部となれるようにすべてを出し切るんだ、と」

「自分の期待と結果がまったく伴わなかった。過去一悩んだシーズンでした。チームへのフォーカスか、個人へのフォーカスか。僕の場合は、自分が足りないという思いから個人にフォーカスして空回りしました。チームにフォーカスできておらず、役に立てなかったのだから、(出られないのは)当然なんですよ。チームスポーツである以上個も大事ですが、そこを高めながら、もっとチームメート、コーチとコミュニケーションを取り、チーム力を上げていくために、もっとチームの一部になることが大事でした」

「今シーズン学んだことは一生自分の中で生きる」と言う。
 遠い先を考えるのではなく、目の前の仲間と、一つひとつの勝負を戦ってこそ先へ進める。
 分かっていたはずのことを、あらためて身をもって知った。

 退団の意思は、出場機会の有無、プレータイムの長さから決めたことではない。
「海外に出たいと思ったのは、昨年の日本代表のヨーロッパ遠征の時でした(2024年秋)」

「スクラムは当然、すべてのプレーをレベルアップさせたい」。写真は2024年秋のフランス戦より。(撮影/松本かおり)


 オールブラックスやフィジー、サモアなど南半球のチームと戦った時には、自分のフィジカル面が通用するような体感だった。
 しかし欧州へ向かい、特にフランス代表と戦った時には大きな差があると感じた。
 その結果を受け、「自分のフィールドプレーはもっと伸ばせる。(海外に)行きたい」と前向きに考えられるのは、この人のポジティブさゆえ。北半球でプレーしようと決めた。

 移籍先は決まっていない。
 しかし、ふたたび日本代表で活躍する、2027年のワールドカップでチームの勝利に貢献する、世界一のタイトヘッドPRとなる、という目標に届くためにも、思いを貫くつもりでいる。

 今季を振り返り、「ジャパンに呼ばれるパフォーマンスを出せたかどうかと言われれば、絶対に出せていない」と言う。
「目の前の結果を受け止めて、一歩一歩前に進みます」

 日本代表活動への招集の有無も、まだ明確にされていない。
 ただ、さらに進化するために、今季の経験を生かして生きていくことは決めている。

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