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【ワールドユース+】終わらない、それぞれの物語。
写真左上/台湾ジェングオ ハイスクールのルー・メイイー、写真右上/同校のスー・ボーシュン、写真左下/同校のツァイ・ルイホン、写真右下/NZ・ハミルトン ボーイズ ハイスクールの河合昌美。(撮影/松本かおり)

【ワールドユース+】終わらない、それぞれの物語。

田村一博

 宗像の地から若者たちが、それぞれのホームタウンに戻って約20日が経った。
 きっとみんな、いつもと変わらぬ生活を送っている。『サニックス ワールドラグビーユース交流大会2025』で世界の仲間たちと触れ合った日々は普段の生活の中で、どのように生きていくだろう。

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◆台湾の1年生、3人のときめき。


 5月5日におこなわれたファイナル、大阪桐蔭×佐賀工の前に、多くの視線を集めた試合があった。
『World XV Friendly Match』は、参加各チームの選手たちの中の、出場機会の少ない選手たちでチームを構成して実施する試合だ。サニックスブルー、サニックスホワイトの2チームを作り、前後半12分の試合をおこなった。

World XV Friendly Matchでプレーする仲間たちをチームメートが応援する。(撮影/松本かおり)


 レギュラー選手だけでなく、チームを支える存在にも光を当てるこの試合は、それぞれのチームに好評だ。涙を流して喜ぶスタッフもいる。スタンドには、普段はピッチに立っている各校の選手たちの姿がある。
 一つひとつのプレーに仲間から声援が飛ぶ。

 サニックスブルーには、台湾のジェングオ ハイスクール(建国高級中学)の3人がいた。みんな同校の1年生たちだ。試合2日前の練習時、初めてのメンバー集合の空間で、ニコニコしていた。

 ルー・メイイーはFL。今大会ではAチームでの試合出場機会はなかったから、「フレンドリーマッチでプレーできて嬉しいです。外国の人たちと親しくなれるし、一緒にプレーする機会は初めてで、滅多にないことなので楽しみ」と話した。

 中学までは水泳に熱を入れていた。しかし、高校でラグビー部に入った。友人が誘ってくれたことをきっかけに、「ラグビーっていいな」と、競技性、そこに漂う空気を気に入って楕円球を追い始めた。
「フィールドを思いっきり走り回れるところが好きなんです」
 ラグビーは自由だ。

左から台湾ジェングオ ハイスクールのルー・メイイー、スー・ボーシュン、ツァイ・ルイホン。(撮影/松本かおり)


 1年生でWTBのスー・ボーシュンは、最初は異国のチームメートとの距離が遠かった。しかし、徐々にコミュニケーションをとって、やがて表情が柔らかくなった。
 カタコトの英語を使って話し、「外国の同年代の人たちと触れ合えて楽しかった。うまく聞き取れないし、最初は話しかけるのが恥ずかしかったから、ボディーランゲージから始めました」
 中2から始めたラグビーには、人と関わる楽しさが詰まっている。

 同じ1年生WTBのツァイ・ルイホンは177センチの長身だった。バスケットボールをしていたが、高校ではよりスポーツに打ち込もうと考え、中3のうちに転向を考えた。「部に漂う空気を気に入りました」とラグビー部へ入り、運動センスを発揮している。

 リーグワンの試合が自分の国でも放送されることがある。その中に台湾出身の選手がいることを知り、「将来、自分も頑張ってプロ選手になれたらいいな」と夢を持つ。
 この日の練習では、自分が行きたいスペースを見つけ、指を指して意思を伝えるなど、悪戦苦闘しながら周囲と一緒に動いていた。

試合後、サニックス ブルー、サニックス ホワイトの選手全員での一枚。(撮影/松本かおり)


 練習の最後にサニックスブルーのまとめ役のひとり、福本剛コーチ(桐蔭学園)が近づいてきて、「どこの国の選手でもひと言で分かる言葉を使って、みんなが理解し、同じように動けるようにしたいから、ラーメンとか、ギョーザとか、サインになるような言葉を考えよう」と提案すると、通訳を通してその話を聞き、愉快そうに笑っていた。

 多くの人は、大小さまざまな記憶を積み重ねて生きている。
 15歳の頃の宗像の思い出は、ラグビーか会話か、それとも、次はいつ会うか分からない異国の仲間たちとグラウンドに出た時の高揚感だろうか。
 まだひ弱な3人が大勢の観客の前でプレーできたことは、10代の人生のハイライトのひとつとなるだろう。

◆濃密なプロセスを歩みたくて。


 ラグビーが盛んでない台湾からやって来た少年たちの純情さが微笑ましかった一方で、大会中には、日本の16歳の明確な意志に触れる機会もあった。

 ハミルトン ボーイズ ハイスクールに183センチ、116キロの体躯を誇る河合昌美がいた。
 普段はHOでプレーしているが、このツアーでは先輩PRが抜けたため、PRを務めた。

 今シーズンへ向けてのトライアルでファーストフィフティーンに選ばれた。
「プロップもフッカーも、1番から3番までやれると、試合への出場機会も増えます。今回のツアーも、そういう点が評価されたと思います」と話した。

スクラム最前列ならどこでも組めるハミルトン ボーイズ ハイスクールの河合昌美。(撮影/松本かおり)


 明大中野中でラグビーを始めた。監督やコーチ、友だちの誘いを受けてこのスポーツと出会い、「本当によかった。夢が広がりました」と周囲に感謝する。
 中学生活を終えて、2024年の1月にニュージーランドに渡った。

 全国大学選手権でプレーしたい夢を持つ。
「それぞれの学校の選手が、プライドを持って戦っている姿がカッコイイな、と憧れています」と目を輝かせた。

 それなら、明大中野高校へ進学し、明大へ。そんな道も目の前にあったはずだ。しかし本人は、「ラグビーが強い場所で揉まれたい」とレールから外れる選択肢を選ぶ。先にニュージーランド留学を実行に移していた先輩の話も刺激になった。
 目標とする場所へ向かうプロセスを、より濃くしたかった。

 現在、Year11(NZの学年)の途中。卒業はYear13を終えてからになるので、まだ2年8か月ほど高校生活は残っている。
 学校の敷地内にある寮に暮らす。語学力については会話力は上昇中も、「まだまだです。もっと語彙力を増やさないと」と話し、「将来は、大学後もラグビーを続けられたら、と思っています。リーグワンを見ていても英語を話せるといいだろうな、と思うので」と続けた。

ハカを演じる。左から3人目。(撮影/松本かおり)


 以前の体型は「太り気味だった」が、ニュージーランドで筋トレに励み、体質が変わって来たと話す。
 学校で学べることも日本よりも個人に合わせて幅広く選択できる。やろうと思えば、ハンティングやフィッシングなど、自然を楽しめる機会が多い。そんなところも気に入っているという。

 自分が選んだ道は遠回りではなく、人生を豊かにする旅。宗像での時間も、その途中にある。
「ニュージーランドの大会で優勝して日本へ行けると決まった時から、ツアーメンバーに入れたらいいな、と思っていました。オフの間もトレーニングしてよかった!」

 日本の同年代の選手たちと対峙して仲間とハカを演じた。スクラムを組んだ。走った。
 数年後に大学でチームメートになった誰かに、「俺、あの時のハミルトンにいたんだぜ」と話すシーンがいまから頭に浮かぶ。


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