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【修猷館高校ラグビー部 創部100周年】「弥栄(いやさか)」の声高らかに、更なる発展を見据える。
試合終了後に両チームで記念撮影。(撮影/李 鍾基)

【修猷館高校ラグビー部 創部100周年】「弥栄(いやさか)」の声高らかに、更なる発展を見据える。

李 鍾基

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 1925年に創部した修猷館高校ラグビー部が、今年で100周年を迎えた。
 4月26日、修猷館高校のグラウンドでは大勢の卒業生、父兄、学校関係者が見守る中、福岡高校との100周年記念試合が行われ、その後、講堂にて記念式典が盛大に行われた。
 服部誠太郎福岡県知事はじめ多くの来賓を迎えた式典で、修猷館ラグビー倶楽部(OB会)の武藤英治会長から100周年を迎えるにあたり、感謝と喜びの言葉が伝えられた。

 この日記念試合を戦った福岡高校は、2024年に創部100周年を迎えた。共に福岡ラグビーをけん引してきた唯一無二の良きライバルである。
 福岡高校は日頃鍛え上げた低く激しいタックルを何度も浴びせたが、修猷館はスピードのあるアタックで防御網を突破すると、薄水色のジャージーが湧き出るようにしてボールをつなぐ。
 15人一体となったアタックを連続させて最終スコア、83-12を刻み、100周年に華を添えた。

修猷館ラグビー部100代目主将の末永創一朗君(右/FL)と、福岡高校ラグビー部101代目主将の吉用凌平君(左/PR・FL)。記念品を贈り合った。(撮影/李 鍾基)

 かつて福岡藩の藩校として1784年に開館した修猷館は、福岡県で最も長い歴史を持つ全国有数の進学校だ。
 修猷館には大切にしている矜持がある。
 修猷らしさ、同窓生の誇り。
「世の為、人の為に尽くすリーダーの育成」は建学の精神であり、今日まで連綿と受け継がれてきた。
 1992年から21年間ラグビー部の顧問を務め、その後館長(校長)も務めた岡本圭吾氏は、記念式典の最後に、ラグビーへのたゆまぬ愛と修猷館の矜持を語った。
「修猷を誇るのではなく、修猷が誇る人材になれ」 
 根拠のあることをやり尽くして、根拠のない自信を持つ。それは社会に出た後も大いに役立つ。ラグビーはそんな“おもしろい力”を養ってくれる。大きな節目の年に、1977年以来の全国大会出場を目指す在校生へ、かつての指導者からの熱いメッセージだった。

記念式典では歴代顧問の先生たちによる、トークイベントが行われ、当時の思い出話に会場が湧いた。(撮影/李 鍾基)

 修猷館ラグビー部はこの春、7名のラグビー未経験者を含む18名の1年生が入部した。現在男女合わせて54名、マネージャー5名がラグビー部に所属している。
 男子部員は46名。全校男子生徒数約220名からすると、いかにラグビーが根付いている学校なのかが伺える。また、女子では今年3月に卒業、世界大会でも活躍し日体大へと進学した大内田葉月(はづき)が次世代のホープとして期待を集めている。

2024年12月、U18花園女子15人制に出場した時の大内田葉月。西軍の主将を務めた。(撮影/松本かおり)


 全国的に高校生チームの減少が続いている。
 特に公立校の部員減少は顕著で、かつての強豪校も部員難は共通の課題だ。
 ではなぜ修猷館高校では、これほどラグビーが根付いているのか?

◆福岡のラグビー文化。


 福岡県内にはラグビースクールが26チームある。人口比でみると東京、大阪の大都市を凌ぐ。
 それほどジュニアラグビーが盛んな福岡では、スクールや中学校の部活でラグビーをプレーしたあと、修猷館のようなラグビーが盛んな公立高校への進学をサポートする環境がある程度整備されてきた。
 1960年頃は社会現象にもなった「受験戦争の波」によって、最上級生がひとりというような慢性的な部員不足が続いた時代もあったが、1975年頃からは、徐々にラグビースクール出身者が安定的に進学し始める。

 余談だが、福岡市内ではラグビー関係者が経営する人気飲食店も多く、壁に飾られたサイン入りジャージやボールを目にする機会も少なくない。

◆校風に合ったラグビー。



 1925年創部のきっかけは東邦電力(現在の九州電力・西日本鉄道)社員の紹介でラグビーが体育の授業に導入されたことだった。
 質実剛健な校風に最も適したスポーツとして県立修猷館40周年の年に、ラグビー部は誕生した。

 その時代のことについて修猷館ラグビー70年史には、以下のように記されている。
「大正13年、福岡中学に部が生まれたことや、(注)横山さん達の活動などを通じて、体育教官長三熊先生は、本館の運動部精神に共通する点が多いと、共鳴するところがあった。このことが大正14年1月16日の2・3年生を対象に開かれた、白田六郎氏による『ラグビー講演会』となったのである。
 これがどの様な風の吹きまわしか、修猷のワルソウ連中(原文ママ)が大感激。ついに新年度早々正式に部として産声をあげたのである」

(注)横山通夫氏~大正11年(1922年)慶応大学卒業後、九州電灯鉄道入社。福岡の学校を回りラグビーを普及。伊丹三郎氏等と「九州ラグビー倶楽部」を作って九州にラグビーを広める。元日本ラグビー協会会長。

 当時、九州に広まり始めたラグビーを待ち望んでいた学生たち、そして学校もラグビーが持つ教育的価値を積極的に取り入れたことで、ラグビー部が誕生した。
 以降、修猷館にとってラグビーは他の競技とは一線を画す存在として発展してきた。

日頃からお世話になる応援団部へ感謝状が贈られた。どんな天候でも変わらず選手と共に戦っている。(撮影/李 鍾基)


◆人材の輩出。


 修猷館高校ラグビー部の卒業生は、ラグビーを通じて学んだことを活かし色んな分野で活躍している。だから人が集まってくる。教室や授業で学べないことを、監督、コーチ、仲間たちと「闘魂碑」が建つグラウンドで学ぶ。
 日本代表選手はこれまで、昭和に6名、平成に3名、令和に入って1名(下川甲嗣/日本代表キャップ14、東京サントリーサンゴリアス)の計10名が選出された。

現役日本代表の下川甲嗣。写真は2024年、トゥイッケナムでのイングランド戦のもの。(撮影/松本かおり)


 創部100周年記念事業(堀内恭彦・実行委員長)のテーマ、「弥栄(いやさか)」とは、ますます栄えることを意味する。
 試合前の円陣で叫ばれる言葉でもある。

 この日、午前に行われた福岡高校との記念試合。蹴り上げられたラグビーボールが、清々しい青空に良く映えた。
 初めての対戦は1925年4月17日で、結果は0-28で福中の勝利と記されている。 創部して数日後には対外試合が行われたのだ。
 100年続いた両校の歴史は、すなわち福岡ラグビーの歴史とも重なる。
 この長い月日に想いを馳せると、高校生ラガーの明るい未来を想像してみたくなった。

OB同士で記念撮影。大切な時間を共に過ごした仲間との再会を楽しんだ。(撮影/李 鍾基)

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