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もっと広まれ『闘争の倫理』。
こちらは2015年に出版社「鉄筆」から発行された文庫、『闘争の倫理 スポーツの本源を問う』。鉄筆の社是は「魂に背く出版はしない」

もっと広まれ『闘争の倫理』。

谷口誠

「世界初のラグビー登山家」を名乗る人がいます。2019年ラグビーワールドカップの出場国の最高峰に登る挑戦をした、長澤奏喜さん。ある日、その人からメッセージが届きました。

「スポーツの意義の再定義を、日本から世界に向けて提唱できるのなら、前例のない大きな仕事になると思います」

 前代未聞のラグビー登山にも似た「前例のない仕事」の、具体的な中身も記されていました。

「大西氏の『闘争の倫理』を発展させることが求められている時代と考えております」

2019年の日本でのワールドカップに向けて、歴代大会出場国の最高峰の頂上にトライをして歩く冒険をしていた頃の長澤奏喜さん。写真は2018年、ジンバブエで撮影されたもの。(写真提供/長澤奏喜)


 大西氏とは、日本代表や早稲田大学の元監督を勤めた故・大西鐵之祐。「闘争の倫理」は、スポーツの意義や、平和との関係性について考えた大西独自の思想です。
 明治維新の後にスタートした、日本の近代スポーツ。「闘争の倫理」は、その歴史の中で生まれた貴重な哲学が、「闘争の倫理」だと言えます。

 スポーツと平和との関係性については、これまで様々な文献が世に出てきました。しかし、「闘争の倫理」のように、それを一つの思想にまで高めた例は珍しい。日本はおろか、海外まで含めても似た例はなかなか見当たりません。

 では、「闘争の倫理」とはどんなことを言っているのでしょう。

 この言葉をタイトルとする大西の著書、『闘争の倫理』を中心に、紹介したいと思います。なお、この後に出てくる引用文は、特に断りのない限りこの本が出典です。また、「闘争の倫理」と言うだけでは、思想か本なのかが分かりにくいため、本の方を「著書」と呼ぶことにします。

「闘争の倫理」は、2つの大きな疑問に対する回答、と考えることができそうです。

 1つ目の問いは、「スポーツが世の中に貢献できるとしたら、何なのか?」。
 大西はこう書いています。
「ぼくは未来からのスポーツということを言っているんです。われわれが未来から考えたら、スポーツに何を期待すべきか」

 ポイントは「未来」という言葉でしょう。現在ではなく将来から振り返ったとき、スポーツがあってよかった、そう思えるとしたら何だろう、という疑問です。

 スポーツには、体を動かすことで健康になるとか、地元のチームの活躍で地域が元気になるとか、大型イベントで経済効果が生じるなどといった、様々な効果があります。しかし、これらはどちらかと言えば短期的なものです。スポーツが長い時間を掛けて世の中に影響を与えられるとしたら何だろう。大西はそう考えました。

 著書が出たのは1987年。スポーツの商業化が進み、オリンピックを巡る様々な問題で政治との距離が近くなっている時代でした。そして、日本ではスポーツがまだ文化として成熟していないという課題も抱いていたようです。1つ目の疑問にあったのは、大西の危機感でした。

2016年7月31日に早稲田大学大隈記念講堂 小講堂で開かれた『大西鐵之祐先生(元早大学院ラグビー部総監督、元早大ラグビー部監督、元ラグビー日本代表監督)の生誕100年を記念したシンポジウム』に飾られた大西氏の写真を撮影したもの


 2つ目の疑問は、「戦争を防ぐにはどうすればいいのか」です。

 大西は23歳のとき、太平洋戦争で東南アジアに出征。数十回の戦闘を経験しました。1987年の早稲田大学での最終講義では、こう述べています。

「人も殺しましたし、捕虜をぶん殴りもしました」
「そこにいるのは、狂人ばかりで、大学で人間が教えられる理性とか知性とか、そんなもんは微塵もありません、なんの役にもたちません」

 こうした戦争体験から得た教訓を、著書ではこう総括しています。

「ぼくが戦争でいちばん大きな影響をうけたのは、戦争をやるというその瞬間は狂気だということでしょうね。完全にね。要するに、自分をコントロールするのではなくて、自分がやらなきゃ殺されるからやっているに過ぎない。そんな環境に置かれたらもう理屈ではない。だから、結局、そういう環境に置かれる前に何とかしないと戦争というのはなくならないと私は思いますね」

 自分自身をコントロールできなくなるような、極限状態に置かれてからでは遅い。そうなる前に、戦争が始まる前に、どうすればいいのかと大西は考えました。

 この2つの問いに対する回答が良く表れているのが、次の文章でしょう。

「今までのスポーツは体をよくするとか、健康をつくるとか、全人をつくるとか、いろいろなことを言いましたが、そうではなしに、人類がもっと平和で、闘争がない社会をつくるため、そうしたものにスポーツの教育が向けられなければならない。そうなってくると、いちばん重要なことはスポーツが持っている闘争を通じて、われわれは闘争の倫理をどういうふうに持っていくべきかということが大切だと思うんです。」

「全人」とは、完全な人格を備えた人のことです。スポーツを通じて「闘争の倫理」を身につけることで、平和な社会につながる。それこそがスポーツが果たすべき役割であり、存在理由なのだ、と大西は訴えています。

 著書では、「闘争の倫理」の具体的な内容が、カギとなる様々な考えとともに複層的に語られています。「闘争の倫理」と密接な関係のあるフェアプレーの精神。スポーツと「闘争」、また「死」との関係性。哲学や倫理学との接点もあり、奥深い思想がつづられています。

 一方で、この本を巡っては課題もあります。

 数年前に早稲田大学のOBの人たちと話しているとき、こう言われました。「闘争の倫理とは結局、何なのか。本を読んでも分かりにくい」。大西の指導を直接受けた人たちなのに、理解が難しいというのです。

 文章自体は平易です。それにもかかわらず、「分かりにくい」と感じさせる原因は、この本の特殊な構成にあるようです。
 一人称で書かれた章があれば、他の人との対話形式もある。講義用の原稿とおぼしきものも含まれます。

 出版の3年前、大西は解離性大動脈瘤の大病を得ました。療養中の執筆という事情もあり、大西の口から語られた内容をテープに録音する形での執筆となりました。1度に話す時間も限定されたうえ、早稲田の教員との鼎談という形も多くなりました。

 その結果、著書では「闘争の倫理」とは何なのか、どうすれば身につけられるのか、などを順序立てて丁寧に説明することはなされていません。各章の内容には重複があるほか、論理の飛躍もみられます。前後で矛盾するような記述も残っています。
 本人も心残りがあったようで、「変った編集の本となってしまった」と後書きで述べています。

こちらも2016年7月31日に早稲田大学大隈記念講堂 小講堂で開かれた『大西鐵之祐先生(元早大学院ラグビー部総監督、元早大ラグビー部監督、元ラグビー日本代表監督)の生誕100年を記念したシンポジウム』に飾られた写真の中の一枚を撮影したもの。1978年度、大西氏が指導していた早大学院は國學院久我山を破って花園初出場を果たした


 大西は他の著作や講義などでも「闘争の倫理」を語っていますが、その思想の全貌を体形的に著述することは最後までありませんでした。
 死後に「闘争の倫理」を取り上げた本や、学術論文などは出ています。しかし、著書の欠点を補うために書かれた文献は、見当たらない状況です。

 大西を知る人にとっても分かりづらい本なら、全く縁のない人にとってはなおさらでしょう。「もう少しかみ砕いて説明する文章があってほしい」。そう考える人がよほど多いようです。「闘争の倫理」をテーマに何度か私のところにまで、そうした相談をする奇特な人が何人かいました。それなら、この本の中身をできるだけわかりやすく紹介する原稿を書いてみようと思いました。

 冒頭で紹介した長澤さんも、「奇特な人」の1人でした。長澤さんが登山をした2019年のワールドカップ日本大会では、開催国のラグビー界が大事にしてきた言葉に、海外から注目が集まりました。「ノーサイド」。そして、「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」です。

 試合が終われば敵味方なし、という意味の「ノーサイド」は、もともと英語圏のラグビー用語でした。「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」は、欧州の各国で慣用句のように使われてきた言葉です。

 日本ラグビー協会は最短で2035年のワールドカップ招致を目指しています。いずれやってくるだろう、2度目の祭典。日本オリジナルの思想である「闘争の倫理」が知られる場になれば、大会の一つの「レガシー」になるかもしれません。

PROFILE◎谷口誠
たにぐち・まこと。日本経済新聞社編集局運動グループ、記者。1978年12月31日生まれ。滋賀県出身。膳所高校→京都大学。大学卒業後、日本経済新聞社へ。東京都庁や警察、東日本大震災などの取材を経て現部署勤務。ラグビー以外に、野球、サッカー、バスケットボールなども取材する。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で社会人修士課程修了。高校、大学時代のポジションはFL。




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