
◆マサイ族、サファリ——ケニアのイメージとナイロビの熱気。
マサイ族。サファリ。野生動物。
ケニアと聞くと、多くの人が抱くのはそんなイメージか。しかし、その国の実態、特に東アフリカの雄として急速に発展する都市の実情を知る人は多くないだろう。
ラグビー界では、ケニアはセブンズワールドシリーズ(現HSBC SVNS)に常に名を連ね、日本代表とも激闘を繰り広げる強豪だ。
来年からは、木村貴大選手(元東京サントリーサンゴリアス、現クリーンファイターズ山梨)がケニアでプレーする。現地への注目は、これまで以上に高まるだろう。
そんな背景もあり、アフリカという言葉が持つステレオタイプを覆すケニアの魅力と、そこで展開されるフィジカルあふれるラグビーの実態を、広く知ってもらいたい。
私は2023年から2024年、外資系の戦略コンサルティング企業のケニアオフィスに移籍し、勤務していた。同時に15人制・7人制では「Homeboyz」、13人制ラグビーでは「Kenya Wolves」というケニア1部のチームでプレーしていた(おそらく日本人・アジア人で初めてケニア1部でプレーした選手)。

◆ナイロビ——東アフリカのハブ都市を知る。
ケニアは、タンザニアやウガンダなどと国境を接する東アフリカの国だ。人口はおよそ5600万人。赤道直下に位置しながらも、国土の多くが標高1000メートルを超える高地にある。
ケニア、もしくはアフリカと聞くと、多くの人がサバンナ、サファリなどの大自然や、よく国連などのポスターで見るような飢餓、貧困を思い浮かべる。よく日本の友人からも「街中にライオンとかゾウとかいないの?」と聞かれたりもした。
しかし、首都ナイロビは東アフリカの一大都市だ。
多くの企業が東アフリカないしアフリカの拠点としてケニア・ナイロビを選んでいることもあり、外資系企業や国連、IFCなどの国際機関が集まる国際的なハブだ。
おしゃれなイタリアン・フレンチのレストランやカフェ、中華や日本食、韓国料理などのアジアフードなどフードシーンも充実している。また綺麗で大きなショッピングモールやBMW、ベンツなどの外車ディーラーも軒を連ねている。

東南アジアの発展した都市、例えばタイのバンコクやインドネシアのジャカルタでは、高層ビルが立ち並び、洗練されたレストランが多いのを見たことがあるだろう。
その発展度合いには少し遅れるかもしれないが、ナイロビもそれに近い。人々が持っている「アフリカ」「ケニア」へのイメージを完全に覆すような場所だ。
特にナイロビは標高約1800メートルという高地に位置し、平地に慣れた人間が階段を上るだけでも息が切れる。この環境こそが、ケニアのラグビー選手たちが驚異的な体力を持つ秘密の一つだ。
ちなみに、アフリカ大陸は中国大陸やヨーロッパがすっぽり収まるほど広く、東西南北で文化や経済状況は全く異なる。ナイロビでの経験が「アフリカのすべて」ではないことを前提としていただきたい。

◆ケニアラグビーの熱狂的な構造と立ち位置。
ケニア国内におけるラグビーは非常に盛んだ。
多くの人がヨーロッパのチャンピオンズリーグを見たり、フットサルをするなど、サッカーが一番の人気を誇ってはいる。
しかし、ラグビーはそれに次ぐ人気がある。標高がさらに高い地域だとマラソンなどの陸上競技が盛んになるが、サッカーとラグビーは2大人気スポーツと言える。
特にセブンズ(7人制)は国際的に有名で、国技的な人気だ。15人制も熱狂的で、13人制も徐々に普及している。
職場やその他の知人友人に、どこのチームでプレーしているかを話すと、ラグビーに全く関係のないケニア人でもそのチームを知っているほど、国民の間に浸透している。
基本的に、道具へのコストがあまりかからず、かつフィジカルなスポーツがケニアでは好まれる傾向にあることも、ラグビーの人気を支える要因の一つだろう。
ケニアラグビーは、国際舞台においてセブンズで大きな存在感を示している。セブンズワールドシリーズ(現HSBC SVNS)ではコアチームとして定着し、年間順位も10位前後を維持することが多い。
オリンピックでも東京2020、パリ2024ともに9位と、比較的強い。

15人制もアフリカ選手権で優勝経験があり、常にワールドカップ予選の最終ステージに進出する力を持つ。ワールドカップ本大会への出場はまだ果たしていない(最高順位は予選での2位程度)。しかし、そのポテンシャルは高く、アフリカを代表するグループの一角を占めている。
ケニアラグビーは年間を通じたフォーマットを持つ。
5月〜9月はセブンズが主体で全国を回り、間に13人制の大会も開催される。10月〜4月は15人制の全国リーグであるKenya Cup(ケニアカップ)が中心となる。
1部チームの多くは企業スポンサーによって運営されている。KCB(KCB銀行)やOilers(石油企業)、私が所属していたHomeboyz(ラジオ局傘下)のように、ラグビーがビジネスとして成り立っている側面がある。
しかし、プロ契約ではない選手がほとんどで、セミプロかアマチュアが大半だ。チームから支払われるのは出場給や勝利給といった形で、生活を完全に支えるほどの給与ではない。 そのため、ほとんどの選手は日中は別の仕事を持っていたり、そもそも仕事が見つからず無職で家族のサポートを受けたりしている。
その不安定さが金銭トラブルに直結するケースも少なくない。私がプレーしていたHomeboyzも、コロナ後運営側が手を引いてしまい、選手への支援は実質的にゼロに近かった。
7人制の大会は特に、スポーツイベントを超えたフェスティバルの様相を呈する。ビール会社がスポンサーとなり、ビアブースやBBQテント、DJブースなどが設けられ、音楽が鳴り響く中でのプレーは、まさに熱狂そのものだ。

◆フィジカルが支配するケニア選手の秘密。
ケニアのラグビーは、何よりもフィジカルが全てだ。
プレースタイルは、とにかく狭いスペースを全力でぶち抜こうとする直球勝負。選手の体は体重が軽くても引き締まっており、触ると「パンパンなゴムタイヤ」のようにタフだ。
標高1800メートルの環境で鍛えられていることもあり、その体力は日本の選手と比較しても並外れたレベルだと感じた。正確な数値はないが、高地ながら、ブロンコ(持久力テスト)でも常に5分前後を出せる選手が多い。
午前にセブンズの練習をこなした後、午後に13人制の試合に出場する選手もいた。足首を強く捻挫したのに30分後には復帰している選手も。日本的な感覚ではあまり考えられないような体力を持つ選手も多い。
驚くべきはスピードだ。瞬間的にトップスピードに持っていける選手が多く、なによりスピードを出すことにためらいがない。
10メートル四方の狭いスペースでのぶつかり合いで、人がぶつかりにくるというより「飛んでくる」感覚になることが多かった。観客も、選手が仰向けに倒されると爆発的な歓声が上がるなど、このぶつかり合いこそがラグビーの醍醐味だと理解している。
体格は非常に幅広い。
FWは1列目が85キロ〜110キロ、2列目が180センチ台後半〜190センチ台後半で、90〜110キロ前後。3列目は170センチ台、85キロ〜90キロ前後で、トップ選手を見ると日本よりやや小さい印象だ。
経済状況などの影響もあるのだろう。肉などのタンパク源を好きなだけ、必要なだけ食べられるわけではないから、これくらいのサイズ感になっているのかもしれない。

フィジカル的な強さが突出している反面、スキルレベルには課題がある。セブンズがベースのため、ストレートランの意識が低く、スペースを潰しがちだ。
パスの精度も低い。また、グラウンドがデコボコな場所が多く、チップキックなどの戦術的なスキルが育ちにくい環境にある。
レベル感は、筆者の経験に基づく私見になるが、1部リーグの上位チームで日本のトップイースト中位くらい、中位でトップイースト下位か。下位でクラブチームくらいではないかと見ている。
◆強く感じる文化の壁。
ケニアでの生活とラグビーは、文化的なカルチャーショックの連続だった。
運営面では不安定さがあり、特に金銭的なトラブルに直面することが多々あった。コーチや選手から「子どもの病気」や「健康診断のお金を払うから」といった理由でお金の工面を求められる。一度も返ってこなかった。
また、指導面でも、一昔前の日本の部活のように鉄拳制裁を課すコーチが多い。20代の大人たちが殴られるのを見るのは良い気持ちではなかった。
人種面では、以前のコラム(「【ラグビーと暮らす/Vol.2】差別と無意識の偏見に向き合う——ラグビーと、海外生活から見えたこと」)にも記載したが、アジア人自体の物珍しさからくる差別や、無意識の偏見に戸惑うことが多かった。
また、小中学校の校庭で練習があった時など、「ムズング」(白人の意味)や「チャイナ」と言われ、周りに人だかりができることも多かった。
何よりも、お金や用具といった金銭的な差が人間関係を規定していたように感じることが、居心地を悪くさせた。
仲良くしてくれる仲間が、実は自分のスパイクやお金をもらおうとして近づいてきたり、人の卑しさを感じる時も多かった。しかし、『マズローの欲求5段階説』を鑑みると、衣食住や安全といった低次の欲求が満たされない社会では、高次の欲求よりも生存が最優先される。彼らの行動の背景には、そうした構造的な要因があるのだと考えさせられた。

時間の概念も大きく異なる。試合が時間通りに始まらない「ケニアンタイム」のルーズさだ。午後3時開始の試合に1時間半前に行っても誰もいない。
レフリーが来たのは3時、選手が揃ったのは4時、試合開始は5時、といった具合だ。
ただし、これは必ずしも彼らだけが怠惰なわけではない。都市を出れば交通網が未整備で、バスは時刻表がなく人が乗ったら出発するため、オンタイムで動く概念自体が成立しにくい。インフラの問題に起因する点もあった。
もちろんケニアでとても仲良くなった人は、ラグビーを介しての関係かどうかを問わず多くいた。自費でスラムの中の学校を運営するような高潔な人々も、ケニアにはたくさんいる。
それでも、日本では考えられないような文化的な壁があった。
◆まとめ。
トラブルや文化的な壁はあっても、総じてケニアでの経験は「良かった」と断言できる。
特にセブンズの大会の熱狂は忘れられない。ビール会社のブースやBBQテント、DJの音楽が鳴り響き、試合がショーとして盛り上がる雰囲気は、そこでしか味わえない高揚感を与えてくれた。いまでもあのセブンズの雰囲気が、とても恋しい。
ケニアでの経験は、私自身の視野を根本から変えた。
日本にいると、つい東南アジアやアフリカを「発展途上国」という枠組みで見てしまいがちだ。しかし、私がナイロビでトップ層の人材と仕事をする中で出会った、彼らの論理的思考力、問題解決力、集中した時の爆発力、それを流暢な英語で処理していく力は、ついていくのが精一杯なほどだった。
その経験は、「世界はすでに猛スピードで進化している」という強い危機感を私に与えた。優劣を競うものではないが、こうした世界最高水準の才能がすぐそばにいる事実は、自分の日々の取り組みの質を上げるための、何物にも代えがたい指針となった。
ケニアの経験で得たことは自分の人生に彩を与えてくれた。これからケニアでプレーする日本人選手や、ケニアラグビーに興味を持った方々にとって、この情報が少しでも助けとなることを願う。
【プロフィール】
おおたけ・かずき
1996年愛知県名古屋市生まれ。早稲田GWRC、University of Washington Husky Rugby Club、Seattle Rugby Club、Kenya Homeboyz、Kenya Wolves等を経て、現在カナダ・アルバータ州のラグビーチームでプレー中。13人制ラグビー日本代表(キャップ3)。早稲田大学スポーツ科学部、法学部、University of Washingtonを経て、外資系戦略コンサルティングファームの東京オフィス、ケニアオフィスなどに勤務したのち、独立。