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【ラグビーと暮らす/Vol.5】海外ラグビーの洗礼式。私は「ホンダ」になった。
右側に立っているのがルーキーの1人。このようにボロボロのシャツと麦わら帽子が、『儀式』の日のコスチュームの定番。(写真は筆者提供。以下同)

【ラグビーと暮らす/Vol.5】海外ラグビーの洗礼式。私は「ホンダ」になった。

大嶽和樹/Kazuki Otake

 海外のラグビーに興味を持つ人、いつか海外でプレーしたいと考える人。そうした人々にとって、チーム選びや語学力は重要だが、それと同じくらい大切なのが、チームのコミュニティにどう溶け込むかである。

 これは英語力やプレーの技術だけでは乗り越えられない、文化的な壁だ。海外のスポーツ文化に深く根ざした、独特な洗礼の儀式といったチームイベントへの適応も、その壁の一つだろう。
 私がカナダで経験した「ルーキーパーティー」での出来事を、これから海外に挑戦するかもしれない人々に向け、そのヒントとしてお伝えしたい。

私が所属するクラブ、St.Albertのグラウンド。日が沈んで暗くなってから、ルーキーパーティーがおこなわれた。


◆イニシエーションの起源と目的。


 ルーキーパーティーは、単なる飲み会ではない。これは、新人を正式なチームの一員として受け入れるための「イニシエーション(Initiation)」と呼ばれる儀式だ。
 イニシエーションの文化は、もともと成人儀礼や通過儀礼(rites of passage)に起源を持つ。これは、古くから世界中の社会、特に原始社会や伝統的な部族社会に存在したもので、若者が子どもから大人へと移行する際に、その社会的役割や責任を教えるための儀式だった。身体的な試練や、秘密の知識を授ける儀式を通じて、個人は集団の一員としてのアイデンティティを確立していった。

 ちなみに、私が1年半ほど住んでいたケニアにも存在した。様々な部族が存在する中でも特に有名なマサイ族は、ライオンを殺すことが通過儀礼の一つだった(現在は禁止されている)。

ケニア・マライマラにあるマサイ族の村にて、若者たちと。ライオンの個体数を守ることなどを理由に、通過儀礼としてライオンを狩る文化は廃止された。マサイ族は狩猟の生活をしていくことへの限界を感じ、子どもたちを学校へ通わせる、観光業をおこない始めるなど、近代化とも上手く向き合ってきた部族のひとつ。


 現代においてはこのような儀式は形を変え、スポーツチームなどのコミュニティの一員として認められるためのイベントとしても存在している。
 私がアメリカにいた時に在籍していたフラタニティ(Fraternity)と呼ばれる学生の団体でも存在した。フラタニティとは、主にアメリカの大学に存在する学生の社交団体で、ボランティア活動、地域奉仕活動、そして社交的なパーティなどをおこなう。日本のサークルに近いが、その結束は非常に強く、メンバー間の絆は一生続くと言われる。

 また、OB・OGのネットワークが強力で、社会的成功にもつながることがある。私自身も、世界各地に散らばった元フラタニティの仲間たちと、いまでも旅先で会うことが多い。アメリカの大学でプレーする日本の選手がいれば、ぜひ入ることをおすすめしたい。
 こうした団体では新入生が正式なメンバーになるために、ルーキーパーティーと同様のイニシエーションが実施される。その時は、一気飲みのようなものだったと記憶している。

 イニシエーションが特に盛んなのは、北米やイギリス、オーストラリアといった英語圏の国々だ。この文化が存在する主な目的は、集団への帰属意識を強く生み出すことにある。過酷な試練や、普段ならありえないような恥ずかしい経験を新人が皆で共有することで、強固な一体感が生まれる。これは、集団の結束が不可欠なスポーツの世界では特に重要な要素となる。

 日本のプロ野球選手がメジャーリーグでプレーする際、「恒例の新人歓迎儀式で仮装して球場入り」というニュースを見たことがあるかもしれない。あれも、イニシエーションの一環だ。

◆私が「ホンダ」になった日。


 今シーズン、私がカナダで経験したイニシエーションは、以前シアトルのクラブやフラタニティで経験した時よりもはるかに大規模で、凝ったものだった。
 シアトルでのイニシエーションは、遠征帰りのバスの中で歌を歌うか、一発芸をするという比較的シンプルなものだった。中にはコール&レスポンスで盛り上げる者もいた。

 例えば「Monday is a(XX)day, Tuesday is(XXX)day…」(月曜日はXXの日、火曜日はXXXの日)という、コールはよく聞いた。これはXXXの部分に下品なジョークを入れて歌い上げるもので、カジュアルなパーティ文化でよく使われるコールだ。
 また、「Tikitiki Tonga, Wakawaka waka」といった、パシフィック・アイランダーにルーツを持つ選手が使うコールもある。リードの人が大きな声で言えば大きな声で、小さな声で言えば小さな声で返す、言葉がわからなくても楽しめる。
 その当時の私は歌える洋楽がなく、日本の歌を歌った。誰も知らない歌だったため、正直あまり盛り上がらなかった。

 話を、今シーズンの洗礼式に戻そう。
 それはホームゲーム後の夜、クラブハウスに併設されたグラウンドで開催された。ドレスコードは昔の「Peasant(農民)」。ルーキーたちは皆、ボロボロの服を着て集まった。
 ちなみに、私は「まあ昔の農民って浴衣とか着てたでしょ」という勝手な自己解釈をもとに、日本の浴衣を着ていった。このように自国の文化を持ち込むと、相手からは喜ばれ、面白がってもらえるからだ。実際、話の一ネタにはなった。

 グラウンドに整列させられた後、一人ずつ油性ペンで胸に名前を書かれた。そして一気飲み。続いてコラムでは書けないような、下ネタを含む恥ずかしい話を一人ずつ披露していく。

 私の胸に「Honda(日本の自動車メーカーのホンダ社のこと)」と書かれた。日本車から選ばれた名前で、三菱と迷ったと言われた。ちなみにイタリアから来た奴には「ピザ」か「スパゲティー」で迷い、最終的に「ピザ」となっていた。

 その後、障害物競走が始まった。ルーキーは2チームに分かれ、ピッチャーにビールが並々と注がれる。それをこぼさぬように走り、タックルバックを飛び越え、速さを競う。その間、先輩たちがボールを投げつけたり、タックルバックで殴ってきたりするため、ビールはこぼれる。競争は次第に取っ組み合いへと変わっていった。

 さらにクラブハウス前のデッキに戻ると、数人が服を脱がされ、グラウンドを一周するタイムを競わされた。たいてい一周して戻ってくると服が隠されており、見つかるまで全裸のままだ。
 そして最後の罰ゲームはクジ引き。ワインをボトル一本飲まされる者。ジンの2本のボトルを自分が飲むか、人に飲ませるか、すべてを飲み終えるまで、ガムテープと左右両手を括り付けられている者もいた。様々な罰ゲームがある。

【写真左】ルーキーに対する罰ゲームの一つで、酒瓶と手をガムテープで縛られたチームメート。それでも音楽にノリノリ。
【写真右】罰ゲームの1つで足をガムテープで縛られたルーキー。陽気なイタリアンだった。


 私の罰ゲームは「サイレントカラオケ」だった。
 皆が見守る中、イヤホンをして自分だけに聞こえる音楽を聴きながら一人で歌う。観客は反応してはいけない。ただひたすらに恥ずかしさを刺激されるゲームだ。
 私はThe Cranberriesの『Zombie』を歌った。サビに「Zombie, Zombie」と繰り返される、皆が歌いやすい曲だ。2023年のフランスW杯でも会場でよくかかっていた。ルール上は観客は反応してはいけないことになっていたが、途中から皆で大合唱になった。この時の選曲は正解だったと思う。

 こうした場では、Bon Joviの『Living on a Prayer』やJohn Denverの『Country Roads』、Backstreet Boysの『I want it that way』のように、世代を超えてみんなが知っていて、一緒に盛り上がれる英語の曲を選ぶのがセオリーだ。
 もし勝った試合のあとであれば、Queenの『We are the champion』、ちょっとしっとりしたい時はAerosmithの『I don’t want to miss a thing』などが良いだろう。またラップができると、Eminemの『Lose Yourself』や『The Real Slim Shady』を歌うと一気にヒーローになれる。

 とはいえ、未だに英語圏で育っていれば絶対に知っているような曲で、私が知らない曲に出会うことは多々ある。少し前では、The Proclaimers『I’m gonna be 500 miles』がそうだった。こうしたちょっとした痛みが、成長の糧になっているのかもしれない。

 洗礼の儀式を経て、私たちは一気に仲間になった感覚があった。そのあとは、ルーキーも既存のメンバーも入り乱れて、クラブハウス上でプロレスごっこになったり、取っ組み合いが始まったり。最終的には、みんなで行きつけのバーへと繰り出した。

元ジンバブエ代表PRのチームメート。アスリート的なプロップが世界的に増える中で、ハンバーガーをこよなく愛し、パスなどのスキルを身につけることを頑なに拒む、古き良きプロップ。
チーム行きつけのバー、Gracies。地域に住む人が立ち上げたバーだが、ヒッピーたちが集うようになり、独特の色彩の内装になっていった。


◆英語力と成長の軌跡。


 2018年に初めて海外留学をして、英語を使うようになった。だが、1年やそこらで言語や文化面含めて何不自由なく英語圏で暮らせるようになるはずもない。むしろ、そこで英語圏で活躍するための壁の高さを知った。

 帰国後、私は高いお金を払って英語のコーチングサービスやパーソナルトレーナーをつけたり、3か月に一度は当時の内定先の英語のテストを受けたりしながら、必死で英語力を伸ばしてきた。ケニアオフィスでは、第二言語として英語を話す世界で苦労しながら、コンサルティングという高度な議論を高度な語彙でこなす世界を経験し、なんとかパフォームできるようになった。全社イベントでのダンスなど文化的な違いに面食らうこともあったが、おかげでビジネスにおける第二言語英語の世界線(壁/クォリティー)はクリアできたと思う。

 しかし、私の大きなテーマは、第一言語英語の世界線で戦えるようになることだ。
 チームミーティングや仕事でのネイティブとの会話は、徐々にこなせるようになってきた。もちろん、もっと力強く、(あとになって他に)鮮やかに伝えられる言葉があったと思うことはいまでも多々あるし、何より仕事以外のカジュアルな場面、グラウンド上で求められるフランクでスラングバリバリ、かつ高速で瞬発力勝負な場面では、まだまだ難しいことが多い。
 それでも、こういったルーキーパーティーのようなところで自分を発揮できるようになったのは大きな成長だと思う。

◆まとめ。


 海外でプレーすると様々な壁にぶつかる。もしもこれから海外でプレーされる方がいれば、まずは、チームのイベントにも積極的に参加してほしい。そして、失敗を恐れず、恥をかいても笑い飛ばす勇気を持ってほしい。みんなが知っている歌や、身近なネタを一つでも多く用意しておくことも役に立つ。

 最初は英語は分からない、そのイベントも何がおこなわれているか分からないなど、苦労の連続だろう。しかし時間はかかるが、数をこなすことで、少しずつその苦労は減っていく。
 例えば、自分が知っている海外の歌が流れてきて、チームメイトと一緒に歌う時。面白いエピソードで皆を笑わせられる時。ミーティングで言った意見の的確さで周りの見る目が変わる時。たまに現れる、そういった瞬間が何事にも変え難い喜びとして蓄積されていく。そして気づいたら、そういった喜びに溢れる日がある。自信がある自分になっている。
 少しでも、海外でプレーする選手(人)たちの役にたつことを願っています。



【プロフィール】
おおたけ・かずき
1996年愛知県名古屋市生まれ。早稲田GWRC、University of Washington Husky Rugby Club、Seattle Rugby Club、Kenya Homeboyz、Kenya Wolves等を経て、現在カナダ・アルバータ州のラグビーチームでプレー中。13人制ラグビー日本代表(キャップ3)。早稲田大学スポーツ科学部、法学部、University of Washingtonを経て、外資系戦略コンサルティングファームの東京オフィス、ケニアオフィスなどに勤務したのち、独立。

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