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【楕円球大言葉】江良と奥井。ふたりの「裏番号10」。
PRC決勝のフィジー戦で2トライを挙げたHO江良颯。©︎JRFU

【楕円球大言葉】江良と奥井。ふたりの「裏番号10」。

藤島大

 秋田ノーザンブレッツの現ヘッドコーチで元日本代表のハーフ、月田伸一が、早稲田大学の部員のころにグラウンドでつぶやいた。

「フォワード8人のうちの3人が、試合中にずっと10番と同じことを考えたら試合に勝つ」

 2025年9月21日午前。米国のソルトレイクシティー発のパシフィックネーションズカップ決勝の中継を東京のスタジオで見つめるうちに、遠くの一言がよみがえった。

 ジャパンの背番号2、江良颯が躍動する。
「ああ、この人はスタンドオフと同じだ」
 海洋に突き出る岩のごときフィジーのフロントローにスクラムで対抗、衝突で引かずに2トライ、惜しくも取り消されたひとつを勘案すると「2本半」としたくなるスコアをもたらした。27-33の敗北を闇とはせぬ光明かもしれなかった。

「個人的にはフィジカルのところで前に出続けようとした結果、いいスクラムが組めた」(日本ラグビー協会の公式ページ)

江良はPNC準決勝のトンガ戦でも、PR竹内柊平のサポートからトライを挙げた。©︎JRFU


 まず身体が頑丈。そこに東大阪ラグビースクールや枚岡中学や大阪桐蔭高校で積み上げた心得が加わり、身長172㎝・体重106㎏のサイズにして巨漢とのコンタクトに白旗を掲げない。
 さらに、なんというのか、ここが書きたいところなのだが、ただラグビーをしない。
 観察の力とゲ―ム理解の深さのおかげで、みずからがボールを持つ瞬間、すでに正解の絵は全身に描かれている。ときにエラーはある。だが意図は間違っていない。

 国内のラグビーなら強さで優位に立てる。しかし、フィジー代表の面々は空を飛べるのに、地上では人間重機と化す。対峙するには「正しく強く」なくてはならない。
 ここでの「正しく」の成分は、体の使い方と攻防の読みのカクテルである。

 あらためて江良颯は正しくて強い。ついでに「貫禄」がある。
 念のために広辞苑を。かん-ろく【貫禄】身にそなわる威厳。おもみ。
 これもまた性格と経験の合わせ技だ。
 
 大阪桐蔭高校2年で花園を制した。帝京大学でも主将として全国選手権3連覇を達成する。対フィジーでキャップは「5」に伸びて、もはや高校や大学の優勝など「小さな出来事」に過ぎないのか。

 もちろんノーである。地球規模の「小」であろうとも、その世界を真剣に生きて、目標へ邁進、リーダー格の立場で集団をまとめ、途上で起きるさまざまな問題を解決、とうとう成就にいたる。この時間は人間にとっての普遍的な「大」である。

 学校のラグビーは閉じている。ただし若者をただ開かれた野に放てば迷う。迷う時期も大切だが、どう迷ったのかわからなくなる。すると、できること、できたこと、できないこと、できなかったこと、できるきっかけ、できないわけを、はっきりつかめぬまま「次の機会」に巻き込まれる。

 花園のファイナルで勝つ。あるいは負ける。そうした切実は上記のもろもろをはっきりと示してくれる。
 小さく閉じると、ひととき、空気は抜けない。高校の3年、大学なら4年の限りにおいて容器の内はパンパンになる。そこで身に染みる実体験は広い世界に進んだのちにものをいう。

 激突最前線の2番や7番が、後方でフィールドを俯瞰する10番とゲーム理解の質において並ぶ。小世界の大勝負にかける切実が「考える心身」を培うのである。

 なんて江良颯の颯爽を勝手に自説の補強に用いてはズルいかな。ただ、少なくとも「日本の学校ラグビーには代表強化にとってよいところがある」傍証とは信じている。

 忘れちゃいけない。その高校および大学の盟友、フィジー戦の後半25分に交替で登場の24歳のフランカーを。
 当日でキャップ2の奥井章仁もまた貫禄をたたえる。テストマッチの荒波に放り出されて、ただちに泳ぎを整え、劣勢の流れに抗った。

 公式の途中出場の前、開始13分にいっぺん芝の上に立っている。ナンバー8のファカタヴァ アマトのHIA(ヘッドインジュアリーアセスメント)による一時退出を埋めるためだ。

PNCフィジー戦の前半13分から24分、ファカタヴァ アマトのHIAの間と、後半25分以降にプレーしたFL奥井章仁。©︎JRFU


 よい表現ではないけれど、シラっと力を発揮した。同18分20秒。フェイズの連続にあって絶妙のコースと速度でゲインを刻んだ。かすかな曲線からの直線的な馬力。複数のヒットの真ん中をえぐった。いきなり入って、とっくに滑らか。やはり非凡だ。
 
 思い起こせば、大学の少なくとも2年のころには、すでにキャプテンみたいだった。ハーフタイムでロッカー室へ戻る際、すーっとレフェリーに寄って、ひそひそと話しかけた。異国の現場で価格交渉に臨む腕利きバイヤーさながらである。
 
 越権といえば越権。そのときは「奥井くん、やり過ぎよ」と思わぬでもなかった。そして、ここは代表チームの妙なのであるが、いざジャパンに姿があると、あの、ふてぶてしさが頼もしい。

 2023年度の帝京大学が弱いはずはなかった。8人のかたまりをなす両リーダーが眼前のタックルを跳ね飛ばしながら、同時に後衛のスタンドオフの脳内に棲んでいたのだから。

 ここで18年前に長崎の諫早で聞いた言葉を記したい。

「大西先生は、日本人の特性を最高にいかす戦法をあらかじめ考え抜いていた。だからグラウンドでは細かいこと言わない。浪花節なのよ。試合では作戦通りにすればいい。あとは身につけた体力と技術を100%発揮するだけ」

 原進。ジャパンの往時の怪物プロップである。阿修羅原のリング名でプロレス界にも名を刻んだ。「大西先生」とは大西鐵之祐。1971年、イングランドとの3-6の名勝負を導いた監督である。ともに世を去った。

 コーチが考え抜くから、いざ決闘の場で選手は考えずにすむ。優勝や大金星や格上に初めて挑んだ大接戦はそれで初めて可能だ。

 結論。考えぬ人でなく考える人が考えなくてもよい。ジャパンのめざす境地だろう。 
 江良颯や奥井章仁が、あえて知恵を封印、なにひとつ選びもせず、8人のかたまりのひとりとしてぶつかり、奪い、ひたすら転んでは起きる。ロボットとは遠い者の自動化。こいつは強い。

 ただしラグビーがラグビーである以上、オートマティックな進行のかなわぬ事態は必ず襲ってくる。そうなったら。
 江良も奥井も、もちろんリーチにディアンズに下川にマキシも、もともとの自分であるだけでよい。じっと見る。ハッと気づく。過去の打開法に照らす。考えたことが正解なのだ。 




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