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【とっても深いストーリー】アガット・ジェラン(女子フランス代表)、「母狼」の決意。
アガット・ジェランは、作業療法士とスポーツ指導資格を持つ30歳。柔道、テニス、バスケットボール、ハンドボール、ローラースポーツ、水球の経験もある。(撮影/松本かおり)

【とっても深いストーリー】アガット・ジェラン(女子フランス代表)、「母狼」の決意。

福本美由紀

 フランス代表のHO、アガット・ソシャ(30歳)は、今大会から配偶者の姓であるジェランで登録されている。
 ミディ・オランピック紙は、彼女のプレースタイルを「コンタクトを最大の美徳とし、スクラムを神聖な場所とする。献身的なプレーを信条とし、セットピースでは義務を果たし、フィールドでは機動力を発揮する、伝統とモダニズムのハイブリッド」と表現している。

 161センチ、67キロという小柄な体格ながら、58キャップを重ねてきた彼女にとって、今大会は2度目のワールドカップ(以下、W杯)となる。
 今年3月のシックスネーションズのアイルランド戦を最後に、グラウンドから離れていた。ワールドカップ出場への道は、平坦なものではなかった。

 4月2日、彼女はインスタグラムでこう語った。

「1か月前に負った半月板の亀裂を、手術なしで治そうとあらゆる手を尽くしましたが、残念ながら、それでは十分ではありませんでした。100パーセントの状態で、ピッチで全力を出し切れるように、手術を受けるという難しい決断をしました。手術は無事に終わり、これからは、より強くなって復帰するためのリハビリと努力あるのみ。ワールドカップへの道はいま、ここから始まります!」

 言葉通り、リハビリに取り組んだ。所属するボルドーではキャプテンを務め、国内リーグ「エリート1」で3連覇を達成するチームメイトたちをピッチの外から支え続けた。

84-5と大勝したブラジル戦(8月31日/エクセター)でのジェラン。先発し、後半6分までプレーした。(撮影/松本かおり)


 6月1日に発表された、ワールドカップ準備合宿メンバー38名の中に名前があった。8月2日にはW杯スコッド32名に選出され、彼女の努力は実を結んだ。
 ジェランは「ラグビーワールドカップへの出場権を獲得するという、これまでの人生で最大の挑戦を乗り越えた」と感じていた。

 しかし、今大会初戦のイタリア戦(8月23日)を4日後に控えた火曜日の午後、彼女は練習を途中で切り上げて帰国した。インスタグラムで「人生は時に、私たちが想像もしていなかったような、はるかに大きな試練を与えます」と、その理由を明かした。

 ジェランは同性婚で、妻が双子を妊娠していた。当初は11月に出産予定だったが、代表メンバー発表後に双子のうち1人が亡くなっていることが判明した。
 彼女は「言いようのない痛みでしたが、同時に、彼の双子の兄弟をできるだけ長くお腹の中で成長させなければ」と強く願っていた。

 しかし「8月19日火曜日、すべてが急展開しました。妻は私たちの小さな天使、エメを出産し、そして小さく生まれたもう1人の赤ちゃんは、私たちを奮い立たせるように力強く泣き声を上げました。妊娠28週で生まれたレオナールです」と続けた。

 ジェランは妻の出産に立ち会うため弾丸帰国し、水曜日の夜に再びチームに合流。この日はオフだったため、練習やミーティングを欠席することはなかった。そして、彼女はこう問いかけた。
「このような非常に緊迫した状態で『彼女はグラウンドで100パーセントの力を出せるのだろうか?』と思うかもしれません。そこで、皆さんにお尋ねします。母親になったばかりの女性の信じられないほどの強さを、誰が疑うことができるでしょうか?」

 彼女は、子どもたちにとってのインスピレーションでありたいと語る。
「単にラグビーをするということだけではなく、子どもたちにとって、できる限り大きなインスピレーションとなる存在であろうとすることです。何年もかけて自分の野心と仕事に責任を持つ勇気、そして人生が試練の連続であり、その中で前向きな面を見つけ、ときにはどんな困難にも逆らって進まなければならないことを、子どもたちに示す勇気なのです」

 ジェランが母親になるのは、これが2度目だ。第1子の誕生は2022年3月30日、シックスネーションズの最中だった。
 妻の分娩が始まったことを朝の5時過ぎに電話で知り、パリ郊外の合宿所からタクシーで空港へ向かい、飛行機に乗って病院に駆けつけた。

 彼女が母親になったことをフランス協会が公表したいと申し出た。ジェランは妻と話し合い、快諾した。
「トップアスリートでありながら母親にもなれるということを示す良い機会だと思いました。私は妊娠したわけではないので、キャリアを中断したことにはなりませんが、協会がこの提案をしてくれたことに感謝しています。彼らはマーケティングのためではなく、純粋な親切心でした」

大会2戦目、ブラジル戦前日のキャプテンズラン当日のジェラン。(撮影/松本かおり)


 数年前だったら、こうはならなかっただろうと彼女は言う。
「スポーツ界で同性愛者であることは常に簡単なことではありません。女性の間ではまだオープンになっていますが、男性同士ではこの話題はタブー視されています。また、女子ラグビーの選手は皆レズビアンだというステレオタイプもあります。『公表してこのステレオタイプを助長するのか、それとも公表しないのか?』とも自問しました。最終的には『これが私の人生だ、隠す必要はない』と割り切りました」(ミディ・オランピック)

 その結果、多くのポジティブなコメントが寄せられた。

 ジェランには、ラグビーのキャリアを続けることと同時に「家族を築きたい」という強い思いがあった。現在の妻と交際を始めた頃から、少しずつその計画を進めていった。人工授精の手続きを始めたのは2021年の2月か3月だったという。
 当時はフランスで生殖補助医療(ART)は合法化されておらず、スペインのクリニックに問い合わせた。後にフランスの法律が追いつき、合法の範囲内に入ることになった。フランス代表チームでは、SHのポリーヌ・ブルドン=サンシュスも、元フランス代表SHのロール・サンシュスと同性婚カップルで男の子を1人授かっている。

 ジェランの話に戻ろう。彼女は4歳の時、2つ年上の兄がラグビーを始めるのを見て、「私もしたい!」と、ラガーマンだった父にせがんだ。男子に混じってボールを追いかけ、敵を追いかけ、走り回った。女子だからと手加減されるのが大嫌いだった。

 ある日、対戦相手が彼女を前にしてスピードを落とした時、彼女は猛烈に腹を立てた。
「猛スピードで追いかけてタックルをかましてやったの。そうすれば2度と手加減しなくなるから。プライドが許さなかったの」

 8歳の時には、コーチに「君は女の子だから、トップチームではプレーできない」と言われ、「頭にきて、平手打ちしてやったわ!」と語っている。
「もし私が下手だったり、劣っていたりするというなら理解できた。でも、『女子だから』というのは、私にとっては理由にならなかった。私は痩せていて、体も大きくなかったけど、やる気だけは誰にも負けなかった。タックルが大好きで、それは私の遺伝子に組み込まれていました」(ミディ・オランピック)

 15歳から女子チームでプレーすることになった時には、「降格させられた気分だった」という。
 当時の女子ユースチームのレベルは今よりも低く、15人でプレーできるほど人数もいなかった。ボールのサイズも5号から4号に変わった。ラグビーをやめようかとも思った。
 彼女は自身に問いかけた。

「ただ楽しむためにプレーするのか、それとも最高レベルに到達するために真剣な挑戦をするのか」(レキップ)

 18歳でスタッド・ボルドレ(ボルドー)に入団すると、彼女の野心は形になり始める。コーチに見出され、女子1部リーグ「エリート1」でプレーする機会を得ると同時に、HOへとポジションを移し、才能を開花させた。ラグビーと並行して、作業療法士の資格取得の勉強も続けた。

 2016年にフランス代表に初選出され、その1年後には強豪モンペリエへと移籍。フランス国内リーグで3連覇を果たし、フランス代表の主力選手へと成長。今や代表に欠かせないフッカーであり、副キャプテンを務めている。

今大会のフランス代表は初戦のイタリア戦に24-0と勝ち、2戦目のブラジル戦(写真)に84-5と大勝。すでにノックアウトステージ進出を決めている。(撮影/松本かおり)


 2020年、パンデミックでロックダウンになった際には、作業療法士として、モンペリエの大学病院で集中治療後のリハビリ病棟で患者のサポートにあたった。

 2021年に古巣のボルドーに戻った。ボルドーも本格的に女子ラグビーの強化に乗り出し、代表選手を集め始めたのだ。
 それと同時にフランス協会と75パーセントのセミプロ契約を交わしている彼女は、「私の職業で25パーセントだけで勤務するというのは難しい。ラグビーに100パーセント集中してワールドカップを目指す」ことを選んだ。女子チームはアマチュアで、毎日練習があるわけではない。1人でもトレーニングできるように、自宅のガレージをトレーニングルームに改造もした。「子どもが生まれることもわかっていたしね」とチャーミングな笑顔で付け足した。
 そうしてつかんだ2度目のW杯だ。

 息子エメの死産に胸を痛めながらも、レオナールの誕生と妻の無事を見届け、チームに再び合流したジェラン。彼女はインスタグラムでこう宣言した。
「女子ラグビーワールドカップ2025、私は『母狼』だけが理解できるような飢えを抱いて、そこに乗り込みます」

 イタリア戦のピッチには、まさに飢えた母狼のように、激しく闘うジェランの姿があった。







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