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こんな風に旅ができたらいいな、と思う人がたくさんいるだろう。
スポーツライターの藤島大さんがパーソナリティを務めるラグビー情報番組「藤島大の楕円球にみる夢」が、9月1日(月)、夜6時からラジオNIKKEI第1で放送される。
今回のゲストは中矢健太さん。ラグビーコーチでありライター、そして旅人として自由に生きている。
『Just RUGBY』でもコラム、リポートと、健筆をふるっている。その人の素顔を知ることができる時間だ。
いろんな国を歩き、たくさんの人と会い、話し、様々なスタイルの記事を書く。コーチとしてグラウンドに立って感じたことを文字にすると、行間から熱が伝わってくる。
中矢さんは1997年神戸市生まれ。8歳の時に芦屋ラグビースクールに入り、甲南高校ラグビー部では主将を務めた。花園予選では報徳学園に7-38で敗れるも、県の4強入りを果たしている。
上智大学に進学して文学部新聞学科に学んだのは、怪我がちでラグビー選手として生きていくのは難しいと判断、ジャーナリズムの道に進もうと思ったからだ。
同大学のラグビー部でも活動を続け、自分たちで考えてフィールド内外で行動した日々は良き財産となっている。
大学卒業後は 毎日放送(MBS)に入社(2020年)し、テレビスポット CMの営業職に就いた。しかし、2024年5月にMBSを退職。履正社国際医療スポーツ専門学校外国語学科に 1 年間限定で入学し、学科GMを務める佐藤秀典さん(現ラグビー日本代表通訳)のもとスポーツ英語と通訳について勉強した。
働きながら上智大ラグビー部コーチを務め、大阪勤務の際も、週末に遠路はるばる後輩たちのもとへ通う生活を続けていた。
情熱を注げば結果が出るわけではないところに、コーチングの奥深さがある。それは、四ツ谷の土のグラウンドだけの話だけではなく、世界に出ても同じこと。国境を越えて世界のラグビーに触れるたびに、そう感じる。
最初から社交性のある人間ではなかった。「人見知りはラグビーに変えてもらった」と言う。いま、世界がどんどん広がっている。
2025年の2月、3月にオーストラリアで過ごした時間の回想は、まるで青春映画のストーリー。ボンド大学のラグビークラブで女子チームのコーチを務める機会を得た。
つたない語学力のまま選手たちとの距離を近くするため、自分から歩み寄った。
一人ひとりに声をかけて挨拶し、雑用を率先してやる。そんな日々を経てある日、人数不足ゆえ練習に加わった。パスをびゅんびゅん放っていたら、「教えて」と声がかかる。みんなが頼ってくれるようになり、チームに入れた、と感じた。
自分が選手たちを見つめるように、みんなもこっちを見ていた。
2か月が過ぎて帰国する日がやって来る。送別の飲み会から街のナイトクラブへ繰り出す。たまたまサンダルを履いていたから、店のセキュリティ担当者に止められると、仲間たちが「このサンダルは底が厚いでしょ」とか「どう見ても18歳以上だよね」と怒ってくれた。
胸がギュッとなった。
メキシコや南米で見知らぬ街に降り立っても、探せばどこかにラグビーはあって、自分と同じような人がいた。
イースター島にも楕円球を小脇に抱えて走る子どもたちがいて、その魅力を伝える人がいた。
アルゼンチンでは刑務所の中にもラグビーと出会い、人生を変えようと上を向く人がいた。
世界は広い。ラグビーが受け入れる人の幅も、とんでもなく広いと、つくづく感じる。
一人で旅をしていても、誰かと出会い、さらにその周辺の人たちとつながると、あらためて自分を知る。
恩師がよく言ってくれていた、「はやく行きたければひとりで。遠くに行くにはみんなで」の教えを覚えている。
「自分は、はやく、遠くへ行きたいタチだと思っていましたが、やはり遠くに行くには仲間が必要だと感じています」
そんな感覚を得て、いま頭に描く未来図はアメリカでコーチになること。2031年にはワールドカップを開催する国でたくさんのことを知り、感じて、それを伝えていきたい。
藤島さんが自身の過去を振り返り、「コーチをしている間は、他のことは何も考えなかった。でも、のちにその時のことが生きる」と背中を押す。
出発の日は近づいている。
▽ラジオ番組について
ラジオNIKKEI第1で9月1日夜6時から全国へ放送。radiko(ラジコ)のサービスを利用して、PCやスマートフォンなどで全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。
放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。U-NEXTでも配信予定。9月8日の同時刻には再放送がある。