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わたしの母が作るシフォンケーキは美味しい。
母は、昔からよくシフォンケーキを焼いて、私の友人やチームに差し入れをしてくれたのだが、これがまぁみなさまに人気なのである。
軽くて、甘すぎず、フワフワで、それでいて程よくしっとりとしている。何人かの友人は、いままで食べたシフォンケーキで一番だと言ってくれるほどだ。
そして、私は犬が好きである。好きを超えて、もはや犬になりたいという願望すらうっすらある。
犬はいい。存在がかわいい。子犬も可愛いし、成長しても可愛いし、年老いてヨボヨボでもなお可愛い。飼い主に全幅の信頼を寄せてくれる。
私は子どもの頃から、通学路にいる犬に登下校時にワンと挨拶を交わす仲だったし、図書館で借りる本は大体犬についての本だった。小学校3年生の時、まあまあ大きい中年の迷い犬を拾ってきて当時住んでいた社宅(ペット禁止)の倉庫に隠し、偶然見つけたお隣のおばさんが腰を抜かして、しこたま怒られたこともある。

また、一時期、捨て犬をひたすら救うアメリカの保護犬組織『レスキュードッグ』の動画に馬鹿みたいにハマっていた。これは最近の話だが、初対面の人が集う研修のアイスブレイクとして、「自分の好きな動画を1分でプレゼンせよ」という課題があって、血迷った私はこの動画の捨て犬の心を開く技術について熱く語ってしまった。
誰の共感も得られなかったし、その犬種、もとい研修では、3日間ずっと友達ができなかった。
さらに、私は街中で犬を見つけると「みてみてみて! 犬! ◯◯◯(犬種)!」と、同行者が犬好きか嫌いか関係なく犬の存在を勝手に知らせ、聞かれてもいない犬種をその人に教えてしまう癖がある。仲が良い友人に「前から思っていたけどその癖まじでウザいからやめて」と真顔でキレられたこともあるが、それでも治らない。
それぐらい、なぜか犬が好きなのだ。小さい時にサンタさんにも犬が欲しいと願ってみたけれど、叶ったことはない。
私の父は俗にいう転勤族であり社宅に住むことが多かったため、犬を飼いたいという願いは、夢のまた夢のまた夢であった。犬を飼わせてくれ、と懇願した回数は1億回は超えているし、その度に母からは、バカ言うんじゃない、飼える訳がない、自分で家を買ってから自分で飼え、お前と言う奴がいるのにどうやって犬を飼えようか、などと、これまた1億回断られてきた。
実家を出てひとり暮らしを始めるも、合宿や遠征を繰り返す生活では到底飼うことができなかった。それでも実家に犬がいてほしいという私の願いはしつこく、犬の話題を出そうものなら母親が即怒り出すレベルに到達してしまった。
私にとっては犬を飼うことは、天より高いハードルであり、叶わぬ夢であり続けた。

そんな犬好きの私だが、過去、犬に咬まれた経験がある。
あれは小学2年生の芋掘り遠足の日だった。当時、学校までは30分ほど歩く距離に住んでいた。いつもの通学路上の踏切で電車を待っていると、見慣れぬ犬が2匹、飼い主さんの横で遮断機が上がるのを待っていた。
犬を舐めるように上から下に眺める、犬だい好きキッズな私。ふむふむ、この犬種はたぶん雑種だな、と思った時、踏切が上がり、目を犬から逸らした。
その瞬間、犬が急に飛びついてきた。瞬時に飼い主さんがリードを引いてくれたのだが、その飼い主さんの手を軸にして、リードと犬がまるで投擲のハンマー投げのような状態で円を描き、犬の口が私の太腿をかすめた。もしかしたら、犬は私にメンチを切られたと思って不機嫌だったのかもしれない。私の太ももを通過するついでに「このガキ、ちょっと咬んどいたろ」みたいな感じで、ハムッ!とガブッ!の中間のような感じでやられたのだった。
腿に少し血が滲んだ程度だったが、ズボンには穴が開いた。学校に着いて、絆創膏をもらいに保健室に寄って、来る途中でちょっと犬に咬まれちゃったと言ったらおおごとになった(そりゃそうだ)。
確か芋掘りには無理やり行った気がするが、そのあといろいろとあって、飼い主さんが家まで謝りに来てくださった。

飼い主さんはご近所の人で、普段は自宅でお菓子作り教室の先生をされていた。
母はそれを機に弟子入りしたようで、気がつけば、母だけでなく社宅中の奥様が、お菓子作り教室の生徒になっていた。社宅の子どもたちはほぼ毎週、試作品を食べられてハッピーだったし、先生直伝のシフォンケーキはチョコやバナナや抹茶、紅茶とバリエーションを増やし、母はシフォンケーキ作りの腕をメキメキと上達させたのだった。
母のシフォンケーキを誰かがうまいうまいと食べる顔を見るたび、そして母がそれを褒められて嬉しそうにするたびに、その元をたどれば私の太ももが犬に咬まれたおかげだけどな、そんなことを心の中でちょっぴり思うのであった。
さて、「犬を飼いたい」という言葉があれだけタブーであった中村家だったが、5年前に変化があった。
東京五輪のメンバーから落選したときのことだ。状況を気にかけてくれた母からのLINEに、しょぼくれた私は気恥ずかしさゆえ、「この心の穴はもう犬を飼うことでしか埋められない、言葉の通じない犬でしか私を慰めることはできない」と、ちょけた返事をした。
30年間ただの1度も、本当に1度も、絶対に頑なに、YESと言わなかった母から、
「いいよ、飼っていいよ、犬」。
そう返信が来た。
5日間ほど家から一歩も出ず、一言も発することのなかった私は、
「どええぇぇ!!!」と声が出て一気に元気になった。
犬、断固拒否の母が!
犬を飼いたいという言葉が逆鱗スイッチだった母が!

いいよ、と言われたことよりも何よりも、オリンピックのパワーに驚いた。犬を飼えるという喜びよりも、その驚きが勝って犬を飼うことは一瞬でどうでもよくなった。オリンピックって人を変える、ものすごい力があるんだ、と。そこに感動した(母の愛に感動すべきなのかもしれないが)。
子どもの頃、テレビに映る五輪の名場面集に感じた類の圧倒的感動を、時が経って、母からの犬の飼育許可で再び感じたのだった。
オリンピックのチカラを感じた最も大きな瞬間は、選ばれた時でも、初出場した時でも、3年後にパリ五輪に復帰した時でもない。この時だ。
さて、一見全く関係のないことや些細なことが連鎖し思いがけないところへ影響が及ぶことを、「風が吹けば桶屋が儲かる」とか、「バタフライ・エフェクト」とか言うらしい。
私の人生ではそれらはきっと、「犬に咬まれてシフォンケーキ」もしくは、「五輪ドッグ・エフェクト」みたいなところだろうか。
いよいよ犬を飼うその時がきたら、なんと名付けるべきだろうか。
その犬の名は、母に付けてもらおうと密かに思っている。
【プロフィール】
中村知春/なかむら・ちはる
1988年4月25日生まれ。162センチ、64キロ。東京フェニックス→アルカス熊谷→ナナイロプリズム福岡。法大時代まではバスケットボール選手。2025年春まで電通東日本勤務。ナナイロプリズム福岡では選手兼GMを務める。リオ五輪(2016年)出場時は主将。2024年のパリ五輪にも出場した。女子セブンズ日本代表68キャップ。女子15人制日本代表キャップ4