![勝つために、ここにいる。<br>申驥世[慶應義塾大学1年/FL・NO8]](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/07/250725_interview.jpg)
慶應に頼もしい新人が入ってきた。
1年生とは思えない肉厚な体に、あどけない笑顔。どうにも憎めない。
申驥世(しん・きせ)、慶應義塾大学文学部の1年生。
桐蔭学園ではフランカーとして花園2連覇の中心メンバーとなり、3年時はキャプテンを務めた。根っからのリーダーである。
花園では、オールアウトした。
「もともと花園が大好きで、1月3日の準々決勝には高校入学前から10年近く通っていました。本当に憧れの舞台だったんです」
お父さんは東京朝鮮高校のコーチ。いろいろ考えて桐蔭学園に進学した。
◆大好きな花園でオールアウト。
そして高校2年の時、自身が花園でプレーした。
「準決勝の大阪桐蔭戦で、結構なケガをしてしまって。試合前は不安があったんですが、決勝の東福岡戦を前に応援団のところに挨拶に行ったら、声援がすごかったんです。そうしたらアドレナリンがバーッと出たのか、ぜんぜん痛くなくなりました」
決勝はロースコアのしびれるゲームになり、8-5で桐蔭学園が逃げ切った。
「守り切っての優勝で……。ものすごい達成感があって、いまのところ、あの時のうれしさ、達成感を超える経験はしたことがないです。あの決勝の興奮と声援は忘れられません」
そして高校3年ではキャプテンに。結果的に連覇を達成したが、2年生の時とはまったく違った感情を持って戦っていたという。
「2年生の時は、プレー一つひとつに集中することが出来て、勝つたびに喜びがありました。3年生、それもキャプテンになったらまったく違うんです。2年生の時はトライを挙げたら喜びを爆発させていたんですが、3年生の時は、もう次のことを考えるんですよ。『この試合、勝つためにはどうする?』ということばかり考えていて、感情の起伏が少なくなり、試合全体を見渡している感じでした」
最後の花園、大一番は準々決勝でやってきた。3年生になってから二度負けている大阪桐蔭が相手。難敵だった。
「いきなり、ファーストトライを奪われて、そのあと0-14になりました。みんな、パニックになっていないか心配しましたが、落ち着いていました。前日のミーティングで『0-14』になった場合のシミュレーションをしていたのが良かったと思います」

桐蔭学園では、試合前に選手たちであらゆるシミュレーションをする。
0-14になったら?
ボールを回せなくなったら?
強風でキックを蹴れなくなった時には?
「とにかくあらゆる最悪の想定をして、試合に臨みます」
連続失点したあと、桐蔭学園は26点を積み上げた。終わってみれば完勝である。シミュレーションが効いたのだ。
「昨年のチームは大阪桐蔭に勝つことを目標にしていたので、喜びはありました。ただ、キャプテンとしては手放しで喜べない。僕が危ないと思ったのは、目標を達成してしまって、チームがホッとしてしまうことでした」
本当に抜かりのないキャプテンである。準決勝の國學院栃木戦も、前半は10-14とリードを許した。
「これも想定内でした。前半は風下を取って、後半勝負のシナリオ通りでしたから」
申主将以下、全員がまったくもって落ち着いていた。準々決勝同様、後半は相手に点を許さず、25-14と颯爽と逆転した。昨季の桐蔭学園は、60分間トータルでの戦い方が際立っていた。「想定術」が効いていた。
そして決勝の相手は東海大大阪仰星だった。
「それまで、桐蔭学園は花園の決勝で大阪の代表に勝ったことがありませんでした。それに連戦で疲労が蓄積していたのに加え、決勝の前日は雨が降って練習が出来なくて。いろいろとイレギュラーなことがあっての決勝でした」
前半は12-0とリード。後半に入ってトライを許し、12-7と追い上げられる。そこから桐蔭学園が真価を発揮する。流れを引き戻すために相手ゴール前でじっくりとモールを組み、トライを奪って突き放すと、そこからは電車道。
40-17。はじめて、大阪の学校を決勝で破っての優勝、しかも連覇である。
「ノーサイドのホイッスルが鳴るのを聞いて、嬉しかったですし、安心したというか、ホッとしたというか……。勝って涙が出てきたのは、3年生になってからは初めてで、勝利を純粋に喜べた試合は唯一、あの決勝戦だけでした。桐蔭のキャプテンはたいへんだとは聞いていましたが、本当にたいへんな1年間でした」
そう言って、にっこりと笑った。
◆勝つために慶應へ進学した。
花園連覇を目指す間、並行して進んでいたのが大学受験だった。特に世田谷ラグビースクール時代から一緒にプレーし、慶應高校に進学していた安西良太郎など、小学校時代からの仲間から『大学では慶應で一緒にプレーしよう』と誘われていた。
「安西をはじめとした同期の存在も大きかったですし、受験にあたっては、桐蔭から慶應に進んだ先輩たちに、ずいぶんとお世話になりました。今年、キャプテンになった今野(椋平)さんを筆頭に、高校時代から仲良くさせてもらっていた先輩もたくさんいます。1学年上の中野(誠章)さんには、文学部の入試対策をしっかり伝授していただきました」
申は晴れて文学部に合格。だが、複数の大学に合格していたため、悩むことになる。
「決め手としては、慶應の文学部で文武両道を実践したいという思いと、ここしばらく慶應は大学選手権で勝っていないので、自分たちが在学中に優勝できたらカッコいいんじゃないか、という思いが勝りました」

花園が終わってから慶應に入学するまでの間には、高校日本代表のキャプテンとしてイングランドに遠征。
「同世代のイングランドの選手たちは、大きいし、パワーがあるし、スピードもある。とにかく個人の能力の違いを見せつけられました」
外国勢のパワーを感じるだけでなく、遠征は同学年の友人を作るまたとない機会になった。
「楽しかったです。いつも一緒にいたのはやっぱりFWの連中が多くて、石原(遼・桐蔭学園→早大)、原(悠翔・大阪桐蔭→明大)、平山(風希・大分東明→早大)、下境(洋・國學院栃木→専大)、土屋(裕資・國學院久我山→青学大)、百武(聖仁・東海大大阪仰星→明大)あたりと時間を過ごしてました。試合の合間に、オックスフォードやケンブリッジ、そしてロンドンに観光に出かけた時も、みんなと一緒でした。ロンドンがいちばん楽しかったかな」
全国の俊英たちとは、これから4年間、鎬を削るライバルとなるが、慶應に入学してから、申は早くも頭角を現している。
5月25日、札幌で行われた早稲田戦で、黒黄のジャージを着て初めて先発メンバーに名を連ねた。結果は14-33。申は自分のプレーに不満が残った。
「早稲田は全員がAチームのメンバーではありませんでしたし、自分としては最低限のプレーしかできなかった感じでした。局面を打開できるようなプレーができず、そこは課題が残りました」
そして中5日で迎えた5月31日の土曜日、今度は「早慶新人」にキャプテンとして臨んだ。試合は拮抗した。雨のなか、前半を終えて、7-7の同点。
「2月に新入生で集まる機会があり、その場で『新人早慶戦で勝とう』という目標を立てました。同点で前半を折り返したところで、1対1でのコンタクトの接点、ブレイクダウンに到達する2人目のはやさで勝っていたので、『大事なのはここからだ。絶対に勝つ』ということを強調しました」
ハーフタイムでのハドルでは申の声が他の1年生に浸透していました——そう話すのは、4年生の中井優主務だ。申にとって、このハドルは極めて重要だった。

「結局、早稲田との違いがあるとしたら、メンタリティなんです。慶應の場合、同じ1年生でも大舞台での経験のある選手が少なくて、どうしても早稲田を上に見てしまう傾向が強い。絶対に自分たちが勝つ。そのことを何度も言いました」
勝つ準備とは、格上と見てしまう相手に対して、精神的にも上回らなければならない。慶應1年は、見事に早稲田を克服する。後半は1点も与えず、22-7で快勝。新人早慶で勝ったのは、5年ぶりのことだった。
「僕だけじゃなく、高校日本代表で自信をつけた安西がいたのも大きかったです。早稲田だけじゃなく、帝京、明治をリスペクトするのは良いと思うんですが、それによって必要以上に委縮してしまっては勝てるものも勝てません」
これから4年間、申の仕事は「勝者のメンタリティ」をチームメイトに植えつけていくことになるだろう。「いやいや、その前に……」と話すのは、自分のプレーとしての課題だ。
「いまはナンバーエイトと7番、両方でプレーしてますが、7番の方が好きです。秋からの対抗戦ではコンタクトにこだわって、接点で相手にプレッシャーをかけるのが仕事だと思ってます」
大学に入ってから、実戦に即した練習が増えているのも新鮮だと話す。
「桐蔭では基礎を重視して、ドリル中心のメニューでした。大学ではセットプレーが重要になりますし、強度の高い練習が多いですね。GPSでデータもしっかり取られるので、自分としては目標設定が明確になるので、取り組みやすいです」
◆文学部の学生として。
春の試合が終わり、夏合宿前は大学で試験の季節だ。
「英語と韓国語、とにかく単位を取らないといけません。韓国語を専攻する学生は、K-POPが好きな女性が多いですね」
寮、グラウンドがある日吉での生活にも慣れてきた。
「毎週月曜はオフなので、世田谷ラグビースクールの同期、安西、大岡(優太)と、『ド・マーレ湘南』というお店でお腹いっぱいパスタを食べてから、スターバックスに行って、ああだこうだと3人で話します。火曜日にはこの3人に理工学部の吉田(賢太郎)も加わって、中華料理の『太楼』さんに行きます。お願いするメニューも決まっていて、豚肉黒コショウ定食に餃子、それにチャーハンを頼みます。これを4人で頼んで、テーブルに並べきれない(笑)。慶應の場合、同じ店に上級生がいたら、上級生が払うというルールがあるので、先輩にはお世話になっています(笑)」

始まったばかりの大学生活。申はすっかり慶應に溶け込んで、秋へのインパクトに備えている。インタビューの終わりに、「あ、ちょっといいですか」と言ってから、話し始めたのは先輩の話だった。
「世田谷ラグビースクールの先輩で、4年生の笠原大介さんには『弟子』と呼ばれてまして、笠原さんはたいへんユニークでして、お世話になっています——とインタビューで話すように笠原さんから言われましたので、お伝えしておきます(笑)」
このコメントひとつとっても、慶應の雰囲気の良さが伝わってくる。
あとは、勝つことだ。
慶慶が最後に大学選手権に優勝したのは創部100周年のシーズンである1999年度。
その間、徐々に勝者のメンタリティが失われていったのは否めない。
申驥世は、勝ち続けてきた選手だ。彼こそ、慶應に必要なメンタリティをインストールできるのではないか。