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【楕円球大言葉】白か黒ではなかった。
今年も12月27日から「花園」が始まる。一人ひとりの思いと、それぞれの地方の期待、熱が、この地に集まる。(撮影/松本かおり)

【楕円球大言葉】白か黒ではなかった。

藤島大

 好きな歌の最初のフレーズを思い出した。
「白か黒しかこの世にはないと思っていたよ」
 真心ブラザーズの『マイ・バック・ページ』。ボブ・ディランの名曲である『My Back Pages』に倉持陽一が日本語の歌詞をつけた。曲はこう続く。
「誰よりも早くいい席でいい景色がみたかったんだ」

 今月27日開幕の花園出場をかけた奈良県の決勝。純白のジャージィの天理高校と黒一色の御所実業高校がぶつかった。7-7のドロー。後者が抽選で出場権を得た。

 11月16日の対戦映像を凝視した。あらためてグラウンドの上の30人、控えの部員のひとりひとりに胸の底より敬意を捧げよう。闘争心があって、創意工夫に満ちており、されど小さな技には走らない。積み上げた努力という根幹で勝負する。お見事!

昨年、花園出場を果たしたのは天理。2025年度主将の城内佳春(写真中央)は2年生LOとしてピッチに立った。(撮影/松本かおり)


 13番がラインアウトを跳ぶ(白)。スローワーが4番である(黒)。いずれも奇策ではない。切実ゆえの新しき王道だ。好敵手の存在が互いの底力をスプーンでこそぐみたいに引き出してくれる。

 創部100年の天理高校主将、ナンバー8の城内佳春は試合後に毅然を崩すことなく言った。

「自分が絶対に花園に連れていってやろうという強い気持ちで臨んだんですけど、結果がついてこなくて、めちゃくちゃ悔しいです」(J SPORTSのインタビュー)

 打ちひしがれる。いまはそれでよい。いや。そのほうがよい。ただ長く生きてきた傍観者にはわかる。負けでない負けもまた糧なのだ。さらによきラグビー選手となるための。豪胆と慎重は削り合わぬと知る賢者であるための。

 先日。カルチャーセンターに招かれてラグビーの話をした。ひとりの愛好者から聞かれた。
「京都成章と京都工学院、御所実業と天理、どちらも出場にふさわしい力がある。(原則)一県一校の大会のあり方をどう思いますか」

 実にまっとうな疑問である。本年はこんなこともあった。

「高校ラグビー界で部員不足が深刻化している。第105回全国高校大会の島根県代表は予選なしで決まった。選手15人がそろったのは1校の異例の事態」(共同通信)

 これで35大会連続出場の石見智翠館高校を除く他校は合同を含めて、とうとうチームを組めなかった。全国大会の中島誠一郎実行委員長の発言も引かれている。
「地方にラグビーを継続できる環境がなく、都市部への一極集中になっている」(同前)

今年の奈良県代表となった御所実。写真はサニックスワールドユース時の津村晃志。先の県予選決勝ではLO、ゲームキャプテンを務めた。(撮影/松本かおり)


 他方で「花園行きは1校」ではやるせないような大接戦必至の地区もある。
 そこで考えてみる。
 各都道府県の人口はもとより異なる。力の差はあって当然だ。京都工学院高校と××県代表が試合をすれば大差がつくだろう。そうしたことは「甲子園方式」の全国大会にはつきものだ。
 であるなら強豪地区代表、あるいは地域で突出する実力校のみが集まって高いレベルのコンペティションに移行しよう。筋は通っている。
 しかし。それなりの参加数の予選を勝ち抜いても、あるいは過去に全国制覇を成したような都道府県の代表でも、ことに近年においては、花園のトップ級のいくつかと当たれば大敗する。ちょっと乱暴に記せば「最上位6校ほどとその他」のあたりに大河は横たわっている。

 親愛なるファンのかたには答えた。「小さな県から花園の機会を奪えば、そこのラグビーはなくなりかねない。ここをどうするか」。日本ラグビー協会は全国の「学校ラグビー=その土地の根を絶やさぬネットワーク」の再興および創造に資金や知恵、そして情熱をたたえる人材を投入すべきだ。「予選なし」をなくすための具体的な手立てを速やかに講じる。少子化をふまえて他のスポーツとの競争でもある。

 カルチャーセンターで同席のラグビージャーナリストの村上晃一氏も、弱小とされがちな県の監督による同様の声(花園出場校なしなら地域のラグビーは消滅する)を紹介した。
 また京都在住の同氏は明かした。「京都工学院や京都成章の関係者は府で1校でよいと言っている。だから強くなるのだと」。こちらは指導の前線の心意気かもしれない。
 予選ファイナルでの緊迫と残酷な結末が、敗れた側を含めて、そこにいる者を伸ばす可能性を否定できない。
「必ず2校は花園に進める」なら、目先の勝ち負けにこだわらぬ分、スキルや戦法構築の幅を広げられる。そうかもしれない。でも歓喜と絶望という心の揺れもまた青春を深くする。スポーツには多面の価値がある。

2024年度の花園の開会式。今年の花園予選への熊本の出場数は8チーム(11校)、和歌山は6チーム(7校)、香川は3校。(撮影/松本かおり)


 以下の話は過去に何度も書いた。うっすら感じていたことを伝説の人が言葉にしてくれたからだ。

 戦前の日本代表と早稲田大学の名センター、柯子彰さんは戦後、台湾へ帰り、ラグビーの種をまく。いくつかの高校による対抗戦をわけても奨励した。
 1998年の台北での取材で語った。

「ライバルの学校に勝つ。その1試合のために1年間必死で練習する。するとどうなる。勝って泣く。負けて泣く。そういう感激がある。その経験をした選手はみんな社会で立派になりました。勝っても笑う、負けても笑う、それではうわべなんです」

 負ければおしまい。そこにも理はある。京都の例だ。
 無論、絶対ではない。花園が「100点ゲーム」だらけなら改革は求められる。ただし「原則一県一校」を退けるに際して、低い位置からのまなざしで「そのあと」を想像しておかなくてはならない。表層の合理に傾くと「そして何もなくなった」となりかねない。

 2025年度の天理高校は限りなく花園に接近した。双方トライはひとつずつ。白か黒かにすべてをかけたら白でも黒でもない結果はもたらされ、白と黒を超えて透明な境地へと感情は動いた。




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