サーシャ・ファインバーグ・ムゴメズル。南アフリカ代表スプリングボクスの23歳の万能バックスである。広くラグビー界の星で間違いない。10番で先発の先日のジャパン戦でも憎いほどの実力を息も乱さずに発揮した。
サーシャ。響きに覚えがあった。サーシャ・バクティン。2013年の引退まで無敗(31戦31勝)の元バンタム級ボクサーだ。ロシアの生んだ巧くて強く、どこか報われず、メジャーの世界王座を得る機会をとうとう与えられぬ実力者であった。
ロシアでの「サーシャ」とは男性の場合、アレクサンデルの略称のはずである。
やはり。サーシャ・ファインバーグ・ムゴメズルにはロシアとのつながりがあった。本人がポッドキャストで明かし、メディアが引いている。
「サーシャはロシアの名前です。わたしの祖先はロシアとの関係があります」(IOL)
19世紀の終わり、南アフリカには、ロシア帝政下のリトアニアから多くのユダヤ人が迫害や貧困を逃れてやってきた。のちの悪名とどろくアパルトヘイト(人種隔離政策)において子孫は「白人」とくくられた。
父方の祖父のバリー・ファインバーグは詩人であり映像作家やグラフィックデザイナーとしても知られ、ネルソン・マンデラのアフリカ民族会議(ANC)および南アフリカ共産党(SACP)のメンバー、ユダヤ系にして反・アパルトヘイトの著名な活動家であった。
約30年、ロンドンに亡命、そこでサーシャの父、ラジオ番組のパーソナリティーであるニックは生まれた(1994年に南アフリカへ移住。ゆえにサーシャにはイングランド代表の資格があった)。

では「ムゴメズル」は。いまは父と離れたズールー系の母、弁護士のマコサザーナの姓である。ふたつのサーネームを名乗るサーシャは述べる。
「ムゴメズルという姓には『天国の歌』という意味があります」(同前)
サーシャ・ファインバーグ・ムゴメズルは気鋭を超えて、さっそく国際ラグビーの主役とも遇される。その存在は南アフリカの歴史、民族、社会の歩みのひとつの凝縮のようにも映る。
冒頭に「万能バックス」と記した。12番や15番をこなすだけでなく、捕る、放る、蹴る、駆ける、必要ならぶちかます、最適な位置取りを滑らかに察知する、というスキルや感覚に足らざるところがほとんどない。
対ジャパン。開始13分過ぎのスコア。みずから蹴り上げたパントを追い、ここしかないタイミングで伸ばした手でとらえ、こぼれ球を拾う。宙の球を見上げながら追う足が、前だけ向いて必死に走る「普通の代表選手」の速度と同じだった。
2021年。19歳でストーマーズの一員としてチーターズとのプレシーズンマッチに出場、なんと22度のタックルを記録した。ジョン・ドブソンHC(ヘッドコーチ)の「10番に22度のタックルを求めるシステムなど地球上に存在しない。カオス。それがサーシャなんだ。可能な限りの無鉄砲」(ruckersforum.com)というコメントはたびたび伝えられた。
余談。ストーマーズを率いるドブソンHCのもうひとつの顔は小説家である。ケープタウンに暮らす塗料販売業の男の軌跡を描いた連作(『Year of the Gherkin』、『Year of the turnip 』)を世に出した。55歳。現役時代の2シーズン、黒人労働者の集うクラブで唯一の白人選手だった。
「そこで学んだこと? 白人であることがいかに特権か」(ガーディアン)。
元フッカー。大学の4軍チームでコーチ歴を始めたそうだ。気になる。
さてサーシャ・ファインバーグ・ムゴメズル。グリーン&ゴールドの背番号10は約束されたのか。あふれる才能を見せつけられて、ひとまず、うなずく。しかし、と、からくも踏みとどまるのは、かのヘッドコーチの常なる周到を知っているからだ。
ラッシー・エラスマスなら、2027年のワールドカップの決勝では、想像を飛躍させるならファイナルにのみ、簡潔の達人、ハンドレ・ポラードを先発スタンドオフにすえる。いや、すえかねない。
現在進行形のスプリングボクスは多層を誇る。有史以来の巨漢の腕力、身体の強靭、無慈悲なセットプレーを手放すはずもなく、なお、サーシャら多士済々の彩る自由性を我がものとしつつある。
仕掛け人はジェイミー・ジョセフHC体制の桜のジャージィのアタック構築を担った人物、トニー・ブラウンに決まっている。あらためてジャパンは余人まれだろう腕利きを持っていかれた。いまブラウニーは世界一の集団にあって、わかっちゃいるけど止められぬ問答無用に防御の的をしぼらせぬ細密な仕掛けをまぶす。
エラスマスHCは若き才能の発掘と育成に長く汗をかき、なお、むやみな登用には走らず、経験と可能性の均衡を慎重に計算、着々と選手層を重ねる。だれがいつどこで出ても、なんでもできる。そんな怪物的なチームをめざすかのようだ。
ただ。2年後の頂点を決する場へ進んで(まったく不思議ではない)、仮にオールブラックスとぶつかるとして、そのとき、陣地こそ神の「蹴りまくり」とタックルすなわち人生の「倒しまくり」にあえて伝統回帰してみせる。それは守旧でなく、ひとまわりを経た革新でもある。
無欠の全方位ラグビーを追い求め、同時に「穴があっても気にしない」退屈上等の力攻めに徹するための陣容も整えておく。ありうる。

ハンドレ・ポラード! 80分、フルに芝の上! 南アフリカのラグビー大河の流れをじゃませぬリズム、過度にテンポを追ったりはせぬゲーム制御で1点差の勝利を引き寄せる。
2023年のフランス大会では、プール戦の主要マッチ(対スコットランド、アイルランド)には、ひらめきと速度のマニー・リボックをスタートから起用するも、準々決勝の後半直後、準決勝の前半途中にポラードを送り出すや、決勝はとうとう通しでグラウンドに立たせた。
あの成功体験の改訂版の匂いは、サーシャのこれだけの充実にも、まだ漂う。
ムゴメズルとポラードがそれぞれ異なる手触りで仕切るプランをそのつど大男たちは遂行してしまう。
それに勝つには。
「ひとり」だ。ふたりにまさるのはひとりである。かつてのスティーブン・ラーカム(ワラビーズ)、ジョニー・ウィルキンソン(イングランド)、ダン・カーター(オールブラックス)級のひとつだけの中枢で対峙する。
当人が怪我をしたらおしまい。ひとりによりかかるゆえの戦法浸透が鼻の差の凱歌をもたらす。「絶対の10番の固定」がスプリングボクス3連覇阻止のための各国の主題ではあるまいか。