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【ラグビーと暮らす/Vol.7】カナダでの『ラ式』シーズンを終えて気づいた、私にとってのラグビーと暮らし。
今シーズン全試合が終了した後、1st XVの選手たちで撮った1枚 (写真は筆者提供。以下同)

【ラグビーと暮らす/Vol.7】カナダでの『ラ式』シーズンを終えて気づいた、私にとってのラグビーと暮らし。

大嶽和樹/Kazuki Otake

 2025年9月中旬、カナダ・アルバータ州での3か月にわたるラグビーシーズンが終わった。
 外資系戦略コンサルティングファームの退社、カナダへの渡航、ラグビー中心の生活へのシフト。この数か月は、私にとって大きな変化の連続だった。プレーヤーとしての気づきや、自身のライフスタイルに対する発見など、様々な学びを得られた濃密な日々をいま、振り返りたい。

◆ラグビーでしか味わえない感情を追い求めて、カナダへ。


 2021年に新卒で外資系の戦略コンサルティングファームに就職した私は、同時に13人制ラグビーをプレーし始めた。
 2023年から2024年にかけては、ケニアのナイロビオフィスに移籍し、そこで13人制、7人制、15人制のラグビーをプレー。その後、東南アジアのオフィスを経て退職し、カナダでプレーするようになった。

 13人制ラグビーの日本代表としてのプレーや、ケニアで盛んな7人制の大きな大会でプレーする中で、私はラグビーでしか味わえない独特の高揚感や、心の底から湧き上がる感情をもっと味わい尽くしたいと思うようになった。詳細は以前のコラム(ラグビーと暮らす Vol.1/カナダに来た。私は誰だ。)に記載している。

 数ある国の中でもカナダを選んだのは、世界中のラグビー選手とチームをマッチングする『Oval15』というサイト(日本でいう転職サイトのラグビー版のようなもの)を通じ、アルバータ州のチームが選手を募集していたことがきっかけだった。

 ここでは、リーグワンをはじめとする世界中のプロクラブや、セミプロ〜エリートアマチュアと言われるレベルのクラブが選手の募集をかけている。例えばプロクラブになれば、給与や住居・保険料・ビザ申請費・フライト代などプレーにかかるコストが全てカバーされることが一般的だ。セミプロ〜エリートアマチュアになれば、上記のコストのうち、一部がカバーされることが多く、その負担割合はクラブによって様々だ。

 私の場合は、住居費や用具費、試合後の食事、カナダラグビー協会への登録費などが、チームによって負担された。またチーム内でも選手によって負担される程度は異なり、2メートルを超えるロックのチームメイトは、フライト代もカバーされていた。

 ちなみに、カナダの中でも私がプレーしたアルバータ州は、チームでアパートを借り上げて、選手の住居費を負担しているクラブや登録費免除などのサポートをしているクラブが多く、試合給を出しているクラブは限定的。これがカナダでも特にラグビーが盛んなブリティッシュコロンビア州/バンクーバーになると、試合給も出してくれるクラブが少し増えてくるイメージだ。

試合後の観客への挨拶の時間。観客席は、午後の試合時間にちょうどいい塩梅に日が差し、ビールを飲むにはうってつけの空間


◆選手としての成長と、文化の壁。


 冬が厳しいエドモントンでは、ラグビーシーズンは5月から9月の夏の間だけだ。私がチームに加わったのは、12試合行われるシーズンの4試合目、6月だった。怪我や個人的理由で2試合を欠場したのを除けば、残りの試合のほとんどを7番としてフル出場した。

 1試合平均でジャッカルは5〜6回、タックルは14〜15回と、ディフェンス面ではなかなか良いパフォーマンスを出せた。また、相手を抜き去るビッグゲインも多かった。カナダの中でも最高峰であるブリティッシュコロンビアリーグと比べればレベルは落ちるものの、個人的には手応えを感じた。

 一方で、もどかしさも多く残った。トライを取り切れなかったり、ビッグゲインにつながりうる場面でボールハンドリングのミスがあったり。チーム全体のディフェンス分析を担当していたにもかかわらず、チームとしての失点が多かったことも反省点だ。
 ビッグゲインやビッグタックルなど、流れを変えるプレーにつながりそうでつながらなかった場面が多く、「あと2〜3試合あれば、ひと皮剥けられた」という悔しさが残る。

 そして何より、ラグビーでしか味わえない高揚感や感情あふれる瞬間を、今回はそこまで味わえなかったことが一番の心残りだ。おそらく、チームとして積み上げたものを懸けて相手にチャレンジする、という感覚が希薄だったからだと思う。

練習後のクラブハウスにて。チキンウイングやフレンチフライを食べながら、ビールを片手に皆がおしゃべりする時間


 そのひとつの要因は、練習に対する文化の違いにある。
 例えば日本では、練習を休むことはかなり稀だと思う。風邪をひいていても練習だけは休まなかったという経験を持つ選手も多いだろう。これは企業でも似た傾向があり、発熱などの体調不良時や子どもの卒業式といったイベントでも、仕事を休むことは基本的には良しとされにくい。練習や仕事への出席が「義務」として捉えられている側面がある。
 しかしこの文化は、チームのスキルや戦術を高度化させていく上では大いに役に立つ。

 一方で、私が経験した北米のクラブではこの辺りが大きく異なる。チームメイトはフルタイムの仕事とラグビーを両立している選手が多く、練習への出席は強制ではなく、個人の生活や仕事が尊重される。

 大きな試合のあとや連休前など、気分的な理由や仕事、家族などの理由で練習に来ない選手も多い。多少給与を得ている選手や私のように生活のサポートを受けている選手はいるが、多くの選手にとってラグビー以外にも優先しなければならない事柄がある。
 だからこそ、皆が限界まで追い込むことで得られる高揚感は、今回は得られなかった。どちらが良いか悪いかではなく、文化の違いであり、所属するクラブやリーグのレベル感がもたらす結果だろう。

クラブハウスの壁に飾られた、クラブ出身でカナダ代表になった選手たちの写真。”Canada Corner” と呼ばれる。


 仕事を辞めたもうひとつの大きな理由、「日本発グローバル人材としての力を高めたい」に関しては、成長を感じられたことが多々あった。

 2018年に初めて海外に長期で住み、シアトルのチームでプレーした時に比べれば、指示はすべて聞き取れる、チームメートに試合中に指示を出せる、チームミーティングをリードして改善点や良かった点を指摘するようなことまでできるようになった。
 ケニアや東南アジアで働き、第二言語・英語の環境はクリアしたことで、第一言語・英語の環境でいかに戦うかを目的に、この道に進んだ。ミーティングや試合中など一定のフォーマルな場面においては、第一言語・英語の環境でも自分を発揮できるようになってきた。

 ただ、飲み会やロッカールームでの何気ないおしゃべり、カジュアルで瞬発力を求められ、スラングが多いような場面では、スピード感、単語の知識など、まだまだついていけないところも多々あった。
 ここからは、これらをクリアしにいく時間になるだろう。

◆ラグビー中心の生活で、私が見つけた「次の一歩」。


 戦略コンサルタントとして働いていた時は、「毎日好きなだけ寝たい」と心の底から思っていた。朝から晩まで信じられないような密度で働いていたから、夜はお茶を濁す程度の筋トレになってしまうことがほとんどだった。
 土曜は、なんとか無理やりラグビーをして、好きなだけ友人たちと酒を手に語り合い、日曜は寝溜めする、そんな生活だった。

 だから、仕事をやめたいま、求めていた環境を得られたはずだった。好きなだけトレーニングに打ち込むこともできた。
 確かにはじめの1か月はアラームをかけずに寝て、ジムでトレーニング、昼ごはんを食べてのんびりリラックスした後、夜、練習に行く。そんな生活はとても心地よかった。計画的にトレーニングができた結果、ベンチプレスやスクワットなど主要種目のMAXも20キロ伸びるなど、具体的な成果も出た。

 しかし、次第に暇だと感じるようになる。また、夜になっても寝つきが悪くなっていった。トレーニングで体は疲れているのに、おそらく仕事をしていた時のように頭をフル回転させていなかったからだろう。以前と比べると、体や脳の体力が有り余っていた。

 この経験から、1日をフルに使い切ること、頭も体もどちらも追い込むことが自分にとっての心地よさなのだと気づいた。仕事とラグビー双方の世界での気づきが、互いにプラスに影響し合っていることも再認識できた。また、平日は仕事、土日はラグビーという生活ではなく、1週間7日トータルで好きなことに打ち込めるようになったので、息抜きを目的とするような飲み会の数は減った。

【写真左】チームマネージャーの家に住んでいる犬のワトソン。6歳で50キロくらいあるような大型犬。とても人懐こいが、構って欲しさにイタズラ(トイレットペーパーをトイレから引っ張ってきて床に散らすなど)をして、よく怒られてもいた。

【写真右】絶品のおでん。基本的に食事は別々ではあったものの、よくお裾分けと称して、食事をいただいていた。20代前半からほとんどを海外で過ごし、日々言語や文化等に起因する壁にぶつかっている身としては、異国に適応し、根を張って暮らしている人は、皆尊敬の対象だ。

 ちなみに、こういった気づきを得られたのは住環境が良かったこともある。私はチームマネージャーの家に住み、その妻、妻の父親、そして犬と暮らしていた。
 チームマネージャーの妻の父は、高校卒業後にカナダに渡られた北海道出身の日本人で、長く観光業でビジネスを立ち上げたり、レストランのシェフをされていた。彼が作る和洋折衷のご飯は絶品で、疲れた時に母国語である日本語で話せることは、大きな安らぎとなった。

 そして、午前にトレーニングをして、昼から数時間仕事、夜練習という生活を始めてからは、自己肯定感も高まり、質の高い生活を保てている。前職では可処分時間の7割が仕事、2割がラグビー、1割がその他だったが、これからは6割ラグビー、3割仕事、1割その他という形になっていくだろう。

◆まとめ。


 このクラブでプレーした3か月は、単なるラグビーのシーズンではなかった。それはビジネスの世界から離れ、自分の内面と向き合うための時間だった。ラグビーでの成長とライフスタイルでの気づきが互いに影響し合うことを知った。

 チームメイトの来季の行く先は様々だ。プロクラブと契約しイタリアに渡った選手、ウェールズに戻る選手、さらなる機会を求めてバンクーバーに移った選手、トロントに戻った選手もいる。エドモントンでより家族との時間を優先する選手、大学の残った単位を取り切る選手など、皆、社会的にも経済的にも状況が大きく異なる。◆

Vancoverの南に位置するStevenston Harbourでの1枚。Vancoverは、都会と自然が共存した過ごしやすい場所の1つだった。


 私自身がこのクラブでプレーすることはおそらくもうない。9月下旬から12月までは、13人制ラグビーの日本代表戦があるため日本を拠点に活動する。この期間は、まだプレーするクラブは決まっていないが、新たな発見を得られる時間にしたい。

 年明けからは、これまで経験のないイギリスやオーストラリアのラグビーリーグ・13人制ラグビーのクラブでプレーしたいと考えている。いま、いくつかのクラブと交渉中の段階だ。そこで得られる経験もまた、ラグビーでしか味わえない「高揚感」を追い求める時間になればいい。

 もしかしたら、私のようにラグビー含め、仕事以外の何かにもっと時間を使いたいと思っている人、変化を求めている人も多いかもしれない。人生100年時代、生きていく術はきっといろいろある。稼ぎ方も多様化している。このコラムが、次の一歩を踏み出す誰かの参考になれば幸いだ。



【プロフィール】
おおたけ・かずき
1996年愛知県名古屋市生まれ。早稲田GWRC、University of Washington Husky Rugby Club、Seattle Rugby Club、Kenya Homeboyz、Kenya Wolves等を経て、現在カナダ・アルバータ州のラグビーチームでプレー中。13人制ラグビー日本代表(キャップ3)。早稲田大学スポーツ科学部、法学部、University of Washingtonを経て、外資系戦略コンサルティングファームの東京オフィス、ケニアオフィスなどに勤務したのち、独立。

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