
カナダ・アルバータ州、エドモントン。日本の人にとってあまり馴染みのない都市で、私はいま、ラグビーをしている。
外資系戦略コンサルティングファームを辞めたのは今年7月だった。
なぜここに来たのか、ラグビー歴も含めて、ここに至るまでの経緯を説明したい。
愛知県名古屋市で生まれ、愛知県立明和高等学校でラグビーを始めた。全国的には無名も、当時高校日本代表候補や県代表レベルの方が多くいたこともあり、東海大会や春の全国選抜などを経験させてもらった。
慶應でラグビー部副将をされた中村京介さんは1つ上、U20日本代表で現在リーグワン中国電力でプレーしている松岡祐斗さん、早稲田でLOとして活躍し、現在は中部電力でプレーしている桑田陽介さんは1つ下に当たる。

大学は、競技歴入試を使って早稲田のスポーツ科学部に進む。膝の怪我もあり、またラグビー漬けではなく様々なことに目を向けたいという思いもあり学生クラブ、早稲田大学GWRCに進んだ(Just RUGBY編集長の田村さんはGWの先輩)。
早稲田ラグビー部で監督を務められた後藤禎和さんがコーチをされ、また茗溪学園、本郷、浦和など比較的全国レベルでプレーしていた選手も多くおり、もちろん私大の体育会ほどではないが、ラグビーもそれ以外もある程度両立された環境でラグビーをすることができた。
2年時からは法学部へ学部編入、3年時からアメリカ・シアトルのワシントン大学に留学。大学ラグビー部に在籍したのち、Seattle Rugby Clubでプレーした。
当時、Seattle Rugby Clubは、アメリカのプロラグビークラブであるSeattle Seawolves(2019年は山田章仁選手もプレー)の実質的2軍の立ち位置であり、Seawolvesの選手とプレーする機会も多かった。ひたすらパワー重視なアメリカのラグビーをそれなりに競争力の高い環境で経験できたこと、何よりも海外でラグビーをする楽しさに目覚めることができたのは、大きな財産だった。


帰国後、2021年に新卒で大手の外資系経営コンサルティングファームに入社。主に発展途上国を支援するような仕事に従事した。ちなみにリーグワン専務理事の東海林さんは会社の先輩に当たる。
同時に、2021年からは13人制ラグビー/ラグビー・リーグをメインにプレーし、2022年のエルサルバドル戦で日本代表デビューを果たした(26-24)。
2023年からは、仕事でケニアのナイロビオフィスに転籍をし、15人制・7人制ではKenya Homeboyzで、13人制ではKenya Wolvesでプレーした。ケニアのラグビーは、一言で言えば「その場にいる全員がパワー 、あるいはスピードで目の前の相手をぶち抜こうとするラグビー」。その身体能力に加え、スラム出身など経済的文化的な背景の大きな違いに、日々驚かされながらプレーした。

2025年からは、主に東南アジアで仕事をしていた関係で、ベトナムやインドネシアのチームでプレーした。そして2025年7月に会社を辞め、ちょうど選手を募集していたカナダの『St.Albert』というクラブに、縁あって所属することとなった。
カナダ・アルバータ州は、部活やクラブレベルでのラグビーチームが数多くあり、カナダの中でも比較的ラグビーが盛んな地域のひとつだ。バンクーバーが位置するブリティッシュコロンビア州のリーグ(BCリーグ)が最もラグビーが盛んで、リーグワンやトップイーストでプレーしたことのある選手も在籍する。
隣の州に位置するアルバータ州/アルバータカップは、それに次ぐ立ち位置だ。
私は『St.Albert』にセミプロとアマチュアの中間のような待遇で所属し、用具の支給、プレーのための費用の免除、格安での住居提供などのサポートを得ながら、プレーしている。
さて、なぜ会社を辞めたのか。
「ラグビーをやり切りたい」と考えるようになったのが第一の理由だ。
社会人になり、13人制ラグビーのテストマッチ、ケニア国内の主要大会などでプレーする機会を得るようになった。その中で、例えば国歌斉唱の時、例えばケニアの数千人の観客の歓声を浴びる時など、ラグビーでしか味わえない緊張感、高揚感を味わう機会が少しずつ増えていった。
高いレベルでプレーしたい、プロになりたいというわけではない。ただ、ラグビーでしか味わえない、心揺さぶられる瞬間を、手遅れになる前に味わいつくしたいと思うようになった。
「日本発グローバル人材としての力を高めたかった」ことも理由のひとつだ。
大学時代にニューヨークに住んでいたことがあり、世界中の、スケール感がとんでもないような人々にたくさん会う機会を得られた。それをきっかけに、世界規模の、スケールの大きな仕事がしたいと思うようになった。

その力を得たくて外資系経営コンサルティングファームに入った。ケニアや東南アジアで働いた経験は、いわば第二言語・英語の『世界線』をクリアするためだ。そこからさらに先に進もうと考えた時、ラグビーだからこそ得られるようなネイティブスピーカーたちとの深い感情的な繋がりや文化的な体験を獲得することも期待して、人生の選択をした。
迷いもあった。
特にコンサルタントとして海外を飛び回り、国内外の要人と社会のあり方を考え、創り出すような仕事は、知的にも体力的にも全力を出し切る必要がある毎日で、良い意味でヒリヒリする瞬間に恵まれた。
また社内外で世界中のキレ者たちと渡り合うことができた。日々凄まじい速度で成長させていただいた。その環境を手放すことの惜しさは感じた。
しかし、「自分の人生に後悔を残さない」、「今しかできないことをする」と考えると、やはり私にはラグビーだった。一つの仕事に縛られずとも生きていく手段は他にもあると気づいたため、やることとした。
冬は豪雪地帯となるアルバータ州では、ラグビーシーズンは夏の間だけだ。よって、私がここでプレーするのも9月末まで。
残り数か月しかないが、2メートル級、100キロ超えのFWが多い世界線で、177センチ、90キロの私が、低くてはやい日本人フランカーとしてどこまでできるか楽しみだ。
秋冬は13人制の試合があるため、日本に帰国する予定。年明けからは、自分の専門でもある13人制を中心に国外でプレーをする機会を探ろうと思っている。
Just RUGBYでは、これまでプレーしてきたアメリカ、ケニア、いまプレーしているカナダ、今後プレーする国々の様子をお伝えしていく。
【プロフィール】
おおたけ・かずき
1996年愛知県名古屋市生まれ。早稲田GWRC、University of Washington Husky Rugby Club、Seattle Rugby Club、Kenya Homeboyz、Kenya Wolves等を経て、現在カナダ・アルバータ州のラグビーチームでプレー中。13人制ラグビー日本代表(キャップ3)。早稲田大学スポーツ科学部、法学部、University of Washingtonを経て、外資系戦略コンサルティングファームの東京オフィス、ケニアオフィスなどに勤務したのち、独立。