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【中村知春のアニキにっき】クラブチームで戦うということ/プロとアマ、桜と虹。
8月17日に札幌でおこなわれた太陽生命ウィメンズシリーズ2025のグランドファイナルより。(撮影/松本かおり)

【中村知春のアニキにっき】クラブチームで戦うということ/プロとアマ、桜と虹。

中村知春

 国内最高峰のセブンズ大会、真夏の太陽生命ウィメンズセブンズシリーズをご覧いただけただろうか?
 合計21試合、九州から北海道にかけて4大会を戦い抜いた非常にタフな2か月だった。

 この太陽生命シリーズにフル参加したのはかなり久しぶりのことだ。
 アジアや世界規模の大会や、五輪などの国際競技大会が重なると年間200日以上の合宿や遠征がある生活だったため、国内で所属チームのジャージを着て戦う機会というものはこの10数年、正直かなり少なかった。
 しかしパリ五輪以降のこの1年間、ほぼ初めて年間を通じて所属チーム(ナナイロプリズム福岡)にコミットしてプレーすることができて感じたことや、あらためて気がついたことについて今回は書こうと思う。

8月17日の札幌でおこなわれたグランドファイナルより。【写真上左】YOKOHAMA TKM戦のキックオフ直前。【写真上右】この日も攻守に体を張り続けた。【写真下】3位決定戦では負傷するも最後までピッチに立ち続けた。(撮影/松本かおり)


 桜を背負い世界と戦うことも、クラブチームとして国内でしのぎを削ることも、どちらも常に全力を尽くすことには変わりない。しかし、両者の間には何のために戦っているのかという感覚に多少違いがある。

 言葉にするのは非常に難しい。
 日本代表が「責任」や「矜持」というような、自分より大きな存在を前に進めるために戦う、というイメージに対して、所属チームは自分の隣やうしろにいる家族のような存在を守るために戦う、というような感覚だろうか。
 単語にすると少々重たくはなるが、「愛」とか「情」とか、そういったものに近しい気がしている。

 日本代表という場所は、常にコンディションが万全な選手が集まる場所だ。能力のある選手でも怪我を抱えた状態では招集されないし、ひとたび怪我をすれば、すぐに次の選手に取って代えられる。
 調子が悪ければ次に呼ばれる保証はない。常に結果が優先され、勝ちにこだわるプロフェッショナルでいなくてはならない。

 当たり前のことだが、弱みを見せられない緊張感が続く日本代表活動と比較して、所属チームでの活動は、ホームのような安心感がある。
 怪我を抱えている選手も練習中は一緒に横でリハビリをするし、調子が良い時も悪い時もずっと隣にいる。ことある毎にメンバーが入れ替わる日本代表に対して、強みも弱みも分かりきったチームメイトの存在は非常にありがたい。

 練習終わりに夜風に当たり、アイスを齧りながら、日本の暑すぎる夏に対して一緒に悪態をついたり、練習中にコーチが発した一言を誰かが似てないモノマネで再現をしてゲラゲラ笑っているとき、ふと、あぁ、これがチームなんだな、心地がいいな、と感じた瞬間が数多あった。

 喜怒哀楽を我慢する必要がなく、怪我からの復帰を喜んだり、ひとつのプレーで内輪で喧嘩をしたり、練習がキツすぎて泣いたり、ビール片手に仕事の話をしたり、その人の生活の真ん中の部分を、焚き火に薪を焚べるように囲む感覚がクラブチームなのだ。

 そんな女子ラグビーのクラブチームの一つ、ナナイロプリズム福岡を私が立ち上げたのは2019年のこと。
 創部当初からずっと選手に伝えていることがある。

ナナイロプリズム福岡では選手兼GMを務める。【写真左上】チームディナーのひとコマ。【写真左下】久留米では大家さんに家族のように接してもらっている。大家さんの愛犬を予防接種に連れて行く途中。【写真中上】地元企業から差し入れをいただけるのもクラブチームの魅力の一つ。【写真中下】同じ部位を負傷する中村(上)と迫田。【写真右上】5月の関東遠征時は、みんなで餃子パーティーをしたり共同生活。【写真右中】 同じところに住んでいるので、誕生日はチームメートの誰かがお祝いしてくれる。【写真右下】地域貢献事業のガールズラグビークリニックで修了書を手渡し。(写真は、すべて本人提供)


 それは『人の心を動かすことができる選手、チームであろう』ということだ。
 頑張るのは当たり前のことであって、無条件に皆に応援してもらえるわけではない。応援される存在になるには、まず応援する人間でなくてはならない。
 自分がラグビーで頑張ることが、どう社会の役に立つのかを常に問い続けよう、と。コロナ禍に産声を上げたチームとして、この価値観は忘れずにいたいと思っている。

 そしてもうひとつ、『日本一を目指し続ける』ということ。

 私は過去に何度か、別のチームで日本一になった経験がある。何かを責める意図は全くないし誤解を生みたくないのだが、事実として、女子ラグビーで日本一になったとて、何かが手元に残るわけではないし、大きく世界が変わることも無い。そのことを私は知っている。
 それなのにどうして日本一を目指すのか。

 それは、本気で取り組む一生懸命な姿にこそ人の心は動くことや、自ら挑んで積みあげた経験は絶対に誰からも奪われないこと、そういったことを、自分のチームの選手たちに体感してもらいたい思いがあるからだ。
 長い人生の中で、自信を奪われる瞬間はたくさんある。しかし「日本一になったことがある」事実や、「日本一のチームの一員であった」ということが、そんな時にちょっとだけ背中を押す力になるかもしれない。
 おこがましいかもしれないが、彼女たちがラグビーから離れるその時に、目に見えないそんな大切なものを、この場所でたくさん残してあげられたらいいな、と思う。

 頑なに日本一を目指す理由は、そこにある。

それぞれの集合写真に意味がある。【写真左上】地元・福岡での北九州大会(太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2025)では惜しくも準優勝だった。(撮影/松本かおり)【写真右上】グランドファイナル前にサポート企業の方々から差し入れをいただく。(写真は本人提供、以下同)【写真左下】所属選手を雇用している企業の社長が作ってくれたお揃いの「チロリアンパーカー」。【写真右下】チームの村上CEOからいただいた、ど根性ガエルのようなデザインのチームTシャツ。


 たとえ、結果が出なくとも、「あと1歩踏ん張っていれば」とか「あそこで諦めなければ」とか、そういう本気で挑んだ失敗から学んだことは、一生忘れないものだ。
 体に刻み込まれた悔しさが、いつか彼女たちが人生で壁にぶつかったとき、歯を食いしばり、耐える背中をそっと支える見えない手になるかもしれない。

 そのためなら、何回だって一緒に負けを味わおう。プロフェッショナルではないと言われるかもしれないが、このひたむきで人間くさい女子ラグビーの世界こそ、おそらくは日本や世界のラグビーが置いていったアマチュアリズムの余韻であるのだから。

 クラブチームの良さというものは、そういった未熟でアマチュアな感情を大切にできることなのかもしれない。恵まれた環境で大きなものを背負って戦った日常ももちろん幸せだったけれど、こうやって隣にいる存在のために勝ちたいと思える日々もそれ以上に幸せに感じる。

 ここでは、今まで目まぐるしくて見過ごしていたものを、一つひとつ大切に丁寧に色づけていくことができる。勇敢な桜も、寄り添うように現れる虹も、どちらも美しく素敵なことに変わりない。
 大事なのは関わってくれた人を大切にすることと、何を目的にするかということ、そしてその過程で何を残せるか、だと思っている。

【写真左】サラ(・ヒリニ/現・PEARLS)とは長い付き合い。お互いに顔をみれば、なんだか考えていることがわかる関係性。【写真中】ナナイロの仲間、弘津悠、香川メレ優愛ハヴィリが選ばれたサクラフィフティーンのワールドカップ壮行会へも出席した。【写真右】桑水流裕策ヘッドコーチと。創部当時からよくふざけ合っているが、リスペクトし合える良い関係。(写真は本人提供)


 ナナイロという名前の由来は、空に架かる虹のように、人を元気づけたり社会を活気づける存在になりたいという思いからである。

 女子ラグビーで世界を変えることはまだできないけれど、虹のようにふと現れては人をちょっと笑顔にしたり、社会を応援することはできると私は信じている。

 ラグビーを愛する理由を、またひとつクラブチームで見つけたシーズンでした。

【プロフィール】
中村知春/なかむら・ちはる
1988年4月25日生まれ。162センチ、64キロ。東京フェニックス→アルカス熊谷→ナナイロプリズム福岡。法大時代まではバスケットボール選手。2025年春まで電通東日本勤務。ナナイロプリズム福岡では選手兼GMを務める。リオ五輪(2016年)出場時は主将。2024年のパリ五輪にも出場した。女子セブンズ日本代表68キャップ。女子15人制日本代表キャップ4

札幌大会より。(撮影/松本かおり)


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