
◆ブルズの争乱。
ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップ(URC)の決勝前後から「ボーダコム・ブルズ(ブルズ)のジェイク・ホワイトHCが解任されるのでは」という報道が、南アフリカのメディアをにぎわせた。
ホワイトHCの実績からすれば「なぜ?」となるだろう。
URCでの成績は2021-22シーズンに総合順位16チーム中4位(プレーオフ2位)、2022-23に同6位(同ベスト8)、2023-24および2024-25はともに同2位(同2位)と、優勝はなかったものの、常に上位を維持してきた。これだけの結果を残していれば、逆に続投を求める声が上がってもおかしくない。
しかし、単なる成績だけでは語れない別の事情が背景にあるようだ。
南アフリカのフランチャイズがスーパーラグビーを脱退するまでの数年間、かつて名門チームとして名を馳せたブルズは最下位争いをするまでチーム力が低下していた。そんな傷だらけのブルズを再び立て直し、強いチームへと蘇らせたのが2020年にブルズに着任したホワイトHCである。チームが再び常勝軍団になったことにより、一旦は離れていった熱狂的なファンたちも次第にスタジアムへ戻ってきた。
プレトリアに住む友人が、かつてこう語っていたのを思い出す──「ジェイク・ホワイトが、強いブルズを取り戻してくれた。彼はすばらしいコーチだよ」と。
彼の口ぶりには、感謝してもしきれないという思いが感じ取れた。同HCがブルズにもたらした功績は計り知れない。
しかし、である。“最大の敵は身内にあり”だったようだ。
報道によるとキャプテンのLOルアーン・ノルキアとベテラン選手のFLマルセル・クッツェが選手を代表してブルズの経営陣と会談し、ホワイトHCのリーダーシップに対する不満を表明した。ホワイトHCが公の場で選手を批判したことや、URC決勝でアイルランドのレンスター・ラグビー(レンスター)に敗れた後の発言などを具体的な理由として挙げたとされている。
確かに決勝後の記者会見でホワイトHCは「今日の試合から得た教訓が示すとおり、我々にはレンスターが持つもの、つまり、より多くの国際レベルの選手が必要だ」という発言をした。
つまり現有戦力では勝てないと言っているようなもので、選手たちからすると決して受け入れられない内容ではある。

確かにレンスターは試合に登録されるメンバーのほとんどがアイルランド代表選手だ。さらに、先日のブリティッシュ&アイリッシュ(B&I)・ライオンズのワラビーズとのテストマッチ第1戦にはレンスターから7名が先発メンバーに名を連ねた特別なチームである。
ただしブルズも、例えばイタリア代表とのテストマッチ第2戦のメンバーに7名を送り込んでいる。ワールドカップ2連覇、そして前回のB&Iライオンズの南アフリカ遠征ではテストシリーズを勝ち越したスプリングボックスに選ばれた選手たちが7人も在籍しているのである。
人材の質に大きな格差があるというのは言い訳に聞こえるし、ブルズの選手たちのプライドをいたく傷つけたであろう。
またその会談で数人の選手は、ホワイトHCの解任が実現しないのであれば、ブルズとの契約を解除したいと言っていることも伝えられたという。これも真実であれば、ホワイトHCと選手の確執はかなり根深い。
さらに選手との問題だけでなく、ともに元スプリングボックスで現在はブルズのアシスタントコーチを務めるBK担当のクリス・ロッソウ、FW担当のアンドリース・ベッカーとホワイトHCとの関係も深刻だったようだ。
URC決勝戦時、両者はほとんど言葉を交わさないほど関係が悪化していたという情報もリークされた。これらのことが報道された通りであれば、URC決勝の完敗は内部における人間関係の崩壊が原因の一つであると考えられる。
ここまでで、ふと思い出したことが2つある。
ひとつは2015年ワールドカップの“ブライトンの奇跡”にも出場していた、HOビスマルク・デュプレッシーとPRジャニー・デュプレッシー兄弟の一件だ。2人は2014年にハリウッドベッツ・シャークス(シャークス)から仏TOP14/モンペリエ・エロー・ラグビー(モンペリエ)に移籍する仮契約を交わした。しかしその直後に、同じくシャークスで指揮を執っていたホワイトHCも追いかけるようにモンペリエに来ることを知り、同チームとの契約解除を申し出たのである。理由としては、デュプレッシー兄弟はホワイトHCとの関係が良くなく、一緒のチームにはいたくないということであった。
部外者から見れば、兄弟にとってホワイトHCは2007年のワールドカップを共に戦い、優勝に導いた、いわば恩師のような存在であってもおかしくない。そのような深い関係であったからこそ、ほんのわずかなすれ違いが、やがて修復の難しい大きな溝へと発展してしまったのかもしれない。
しかし、デュプレッシー兄弟はその時点でモンペリエから契約金の一部である15万ユーロ(約2500万円)を受け取っており、その仮契約をキャンセルすることは困難だった。ホワイトHCも兄弟との間に軋轢があることを承知していたが、それでもチームにとって2人は不可欠な戦力と判断し、残留を強く求めた。結局、兄弟の希望は叶わず、その後ホワイトHCが当時トップリーグのトヨタ自動車ヴェルブリッツ(現トヨタヴェルブリッツ)に移籍するまでの3シーズンを、同じチームで過ごすことになった。
ふたつ目はその2007年のワールドカップでの出来事だ。
イングランドとの決勝を前にしてホワイトHCと選手たちの確執が表面化する。ホワイトHCにはワールドカップの重圧に加えてクウォーター制(※チーム内の人種構成比率)の順守など政治的プレッシャーがあった。ライバルのオールブラックスやワラビーズのコーチにはない圧迫感や閉塞感だ。その焦りにも似た気持ちからなのか、練習内容を大会中にしては負荷の高いものにしてしまい、選手間には不満が募った。

決勝前というタイミング。さすがの屈強なスプリングボックスの選手たちも激戦が続く中、心身ともに疲労困憊、満身創痍の状態であることは明白である。しかし、ホワイトHCは変わらずハードな練習内容を選手たちに要求したから、これに対して選手が反旗を翻したのだ。
キャプテンのHOジョン・スミットは選手を代表し、ホワイトHCに対して練習の強度を緩めないのであれば、練習をボイコットする旨を伝えた。大一番を前にして選手とコーチの関係性が崩壊するのは時間の問題であった。
幸いにも、このチームにはテクニカル・アドバイザーとしてエディー・ジョーンズが加わっており、オーストラリア人であるジョーンズが中立的な立場を活かして、選手とホワイトHCの間を取り持った。ジョーンズはホワイトHCに対して感情的な対立を避け、選手の声に耳を傾けるよう助言し、チームはなんとかその難局を乗り越えることができた。
人間関係の確執というものは、部外者には分かりにくい。今回の件もそうだ。選手やコーチとホワイトHCの間に何があったのか、その詳細は当事者しか知らない。したがって、ここであれこれ憶測を述べるのは控えたい。
ただ、ひとつ確かなのは、両者ともに目指す方向は同じだということだ。勝利を手にし、チームを高みへ導きたい。その思いに違いはない。ただ、そのゴール、つまり勝利へのアプローチや過程に対する価値観が異なれば、ぶつかることもあるだろう。
これはスポーツに限った話ではない。何かを本気で追い求める集団の中では、意見の相違や衝突は避けられないことが多い。むしろ、それはチームが真剣に前へ進もうとしている証でもある。大事なのは、そうした軋轢をどう乗り越え、次に進むかだろう。
7月4日、ブルズは今シーズンのレビューを終えたホワイトHCと、お互いが合意した上で契約を解除したことを発表した。ホワイトHCはいろいろ言いたいことがあったと思うが、「私は次のステップに進むことを決断しました。長年のコーチ経験から、私ではこのチームを次のレベルに引き上げるのは難しいと感じました。私自身とブルズ双方にとって最善の利益となるよう、新たな章を開く時がきたと思います」とポジティブな内容のコメントを出した。
ブルズに対する謝意、そして「ブルズの今後の成功を祈ります」という言葉で締めくくった。
これに対し、ブルズCEOのエドガー・ラスボーン氏も「ジェイクはここで素晴らしい仕事をしてくれました。チームを再び強豪チームへと押し上げるために、彼と共に働くことができたのは光栄でした。彼は実力を発揮し始めたばかりの才能豊かな若手選手たちを育成し、強固な基盤を築いてくれました」と紳士的に対応し、「ジェイクがブルズに5年間在籍した間に、多大な尽力をしてくれたことに、私たちは本当に感謝しています」と賛辞を述べた。
形としては円満退任になったようである。
ホワイトのコーチキャリアはヨハネスブルグにあるパークタウン・ボーイズ・ハイスクールから始まり、その後、ライオンズ、スプリングボックスU19とU21。最終的にスプリングボックスにまでのぼり詰めた。なお、プレイヤーとしての実績はほとんどない。

南アフリカのプロコーチにはスプリングボックスのラッシー・エラスムスHCのようにプロ選手から直接プロチームのコーチというパターンもあるが、一般的にはホワイトのように、高校チームや大学チームのコーチから始まり、徐々に実績をつけてプロチームや年代別代表チームのコーチへ引き抜かれていくパターンが多い。
ホワイトは2007年ワールドカップで優勝杯を掲げた翌年からは、当時の国際ラグビー評議会(IRB。現ワールドラグビー)のテクニカル・コミッティのメンバーに就任する。2012年からは現場へ戻り、ブランビーズ、シャークスでHCを務め、トンガ代表のテクニカル・アドバイザーを挟み、前述のとおり、モンペリエ、そしてトヨタ自動車ヴェルブリッツ、そしてブルズのHCへと続く。
ホワイトの卓越した点は、国が変わり文化の異なる各チームにおいても、短期間でチームや選手の特性を的確に把握し、優勝あるいは優勝争いができるレベルにまでチーム力を引き上げてきたことにある。
ラグビーという共通項があるとはいえ、国が違えばプレースタイルや練習のアプローチ、チーム運営の哲学などは微妙に異なる。それらを柔軟に受け入れ、適応しながら結果を出す能力において、ホワイトの手腕は際立っている。
こうした実績から、単独チームの指導者としても世界的に評価は高く、ブルズ退任のニュースが広まれば、各国のトップチームから三顧の礼をもって声がかかるのは間違いない。ホワイトがどのような「次のステップ」を選ぶのか、今から注目されるところだ。
◆アッカーマン新HCの時代到来。
さて次の問題は、ホワイトが去った後、誰が名門ブルズを率いることになるかということだった。
名将の後釜だ。それだけに、候補者選びは超一流の4人に絞られて始まった。
一人目は2023年のフランス・ワールドカップでスプリングボックスHCとして4度目の優勝へと導いたジャック・ニーナバーだ。ニーナバーはワールドカップ終了後、今シーズンURCの優勝を飾ったアイルランドの強豪、レンスターのシニアコーチに就任している。ただ、残念ながらニーナバーはレンスターとの契約期間を2026年6月まで残しており、来シーズンの連覇が期待される中、ブルズへの移籍は難しい。
2人目は現在、イングランドのプレミアシップ、バース・ラグビー(バース)HCであるヨハン・ファングラーンだ。ファングラーンの父親は2019年にCEOを退くまで、35年にわたりブルズ経営陣の重鎮として君臨してきたバレンド・ファングラーン。その関係で16歳でブルズに職員として採用され、2003年にテクニカル・アドバイザーに就任した。
縁故主義と批判された時期もあるが、当時のHCであったハイネケ・メイヤーはファングラーンを、当時としては先進的だったビデオなどにより詳細な分析ができるコーチとして、その能力を高く評価した。その後、メイヤー、そしてフラン・ルディケHC(現クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)の下で、ブルズをスーパーラグビーで3度頂点に引き上げてから、やはりメイヤーからの指名を受け、スプリングボックスのFWコーチに就任する。
スプリングボックスでは、2015年のワールドカップを経て、メイヤーの後任であるアリスター・クッツェー(※トップリーグ時代の神戸製鋼コベルコスティーラーズ及びキヤノンイーグルスでもHCを務めた)の下でもFWコーチを続けた。2017年からは活躍の場を欧州に移し、アイルランドの強豪マンスター・ラグビー(マンスター)、そして2022年からはバースでHCを担う。
マンスターでは優勝こそなかったものの、在籍期間はすべてプレーオフに進出しており、バースでは今シーズン、EPCRチャレンジカップ、イングランド・プレミアシップ、そしてプレミアシップカップの三冠を達成した。ファングラーンも最近、バースと2030年までの契約延長にサインしたばかりで、こちらもブルズへの移籍は難しい状況だ。
3人目は、現在スコットランドのグラスゴー・ウォリアーズでHCを務めるスプリングボックス9キャップを持つフランコ・スミスだ。スミスは現役時代、ブルズでもプレーしており、2005年に引退するまでの4シーズンはイタリアのボローニャとベネトンで活躍した。コーチになってからもイタリアのチームとの関係は続き、2019年にはイタリア代表“アズーリ”のHCに任命された。
2022年からはスコットランドのグラスゴー・ウォリアーズのHCに招へいされた。2023-24年シーズンのURCプレーオフ決勝では、ホワイト率いるブルズの優勝を期待して、その本拠地ロフタス・バースフェルド・スタジアムに集まった5万人の大観衆の前で、後半の大逆転劇を演じ(※15-21)、その期待を深い失望に変えた。
スミスも2026年までグラスゴー・ウォリアーズとの契約は残っているが、現スコットランド代表HCのグレガー・タウンゼンドの後任の話が進んでいるとも噂されている。
ここまでの3名は皆、海外のチームで活躍しており、いずれも移籍は難しい状況にある。しかし、誰もがいずれはスプリングボックスのHCになることを目指している。そういう意味ではブルズのような国内の名門チームで指揮を執る方がその目標に近づくことはできるという自覚はあるだろう。

さて最後の候補者は元スプリングボックスでキャップ13を持つヨハン・アッカーマンだ。日本のファンにはこの4名の中であれば、一番馴染みがあるだろう。アッカーマンはヨハネスブルグにある南アフリカの玄関口であるORタンボ国際空港に隣接したベノニという地域の出身であり、ここはブルズの拠点プレトリアからも遠くない。ちなみにこのベノニはスプリングボックスのレジェンドWTBブライアン・ハバナの故郷でもある。
アッカーマンはブルズでプロ選手としてのキャリアを始め、その後、ライオンズ、イングランド・プレミアシップのノーサンプトン・セインツなどを経て、最後は37歳の時にシャークスで現役を終えた。
コーチとしてのキャリアは、ライオンズに始まり、イングランド・プレミアシップのグロスター・ラグビーを経て、当時トップリーグのNTTドコモレッドハリケーンズ(現レッドハリケーンズ大阪)、さらにグループチーム再編成があり浦安D-Rocksへと続いた。
グロスター・ラグビーでは就任1年目にして、EPCRチャレンジカップで決勝進出という快挙を達成した(※決勝ではウェールズのカーディフ・ラグビーに30対31と惜敗)。直近では、今年1月から7月末までの短期契約で、ワールドラグビーU20チャンピオンシップ(U20 RWC)に出場したU20南アフリカ代表(ジュニア・ボックス)のFWコンサルタントを務めた。チームの、同大会での13年ぶりの優勝に貢献した。
南アフリカのラグビーファンの間では、2014年に低迷期にあったライオンズのヘッドコーチに就任し、わずか2年でチームを再建、2年連続でプレーオフファイナル進出へと導いた手腕が、今なお鮮明に記憶されている。
実はライオンズは2008年から2012年までの5シーズンで3度最下位となる成績不振に陥り、その結果、南アフリカラグビー協会から2013年シーズンのスーパーラグビー出場停止、すなわち“降格”を通告された(※ライオンズの代わりにサザンキングスが昇格)。そんな最悪の状態にあったライオンズに手を差し伸べたアッカーマンを、誰もが“火中の栗を拾った”と思った。
アッカーマンはマルコム・マークス、ファフ・デクラーク、フランコ・モスタートそしてクワッガ・スミスなど、現在もスプリングボックスの主力として活躍している選手を補強し、オープン攻撃を多用し、ボールを動かすプレースタイルにするなど、チームカラーを大幅に変更した。
当時のスーパーラグビーにおいては、ニュージーランドやオーストラリアのチームとの実力差が広がりつつあり、南アフリカ勢は3年連続で決勝進出を逃していた。南アフリカのラグビーファンの鬱憤がたまる中アッカーマンは、国内でも最も期待値の低かったライオンズを率い、2年連続で決勝の舞台へと導く快挙を成し遂げた。いずれの決勝戦でも、ハリケーンズ、そしてクルセイダーズのニュージーランド勢に無念の敗北を喫したものの、南アフリカ国内で巻き起こった熱狂は凄まじく、ライオンズの躍進は国内のラグビーファンに希望をもたらした。
なお、その後アッカーマンの後任としてヘッドコーチに就任したスワイズ・デブルインのもとでも、ライオンズは3年連続で決勝進出を果たした。この時期のライオンズは黄金期とも言える充実ぶりを見せていた。
すでにブルズから発表されたが、周知のとおり新HCはアッカーマンになった。最後はアッカーマンとスミスの二人に絞られた末に決定したようだ。アッカーマンの場合、他の3名と比べると契約し易い状況にはあった。しかし、HCとしてじり貧の状態だったライオンズを短期間で立て直し、南アフリカ年間最優秀監督を3度受賞した実績が効いたようだ。
アッカーマンはイタリアで行われていたU20 RWCから帰国後、すぐにブルズでの活動を開始した。メディア対応でアッカーマンが語ったこととしては、これから構築していくチーム文化に関しては譲れない条件がいくつかあるという。
そのうちの一つとしては、「ブルズでプレーするには、そのユニフォームを勝ち取らなければなりません。テストマッチに100回出場した、U20で活躍していたということは関係ありません。コーチである私たちが期待する基準を満たしていれば、誰もがプレーできます」ということだった。

また、そのチーム文化については、「チームにはハードワークをしてほしいし、誰もがチームファーストの考えでいてほしい。それは、他者への奉仕ということでもあります。床に落ちたものを拾ったり、先に水を手渡したり、他者に優しく接する。そうすることで、尊敬と信頼が生まれます」としている。この辺はアッカーマンHCが日本で影響を受けた部分が現れているのではないだろうか。
さらに「確かにブルズは良いチームです。(SOハンドレ・ポラードやCTBヤン・サーフォンテインなど)新たに加入する選手たちも素晴らしい経歴を持っています。しかし、重要なのは彼らがチームプランにどう合致するかです。私が最初にすべきことは、選手一人ひとりを知り、彼らの強みを理解することです」と、ブルズに在籍する選手のレベルの高さを認めながらも、自分自身がまず個々の選手の特性を詳細に知る必要があるとしている。
名将ジェイク・ホワイトにしても、ブルズはURC決勝に進みながらも優勝ができなかった。そんな現在のブルズの状況はアッカーマンHCのこれまでの経験が活かせるのではないだろうか。アッカーマンHCは「私の決勝戦での実績は芳しくないです。スーパーラグビーや欧州選手権の決勝戦で負けています。だから、そこに欠けている1パーセントを知っているふりをするつもりはない」と自分が決勝で勝てていないことを認めている。
豊富な経験と確かな実績を持つコーチが、自らの課題や不足している部分を率直に認めることは稀であるが、同時に極めて重要な要素でもあるのではないだろうか。
だからこそ、その「欠けている1パーセント」を補う術は、アッカーマンHCがこれまでの歩みの中で培ってきた知見と経験から導き出されるはずである。同HCは最後に、「私が(イングランドや日本で)学んだ最も重要な教訓は、自分らしくあること、そして同時に他者の意見に耳を傾け、それを受け入れることです。ブルズでは、まさにそのバランスを大切にしていきたい」と述べ、勝利を見据えたチーム文化の構築に意欲を示した。
これらのコメントからは、アッカーマンHCの誠実さや謙虚さ、そしてラグビーへのひたむきな情熱が滲み出て、胸が熱くなる。その真っ直ぐな人柄に、惹かれてしまう。
こんなコーチがチームを率いるなら、応援したくなる——そう思わずにはいられない。
【プロフィール】
杉谷健一郎/すぎや・けんいちろう
1967年、大阪府生まれ。コンサルタントとして世界50か国以上でプロジェクト・マネジメントに従事する。高校より本格的にラグビーを始め、大学、社会人リーグまで続けた。オーストラリアとイングランドのクラブチームでの競技経験もあり、海外ラグビーには深い知見がある。英国インペリアルカレッジロンドン大学院経営学修士(MBA)修了。英国ロンドン大学院アジア・アフリカ研究所開発学修士課程修了