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6月上旬(6月7-8日)、北海道・定山渓で行われたピリカモシリ7’sに参加した。
アイヌ語で「美しい大地」を指すこの大会は今年で12回目。北海道の自然に囲まれたフィールドで一日中試合をして、アフターマッチファンクションでは地元のラグビークラブの方々が豪華なBBQを振る舞ってくださる。セブンズプレーヤーなら誰もが憧れる大会だ。
今回、私はアジアンバーバリアンズのメンバーとして、この大会を戦った。
「バーバリアンズ」とは英国で生まれた、ラグビー界に存在する伝統的な混成チームである。ホームグラウンドを持たず遠征や試合の時だけ世界各国から選手を招き、選抜チームを編成する。
選手はそれぞれ、自身の所属チームのソックスを履いてプレーするという独自の風習がある。
今回の「アジアンバーバリアンズ」は、その精神をアジアの文脈で実現しようと、私自身が企画したチームだ。アジア各国から女子選手たちを集め、国を超えた絆と挑戦を共有するプロジェクトである。
ご協賛いただける方々(企業など)のお陰でなんとか実現することができた。本当にありがとうございました。企画から実現まで1か月半は本当に嵐のような期間だった。

結果的に、香港、韓国、シンガポール、台湾の選手が集まってくれた。そこに日本の選手とスタッフが集い、アジアンバーバリアンズ2025が結成された。
ジャージは借り物だったが、Tシャツとハットは揃えることができた。
諸々の都合で、全員が集合するのは金曜日の夜。各国から初対面の選手たちが集まった。それぞれの言語は、日本語、英語、中国語、韓国語、広東語だ。
こうして、48時間だけの一期一会のチームができあがった。
和室の畳の部屋に布団を自分たちで敷き詰め、枕を並べて寝る。最初は恥ずかしくて拒絶していた温泉も、一度入ってからは病みつきになり、朝晩欠かさず温泉に通う選手もいた。
芝の上ではもちろん、お風呂でも、畳の上でも、48時間の1分1秒を惜しむように、彼女たちはいろいろなことを話した。
結果的には5戦全敗。惜しい試合もあったが、強豪チームには大差で負けた。日本一のチームにボロがつくほどの負けを喫して、泣くほど悔しがる選手がいた。
その姿に、私自身も初心にかえった。
一人の選手が大会前のジャージプレゼンテーションで言った。
「話す言葉は違うけど、私たちはラグビーという言語があるから大丈夫」

私は、この素晴らしい大会で彼女たちに日本のトップチームの本気度を体感してもらいたかった。
自国では、女子チームがなかったり、女子の大会そのものが存在しなかったりするからだ。期間中、チャンスやきっかけを彼女たちに『GIVE』することに徹しようと思っていた。しかし終わってみれば、私の方が彼女たちからたくさんの気づきをもらっていた。
私がラグビーの世界に飛び込んだとき、年間300日近い代表活動をするには、仕事や生活を犠牲にする覚悟が必要だった。引退してから仕事に戻れる保証もないし、ラグビーで生計を立てるのは女子には到底無理な世界だった。
それでも当時の選手たちは、ラグビーが大好きという想いだけで、女子ラグビーの環境を切り拓いた。
10数年の時を経たいまでは、女子でもプロが夢ではないし、高校も大学も社会人チームも、日本各地にたくさんある。仕事をしながらラグビーを続ける選択肢だってある。
当時アジアで5位だった女子日本代表は、今や世界でメダルに手が届くところにいる。
アジア各国の女子選手たちは、10年前の私たちと同じだ。原動力はラグビーが心から大好きという純粋な気持ちだけ。過酷なスケジュールにも、1枚しかもらえない練習ギアにも、文句ひとつ言うことなく、上手くなりたいという気持ちだけで、日本一のチームに挑み、ボロ負けし、本気で涙した。
彼女たちを引き上げるために差し伸べるひとつの手に、私はなりたい。
彼女たちはきっと、今回たくさんの方々に勇気づけられ、自国の女子ラグビーへの小さな希望の種を持ち帰ってくれただろう。
その種がアジア各国で芽吹き、根を張り、花となる。ラグビーを愛する多くの女子たちの人生に彩りをもたらすよう願っている。
ラグビーで多くの人が幸せになれたらいい。夢を見つけられたらいい。
私は自分のラグビー人生の最終章に、そんなことを考えている。

今回の参加者のいくつかのメッセージを、最後に紹介したい。
※名前の前の丸数字は上の写真の背番号となっています。
【韓国】⑦ヤン・ソルヒ/⑥ミンフィ・リー
□2019年に韓国女子代表が解散して以来、プレー環境が非常に限られ、国内には学びや成長する機会がほとんどなかった。しかしアジアンバーバリアンズは、心の奥底にあった情熱を再び燃え上がらせてくれた。
□この経験をきっかけに、韓国女子ラグビーのためにもっと頑張ろうという力をもらった。
【ナナイロプリズム福岡】②草野可凜/【RIG】⑨永島沙菜/【ナナイロプリズム福岡】①鬼束歩
□様々な文化・言語・経験を持つ混合チームは初だったが、2日間で真の「One Team」になれた。
□最初のチームランは言語の壁でカオスだったが、ラグビー経験や文化の違いを超えて、一生懸命さや思いやり、ラグビーが好きという気持ちがチームを作ると実感した。
□世界中に仲間ができることは、ラグビーがくれた人生の財産。
【シンガポール】③サマンサ・テオ/⑤リリー・シム/④ビクトリア・チュウ
□アジアンバーバリアンズでの時間はラグビーが国境を越える力をあらためて実感する機会だった。
□言葉は違えど、ラグビーという共通言語でつながった。
□国際レベルの選手との交流を通じて、自分もより成長したいと感じた。
【台湾】⑧鄭以婕
□憧れのサラ・ヒリニ選手(ニュージーランド代表)に会って、夢を追い続けてね、という宝物のようなメッセージをもらえた。
□私の次の夢は、日本のクラブチームでプレーすること!
「今回は私の人生で初めての海外旅行でした」と言う鄭以婕は、不安な気持ちで台湾を発ったものの、北海道に到着した途端心配事が吹っ飛んだのだと、今回の渡航をサポートしてくれた方々(杜元坤院長をはじめとする元坤運動文創/YUAN KUN Sport & Culture Companyの関係者)への報告書に書いた。空港からホテルまでの道中の発見や、チームメートの気さくさに、一気にみんなとの距離がなくなったことを伝えた。
2日に渡る試合日のことも綴った。「たくさんの日本の女子選手たちの『本気』を間近で見られたこと」への感激や、仲間と時間を過ごして感じた、「ああ、私たちはラグビーを楽しむためにここに来たんだな」との思い。膝を痛めて思うようにピッチに立てず、悔しくて、迷惑をかけたのではないかと心苦しく、最後の試合を終えた後の円陣では大泣きしてしまった。周囲の「あなたのプレーがすごく良かったよ」、「その情熱を台湾に持ち帰って、もっと多くの人に影響を与えてね」の言葉を胸に刻んだ。
憧れの人、ニュージーランド代表のサラ・ヒリニ(PEARLS所属)と会話する機会も得て、「夢を追い続けてね!」との言葉ももらった。台湾の女子ラグビーの環境をもっと整えたい。そして自分自身、もっと上手く、強くなりたいと思った。
「今回日本に来て、自分にはまだまだ伸びしろがあると強く感じました。最初は挫折感もあって、自分に疑問を持つこともありました。でも、私は壁にぶつかったからといって諦めるような人間ではありません。むしろこの旅を通じて、自分がどう強くなるべきか、どうステップアップしていくべきか、はっきり見えてきました。私の次の目標は、日本のクラブチームでプレーすること! 夢を実現するのは簡単ではないかもしれません。でも、努力を惜しまなければ、きっとチャンスはあると信じています」と結んでいる。

【プロフィール】
中村知春/なかむら・ちはる
1988年4月25日生まれ。162センチ、64キロ。東京フェニックス→アルカス熊谷→ナナイロプリズム福岡。法大時代まではバスケットボール選手。今春まで電通東日本勤務。ナナイロプリズム福岡では選手兼GMを務める。リオ五輪(2016年)出場時は主将。2024年のパリ五輪にも出場した。女子セブンズ日本代表68キャップ。女子15人制日本代表キャップ4