
トヨタヴェルブリッツは入替戦を逃れた。5月4日、三重ホンダヒート戦の最終スコアは38-30。勝ってもなおフィットネス、フィジカリティーの発展途上は明らかだった。前半は31-11とリードしながら、しだいに足は止まり、同じ東海地区にあって力をつけてきたチームにひっくり返されておかしくなかった。
「結果に大変に満足しています。ことに前半はチームのプランの実行力やディフェンスがよかった」
ヴェルブリッツのスティーブ・ハンセンHC(ヘッドコーチ)は会見冒頭に語り、後半の失速についてはこう述べた。
「走る距離が非常に長かったので、足の疲労の影響もありました」
開始からたくましく戦い、しかし、前半途中に威勢はかすれた。オールブラックスを率いて勝率86・2%(93勝4分け10敗)の指導者の発する両コメントのあいだ、そこのどこかに来季の強化の焦点はある。
取材後、鈴鹿から名古屋へ。秘密の酒屋さんに寄り、ずらり並んだカメの蓋をあけては顔を寄せて秘密の焼酎や日本酒の香りに酔い、ついで秘密の食堂で秘密の鰻丼の甘露にまた酔った。すべて、この土地に暮らす秘密の楕円球愛好者の導きだ。卓上にそびえる一升瓶の手づくりのラベルには達筆で「スクラム組もうぜ」とあった。

店内にて会話の途中、未知の「観戦中の感覚」を耳にした。
なんでも、とある女性ファンはいつか、ひいきのトヨタヴェルブリッツの公式戦の途中に「9番の滑川を嫌いになった」。穏やかでない。いまトップ級レフェリー、現役時代は聡明かつスキルフルなハーフバックの滑川剛人を苦手な人なんているのか。
なんでですか? 秘密の愛好者に聞くと、なら本人に電話をつなぎましょう、と、いきなりパスを放られ、正式な開店前(これまた秘密の裏口から入れてくれる)で周囲に客はおらず、その場で確かめることに。
「ゴール前のモールを押したんです。トヨタが。そしたら滑川が味方のFWの尻をバンバン叩くんです。それがこわくて」
携帯端末の向こうの声は「いまでもこわい」という感じなのだった。
もちろん、まわりの観戦同志、競技経験のある中年男性たちは「さすが滑川、すかさず気合入れとる」と、ますます好感を抱いたのは説明するまでもない。
たいていは背の高くない、ゆえに気の強い人間のポジション、務めとして、自分よりうんと体の大きな同僚を遠慮なく鼓舞する。ラグビーフットボールの古典的なイメージだ。
にわかに思い出す。四半世紀ほど前の菅平高原の夏合宿。早稲田大学の往年の名9番が後輩の現役SHを集めて諭した。
「君たちはFWの連中をとことん使い倒すわけや。それが仕事。であるなら礼儀として、すべてのラックにいちばん先に到達して、みなさんを迎えなくてはいけない」
そこでトヨタヴェルブリッツの滑川剛人。とことん足をかくべし、と、モールに突き出る尻を「バンバン叩く」。しかと職責を果たしている。どこか微笑ましくもある。
それを苦手な人がいる。バカーンとぶつかる当たりやタックルは平気。でも味方を叩くのは…。こちらもまた尊い。どう感じるかは自由である。スポーツ観戦とは、きっと「わたしだけの感受性」を知る機会でもある。
2019年のワールドカップ期間中。さまざまな市井の意見をおもに夕刻過ぎの街のあちこちで収集した。今回と同様、ハッと隙をつかれたのは、図書館司書の女性の一言。
「あんなに激しく走ってぶつかるのに、スクラムからピョコンとボールが出てくるのがたまらない」
なるほどね。わかる気がする。
中央線沿線の酒場の頑固な主人は言った。
「タックルしてすぐ起きる姿勢はトライより感動する。トライはいいことが待っているから走る。こっちは、またつらいことが待っているのに急いで起きる」
この人物、苦学で明治大学の夜間を卒業した。いつか大雨で店内は浸水、途方にくれて、ひとり片づけに取りかかる。あっ、そうだ、と、紫紺と白のレプリカをどこかで手に入れ、高いところに飾り、苦しくなると目をやっては、こつこつと復旧させた。

2019年9月20日。ジャパンとロシアの開幕戦。いつもは新宿から京王線に乗って飛田給駅最寄りの味の素スタジアムへ向かう。この日は、せっかくなのだからラグビー好きのみで埋まるシャトルバスにしよう、と考え、中央線の武蔵境駅の停留所に並んでみた。
何台か見送り、キックオフまで3時間15分のあたりでいざ出発。前の座席に赤と白のジャージィをまとう女性がふたり、どうやら愛知県よりやってきたらしい。
やがて永遠のつぶやきを鼓膜がキャッチした。
「なんでこんなに楽しいんだろう。まだ一試合も観てないけど」
名言が降ってきた。コラムに書きたい。満員車両のつり革に身動きはままならず、したがってメモをとれず、忘れるわけにはいかぬ、と「まだ一試合も観てない」のに緊張した。
おしまいに観客ではなく選手の言葉を。花園のU18合同チーム東西対抗戦のメンバーは、放送用のアンケートに協力してくれる。
2023年度。東軍のCTB、岩手県立不来方(こずかた)高校3年の伊藤凌は「なんでも一言」という主旨の欄に記した。
「ラグビーを発明したラグビー校の学生に感謝」
本稿筆者は、ウィリアム・ウェブ・エリス少年の伝説について真偽を含めて長く調べてきた。28年前にはラグビー校も訪ねている。なのに「感謝」を抱いたことはない。不意をつかれた。そうか。そうだよなあ。「将来の夢」は「高校教師(数)」という「コズカタ校の学生」の感受性にまさに感謝だ。