連覇は4で途切れた。
しかし、人生の負けではない。
挫折が、そのあと歩む道を豊かにすることの方が多いと言っていいかもしれない。
1月2日、全国大学選手権の準決勝で前シーズンまで4年連続大学日本一の座に就いた帝京大が早大に21-31と敗れた。
試合後の記者会見、大町佳生(よしき)主将が立派だった。

この日、大町主将は背番号22のジャージーを着て、後半21分からピッチに出た。
その時のスコアは14-28。後半18分から順に投入された帝京大のフィニッシャーたちは奮闘、死力を尽くして反撃するも、1トライ、1コンバージョンを返すにとどまった。
戦いを終えて相馬朋和監督は、「大町キャプテンを中心に作ってきたチームで、ここまで戦ってこられたことを本当に嬉しく思います。今日も数多くの素晴らしいトライがあったし、チャンスも多く作ることができたと思います。私自身が早稲田さんの勝利への執念に負けたんだと思います。来年はもっとその部分を鍛え直して、またここに戻っていきたいなという風に思っております」と切り出した。
指揮官は先制を許した試合の入りについて、「あまりいいものではなかった」としたが、「そのあとの20分間は、我々がしたいことができた時間帯だったと思います。そこで作り出したプレッシャーをそのあと、自分たちで緩めてしまったっていうのが 一番の敗因だったと思っています」
プレー選択において、「はやく、簡単に効果が出そうなものを選んでしまっていた」と悔やんだ。
例えば、相手のキックを受けたあとの切り返しで、ショートキックから攻めようとするシーンが何度かあった。うまくいかないことも多く、ボールを相手に渡す結果に終わる。
自分たちにとってタフな選択をした方が、相手にもプレッシャーがかかったのではないかと感じたようだ。
相馬監督はキャプテンの投入について、「もっと早い段階で投入すべきだったのかもしれないな、というのが反省ですし、ここで負けてしまうなら大町を最初から出さなければいけなかったな、出してやりたかったな、と思っています」と言い、言葉を詰まらせた。
「ゲームがもう少しルースな(緩んでいる)状態、大町のいい部分が生きるようなゲーム展開に持っていきたかったのですが、早稲田さんの、やるべきことをきちんと最後まで遂行する能力がきょうは素晴らしかった」

報道陣から主将のコンディションを問われ、「大町は元気ですよ。素晴らしいコンディションです」と監督が答えた時、隣に座っていた本人は笑顔を見せた。
指揮官との信頼関係と、大一番に先発できない自分へのもどかしい気持ちが含まれていたように見えた。
大町主将は会見で、感情を飲み込みながら言葉を選んだ。
「自分たちが望んでいた結果じゃなかったのですが、ラグビーをやっていたらあることだと思います。人生においても、自分たちの4年間においても、負けること、悔しい思いをすることもある」と言って、そのたびに立ち上がることが大事と続けた。
「また来年以降、素晴らしい仲間たちが本当のチャンピオンになってくれると思います。結果は結果ですし、悔しい思いはしましたが、これも人生、4年間の一部」
後輩たちに向けて、「またこの舞台に立って、笑って終われるように頑張っていてほしい」とエールを送った。
キックオフから後半20分まで外から試合を見ていたキャプテンは、プレッシャーを受けている時間帯、外から仲間たちに声をかけた。チームは先制を許すも、その後2トライで逆転。ただ、前半20分過ぎから連続して相手に得点を許していた。
「バックスの選手に、もう1回強気に、自分たちがボール持ってアタックしようっていう風に伝えました」
ピッチに立った時は14点ビハインドの状況だった。
「スコア的にプレッシャーがかかっていたと思いますが、まだまだ勝てるゲームだったと思います。もう1回チームに勇気と自信を与えられたらいいな、と思いました。特別なことをするわけではなく、空いているスペースに対してしっかりアタックしました」と話し、ベンチからフレッシュレッグスが加わってからの時間帯を「(ゲームが)すごく動いた部分だと思いますし、それをもうちょっと早くからできていたらまた違った展開になったかもしれません」とした。

会見を終えた後のミックスゾーンでも仲間への感謝の言葉を綴った。
「ここまで来られたのはハードワークをしてくれた仲間のお陰ですし、ゲームに出る選手たちだけではなく、メンバー外の選手、特に4年生を中心に全員がチームのためにハードワークをしました。望んでいた結果が出なかったのはすごく悔しいのですが、この1年、いい思いも、悔しい思いもしながら過ごした日々は本当にかけがえのないもの。僕の人生にも、すごくいい影響を与えてくれる1年間だったと思います」
今季は関東大学対抗戦は全7試合に先発するも、全国大学選手権に入ってからは、初戦の東洋大戦こそ先発も、準々決勝からはベンチスタートとなっていた。
「間違いなく12番を背負ってチームを引っ張っていきたかった。しかし、なかなか個人のパフォーマンスが上がらず、(チームが求めるものと)噛み合わない中で、すごくもどかしいところはありました」
キャプテンとして、チームの一員としてやれることに徹した。
「相馬監督が選んだメンバーです。グラウンドに立っているメンバーがやってくれることを信じて、ベンチでも、チームが勝つためのことを常にやってきました」
常勝チームの先頭に立つ人間には、周囲が想像する以上の圧力がかかる。
「(帝京大は)勝つことを普通に求められるチームです。常に追われる立場には本当にたくさんのプレッシャーがありました。その中で、自分たちがやっていること、やってきたことを信じてグラウンドで表現しました。ただ今年は(頂点へ届くに)及ばなかった。でも、帝京大学ラグビー部はまだまだ続いていきます。その意味で記者会見で、これも人生の一部となる4年間、と表現しました」

大町佳生の名は、この4年間も、この先も帝京大の歴史の中に刻まれる。そして大町の人生の中から、真紅のジャージーを着た日々が消えることもなければ、自ら最後の1年を消すこともない。
世の中には、若き日に栄光に届かず涙した人の方が成功者よりはるかに多い。大町も、その悔しさをバネに輝く人たちの中に入る道を歩み始める。