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【Just TALK】「エディーさんからの連絡はモチベーションになった」。松永拓朗[東芝ブレイブルーパス東京]
11月29日におこなわれたプレシーズンマッチ、クボタスピアーズ船橋・東京ベイ戦での松永拓朗。(撮影/松本かおり)
2025.12.02
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【Just TALK】「エディーさんからの連絡はモチベーションになった」。松永拓朗[東芝ブレイブルーパス東京]

向 風見也

 ラグビー日本代表5キャップの松永拓朗が11月29日、所属する東芝ブレイブルーパス東京の練習試合に先発。最後尾のフルバックとして前半途中まで駆け回った。

 場所は都内の本拠地だった。前年度の国内リーグワンのプレーオフ決勝(東京・国立競技場)で18-13と制したクボタスピアーズ船橋・東京ベイに、22-36で敗れた。

 それでも、3連覇がかかるシーズンへ前向きな一歩を踏んだとも言える。

 本人にとって、これが約1か月ぶりのゲームだったからだ。

 身長172センチ、体重81キロの27歳。出身の天理大では司令塔のスタンドオフを主戦場としており、鋭い仕掛けが強みだ。

 前年度は開幕前に代表デビューを叶え、今年6月までの国内シーンを終えるとリーグワンのベストフィフティーンに選ばれた。

 6月中旬に再始動のジャパンにも加わった。

 7月5日には、福岡・ミクニワールドスタジアム北九州での対ウェールズ代表2連戦の初戦で15番をつけた。

 しかし、前半16分にトライを決めた瞬間に右ひざの後十字靭帯を強く痛めた。3分後に交替。24-19で勝利も、戦列を離れた。

 その後は8~9月のパシフィックネーションズカップ(PNC)をスキップし、10月以降のキャンペーンを見据えてスコッドに戻った。当時は、同25日のオーストラリア代表戦(国立)に照準を合わせていた。

今季はブレイブルーパスのバイスキャプテンを務める。1998年8月13日生まれの27歳。中野中→大産大附→天理大。日本代表キャップ5。(撮影/向 風見也)


——まず、秋の復帰について振り返っていただけますか。

「いろんな人に支えてもらった感じです。リハビリではチームの滝田(陽介ヘッドアスレティックトレーナー)さんに面倒を見てもらい、代表のS&Cの方のおかげでJISS(国立スポーツ科学センター)でのトレーニングもできました。

(受傷から)1週間くらいでジョグができるように。そこからトップスピードで走るのが大変で、1か月以上はかかりました。リハビリは、いまも続けています。(痛みが出ないような)身体の使い方を、(トレーナーに)見てもらっています。

 怪我で離脱したのが初めてで、正直、すごく悔しいな…と。PNCには絶対に戻りたかったですけど全然、間に合わなくて、心残りというか、『試合、やりたかったなぁ』と。その後もオーストラリア代表戦で復帰しようと思っていましたけど、それもできず…。もやもやした感じはあります」

 自身の言葉通り、ターゲットのオーストラリア代表戦には出られずじまいだった(●15-19)。

 実戦の舞台に立ったのはその前日だ。代表予備軍にあたるJAPAN XVのフルバックとして、香港のカイタックスタジアムでのホンコン・チャイナ戦でスタメン出場を果たす(○59-14)。

 後半7分に退き、そのままグループと距離を置いた。ブレイブルーパスでフィールドに戻るまでリカバリーの期間を過ごした。

——まずは夏場の話から。失意のなか、エディー・ジョーンズ ヘッドコーチからコンタクトがあったようですね。

「PNCも最初は…(招集の可能性がある)という感じだったんですけど、まだそんな(戦える)状態ではなかったので『じゃあ、オーストラリア、頑張ろう』と。そういう連絡をくれていたのは、リハビリのモチベーションになりました。明確に目標があって、頑張ることはできましたね」

——その後、10月中旬からの代表合宿で段階的に復調していたと思われましたが…。

「自分的にはパフォーマンスが全然、上がっていなくて。合宿でもトップスピードで走られへんし、試合で(再び膝を痛める)シチュエーションを回避できるのかという不安もありました。そんななか、エディーさんは『香港に行って自信をつけてこい』と言ってくれたのですが、結局、その香港で膝をぶつけて…。

 この膝とは、向き合うしかない。後十字のないトップアスリートはたくさんいます。ちなみに藤田さん(貴大=ブレイブルーパスのアシスタントコーチ)は、両ひざの後十字がないんです! 痛みも(じきに)慣れると言われています。あまり心配せずに…という感じでいます」

 第2次ジョーンズ体制が2季目を迎えた今年のジャパンには、選手層や結束力に前向きな兆しがあった。複数の主力選手はそう証言する。

 その様子を、一時的に輪に入った松永はどう見ていたのだろうか。

「まず、自分の『見え方』が変わったというか…。去年は初めての代表活動で、サインを覚えるのも大変で、ワールドクラスの人とやる緊張感でいっぱい、いっぱい。周りを見ている余裕はなかったです。ただ今回はどういう風に活動していくかなどがわかった状態で参加できていて、僕のジャパンに残りたい思いも強かった。チームの雰囲気がよくなっている風にも感じるし、そこに自分自身もマッチできているな…と」

2024-2025シーズンはプレーオフ2試合を含む17戦(すべて先発)に出場した。(撮影/松本かおり)


——ジョーンズさんは、選手を高みに引き上げるべく厳しさを打ち出すことで知られています。トレーニング中に少しでも弛んだ様子が見られたら、容赦なくセッションを打ち切って選手が奮起するのを待ちます。

「はい。そういう(極端に足の止まる)選手は、次、呼ばれなくなってきているなという風に思いますね」

——現在は、サバイバルレースに勝ち残った若手が主軸となっているような。一方、強豪国とのバトルの合間にハードなセッションがあり、松永選手以外にもコンディション都合の離脱者が少なくありません。2027年のワールドカップ、オーストラリア大会を見据えた強化プランの一環ではありますが…。

「実際にきついですし、常に疲労はたまっている状態です。でも、やるしかない。『この環境でどれだけパフォーマンスを上げられるか』、『この環境にどれだけマッチできるか』を大切にしました。ケアをしてもらうことも、自分でケアするのも大事。睡眠も気にしていますね」

 2025年は、より己と向き合えるようになったのだろう。

 8月からは、自らの立場を社員選手からプロ選手に変えている。今季からブレイブルーパスの副将を担うチャンスメーカーは、「もう、身体は問題なく、順調です」と頷いた。

「たぶん人生でいちばん輝いている時期って、ラグビーをやっているいまなのかな…と。その時にどれだけ本気になってラグビーと向き合えるか…向き合わないといけない…後悔しないように…と、思い切ってプロになりました。もともと考えていたことですけど、代表になったことに後押ししてもらえた感じがあります」

——まだ先のことかもしれませんが、スパイクを脱いでからのビジョンは。

「今後のことは考えないといけません。明確には定まっていませんが、コーチングはしたい。でも、そのためにはやはりいま頑張らないと。経験を積んで、いろんな角度からラグビーを学ぶことが大切。いま頑張ることが、今後に繋がったらいいなと」

 雇用形態が変われば、移籍へのハードルは下がるかもしれない。ただし松永は、「このチームでやりたい」。先輩方の情熱的な様子に惹かれて2021年に門を叩いた狼軍団を、いまなお愛する。

「何て言ったらいいかわからないですけど、思いは、強いです。他の場所でプレーすることは、まったく想像できないです。東芝愛は、選手に根付いています。ファミリー感があります。チームパーティー、ロッカーパーティー、ポジションパーティー…と、何かしら『パーティー』と付けて集まる! コネクションが強いです」

 12月14日、東京・味の素スタジアムで昨季4位の埼玉パナソニックワイルドナイツとの第1節に臨む。

「3連覇を目指すと、はっきりとチーム内で言っています。そのために何をすべきかも示しています。まず基礎スキル、ひとりひとりの役割(仕事の質)から徹底的に高める。それが、僕たちのラグビーの基盤になるので」






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